六十八

 菅野が、
「いやあ、いつもながら度外れにキレのいい会話ですね。ふるえます。いい思考と悪い思考があると思うんですけど、いい思考ばかりさせてもらってます。人はきっかけを与えてもらわないと真剣に思考しませんからね。真剣に思考しないなら、それはへたな考え、休むに似たりです。しかし、私も教養人とはありがたいかぎりです」
「菅野さんはみんなのしるべとなる人よ。リーダーシップをとってる実力者はあなた」
 主人が、
「頼りにしてるよ、菅ちゃん」
 女将も、
「ほんとに、北村席を浮かすも沈めるも、菅ちゃんしだいやよ」
「いや、そこまで、ハハハハ……がんばります。神無月さん、あしたは?」
「キッコたちを名大に連れていくんでしょう?」
 千佳子が、
「私がクラウンに乗せていきます」
「そう。じゃ八時半に日赤まで」
「了解」
「さ、ミコシを上げましょうか。千佳ちゃんたち、きょうは怖がりのキッコちゃんと寝てあげて。さっきの頭のよさを見たら、落ちるはずがないって第三者はわかるけど、本人は怖くて仕方ないのよ。怖い怖い、怖くない怖くないっておしゃべりしながら、グーッと寝てしまいなさい。あしたは午後からみんなで買い物にいくわよ」
「はーい!」
 素子が、
「お姉さん、うちも昼で上がってええ?」
「いいわよ。通学の服を買いたいんでしょ」
「うん」
「ソテツちゃんと千鶴ちゃんもいきましょ。定時制は私服でいいわけね?」
「はい!」
「じゃ、お休みなさい」
「お休みなさい!」
 睦子たち四人が門まで送ってくる。キッコがヒデさんの肩を押す。カズちゃんたち四人がニッコリ笑う。
「いらっしゃい。かわいがってもらいなさい」
 素子が、
「あんたほんとにチャンスが少ないんやから、うんと甘えんと」
「はい!」
 睦子たち三人が手を振り、玄関へ戻っていく。夜道を歩き出したとたん、素子はヒデさんに、
「うち、うんと甘えられんのよ」
「どういうことですか?」
「グロな話と思って聞かんといてね」
「はい」
「うち、どえりゃあ早う、どえりゃあ強うイッてまうの。あっという間。だから、お姉さんたちといっしょにしてもらわんと身が持たんの。そりゃ、一人っきりのときはがんばれるだけがんばるけど、めちゃくちゃきついわ」
 ヒデさんは顔を赤らめながら、
「私も一週間前、青森から戻って初めて抱いてもらったとき、もうだめって感じになりました」
「ほやろ? 立ちん坊やっとったころは、少しもそんなふうにならんかったんやけど、キョウちゃんと遇ってからそうなってまった。こりゃあかん、こんなからだでほかの男としたらキョウちゃんに立てたミサオがボロボロになるって思って、もしほかの男としてそうなったらキョウちゃんと別れて死んでまおうと覚悟して、もういっぺん客に買われてみたんよ」
「……どうでした?」
「うんともすんともならんかった。ほんとは、それでも安心できんと、あと二、三回買われてみたんよ。ほんとやろかて思ってな。あそこの大きい人も小さい人も、長くやる人もサッと終わる人もおったけど、だれとやってもビリッともこんかった。そしてキョウちゃんとしたら、それこそ死ぬ思いやろ。うれしくて涙がでたわ」
「キョウちゃんの女がみんな経験することね。処女だった人も経験者もね。原因は愛情とばかり言えないものがあるのよ。秀子さんも思い当たるでしょ?」
「……はい。それはしっかりと……」
「でもそれは私たちのからだだけのの幸福の素なのね。測り知れないほど深い愛情が、そんな生理的な事実を小さく思わせてる。入れてもらえばすぐイケるという安心感はそれはそれで生理的に貴重なものだと思うけど、もっと確かな心の拠り所は、そんなものがなくても底なしに愛してるというところからくる充実感ね。愛情の大きさは一人ひとりが高みを決めればいいことで、生理的なものは、そういうものとサッと割り切って、みんなで分かち合いましょ。妊娠しないようにという便宜的なこともあるから」
「はい。そのことは郷さんとじゅうぶん話し合いました。私、きょう……」
「危ないんでしょ?」
「はい」
「いつも妊娠の不安を持ちながら抱かれるというのは、精神的に最悪よ。女には妊娠したいときとしたくないときがあるから。きょうは文江さんがくることになってるの」
「すてきな書道のお師匠さん」
「そう、入試が終わったときに会ったわね。五十二歳のすばらしい人。秀子さんがじゅうぶん満足したあとで文江さんが受けてくれるわ。安心して抱かれなさい」
「はい」
「じゃ、ここで。バイバイ。あした、昼にお姉さんといっしょに上がるわ」
「わかった」
 素子がアイリスへ戻っていく。
 文江さんはすでに居間でテレビを観ながら待っていた。
「お、ふるさとの歌まつりか」
 キョウちゃん! と言って抱きついてくる。
「わあ、秀子さん、きれい!」
 ヒデさんとも握手する。
「きょうはかわいがってもらう日なんやね。あした合格発表の日やものね」
「はい」
「十本指で受かっとると思うよ。……ごめんね、私もかわいがってもらいにきたんよ。よろしくね」
「こちらこそ。恥ずかしい姿を曝しますけど、気にしないでくださいね」
「気にするもんかね。人のからだも自分のからだと同じふうになっとると思えば恥ずかしないわ。それに、あっという間に夢中になってまって、何も見えんようになる」
 カズちゃんが、
「それに、女のそういう格好を見て興奮するのは男だけじゃないのよ。女もすごく興奮するの。恥ずかしい姿を曝せば曝すほど、どちらにもいいことをしてることになるのよ」
「セックスゆうんは、人間のすることでいちばんみっともない格好しとるように見えるけど、一生の中でいちばん健康なときにしかできんいちばん純粋な行為やろ。ほんとに純真なことはどっかみっともないもんや。やっとる人には美しいとわかるから、いっしょにやっても恥ずかしないけど、やっとらん人はみっともないと思うから、隠れてせんとあかん」
「そのとおりよ。覗く人なんかいないから二人とも安心して励んでね。声はどんなに遠くからでも聞こえてくるから、あきらめて、うんと声を出してね」
「はい」
 百江が、
「文江さん、晩ごはんは?」
「食べとらんのよ。終わったあとでゆっくり自分で作って食べるわ。用心にオシッコしてくる」
「お風呂入れるわ。しばらく待ってちょうだい。私の部屋に万年蒲団が敷いてあるから先にすませたほうがいいわね」
「すみません。そうします」
 ヒデさんとカズちゃんの寝室にいく。二人が全裸になって横たわると、すぐに文江さんが入ってきて服を脱いだ。
「オマメちゃんで気をやらせてちょう。五十女も自分と同じようにイクってわかれば秀子さんもホッとするやろ」
 文江さんの股間に屈んで舌を使う。
「ああ、ええよ、キョウちゃん、気持ちええ、あ、すぐイクわ、秀子さん、年寄りがイクのよう見とって、きっときれいやよ、イク、イクイクイク、イク―!」
 グンと腹を突き出して痙攣する。ヒデさんは頬を真っ赤に染めて、ゆるゆる自分の脚を開いた。ヒデさんの股間に屈んで舌を使う。
「ああ、郷さん、愛してます、気持ちいいです」
 しっかり学習している。学習を反復する分、少し時間がかかったが、やがて片足を抱え上げて胸に寄せ、
「ううーん、イキます! イクイクイク、イクウウ!」
 大きな声を上げて達した。片足を上げたままの格好で存分に痙攣する。その間に抜いて文江さんに挿入する。イグッとうめいてたちまち達する。連続になる。際限なくつづく。ヒデさんのふるえが治まったようなので、オーガズムの最中の文江さんから引き抜いて、まだ片足を上げた格好で陰部を曝しているヒデさんに挿入する。
「あああ、すごい! イキます、ううう、イク! うーん、気持ちいい! イック! ああ、郷さん、好き好き好き、イクウウウ! うん、うん、うん、イイーックウウウ! あああ、愛してます、愛してます、ま、またイグウウ! も、イケません、郷さん、もうだめェェェ!」
 膣がギュッと箍になり急速に下腹に放出が迫る。限界を示す膣の緊縛と同時に信じられないほどの大声が上がったので、素早く引き抜き文江さんに深く挿し入れて射精した。
「ああ、愛しとるよう! イグウ、イグッ!」
 律動するたびに俵で締めてしごき取る。ヒデさんは両脚を伸展してバネ仕掛けのように痙攣している。私は腰の動きを止め、文江さんと口づけを交わしながら、余韻のアクメを重ねさせる。
 文江さんの声はヒデさんほど大きくないとわかった。何段にも締めてくる文江さんの膣よりも、激しく締めつけるヒデさんの膣のほうが緊縛感が大きかった。しかし、カズちゃんの微妙な蠕動とリズミカルな緊縛に比べられる膣は存在しないこともわかり、心からうれしく、そのことをカズちゃんも知っているだろうと思えることが、ほかの女との行為のときにかならずもたげる罪悪感を払拭した。文江さんに対する申しわけなさは彼女の一途さを思いやることで、ヒデさんに対するそれは彼女の愛らしさに心から感激することで拭い去った。
 三人で風呂に入る。
「かわいらしくて元気な声。耳の極楽やったよ。うんと興奮させてもらったわ」
「私もです。迫力のある声にセックスの奥深さを感じました。文江さんのようなからだの不思議さを私も持ってるんだなあって思えて、すごくうれしかった。思い切り解放できました」
「こういうのが女同士の固いつながりにもなっていくんよ。自分と相手の区別がつかなくなるし、嫉妬も引け目も差別もなくなるんよ。のべつこんなことをする必要はあれせんけど、機会が巡ってきたら積極的になったほうがええわね」
「はい。かならずそうします」
「二人きりのときは、もっともっと甘えてね」
「はい」
 風呂から上がり、三人で背中の水気を拭い合うと、寝室に戻り、服をつけて居間へいった。中京テレビの『夫よ男よ強くなれ』が始まるところだった。第二十五回〈あなたも蒸発するの!〉の巻。しばし、中身ではなく〈画面〉を見つめる。ヒデさんはめずらしいものでも点検するように、上気した顔をテレビに向けている。何年もテレビを観ていなかった顔つきだ。カズちゃんが、
「荷物は届いたの?」
「はい、もうほとんど。落ちてもすぐ勉強態勢に入れます」
 私は強い調子で、
「落ちないよ。キッコと二人、そんなことばかり言って」
「合格掲示板に自分の名前を見るまでは不安です。……でも、それをすっかり吹き飛ばしてもらいました。ありがとう、郷さん」
「こんなことで不安が吹き飛ばせるなら、お安い御用だよ」


         六十九

 好きな喜劇俳優の有島一郎が出ている。名古屋出身の俳優だ。若大将シリーズが始まって以来十年、加山雄三の父親役で出ているが、本領はあんなものではない。『なつかしい風来坊』という絶品がある。『地球防衛軍』の佐原健二のなつかしい顔もある。あの映画を観たのは、昭和三十三年の十二月二十八日、日曜日の昼だった。なぜかハッキリと覚えている。年末なのに母は工場に日曜出勤していて、昼間から保土谷日活に出かけた。裕次郎映画でない二本立てをやっていた。『心と肉体の旅』という映画がおもしろくなくて(葉山良二と南田洋子が主演で、嫌いな中原早苗も出ていた)、一回り観たところで出て、並びにある東宝館のガラスケースに見入った。心が動いたが、余分な金は持っていなかったので、特撮はバカらしいものだと無理に言い聞かせてその場を離れた。
 あのころはよく映画館街をうろうろと歩き回った。保土谷、横浜地下街、反町。何をしたかったのか、さっぱりわからない。映画館という建物の暗闇が大好きだった。思い出すという行為は、古い建物を建て直すようなものだ。建物に記憶が宿る。
「佐原健二って特撮物によく出てたよね」
 映画通のメイ子が、
「はい、昭和三十年代の初めころによく出てました。ゴジラシリーズ、ラドン、美女と液体人間、杏っ子にも出てました」
 百江が、
「とぼけた美男子なので、喜劇にもよく出てましたよ。シリアスなものにもけっこう端役(はやく)で出てました」
 カズちゃんが、
「私よりちょっと年上。このごろはテレビのウルトラマンばかりね。文江さん、お腹へったでしょう。さて、じっくり夜食を作りますか」
「肥らん夜食ってある? 私、肥りやすいから」
「寝る一時間前までに食べれば肥らないのよ。おでん、チキンサラダ、春雨スープなんかどう? ごはん一膳」
「ええわね、いただきます」
「少しぐらい肥ってないと、女は魅力ないわよ。秀子さんは合格。ちゃんと胸とお尻ができてる。身長は?」
「百五十九センチです。五十三キロ、少し肥り気味です」
「ちょうどいいわ。女は肉布団。キョウちゃんの口癖よ。北村席に痩せてる人ってめったにいないでしょ」
「幣原さんくらいですね」
 文江さんも加わって夜食の支度にかかる。ヒデさんはキッチンへいって、みんなの立ち動く様子を観察している。百江と私はテレビに残って、NHKニュースの焦点。さっぱりわけがわからず、細うで繁盛記。眠くなる。夜食ができ上がり、女たちが食いはじめる。
 深夜にカズちゃんといっしょに、文江さんとヒデさんを送っていく。まず文江さんを河合塾の裏へ、
「秀子さん、ときどき名大で会うかもしれんけど、そっちのほうが照れくさいわ。とぼけ合おまいね」
「はい、もちろん。睦子さんたちも何の作為もなく自然に振舞ってます。おたがいを自分だと思えばいいんですから、鼻の周りの空気を吸うようなものです」
「そうそう、そういうこと。じゃ、キョウちゃん、またかわいがってね」
「うん、文江がすっかり健康になってうれしいよ。書道、油断せずに鍛錬してね」
「うん、鍛錬はサボらんけど、出品は少なくするわ。評価されることばっか考えてまってロクな作品が書けんから」
「そうだね、そのほうがいいと思う。とにかく鍛錬だよ。じゃ、お休み」
「お休みなさい。和子さん、またね」
「またね」
 次にヒデさんを数寄屋門へ送っていった。
「あした席で連絡待ってる」
「はい、連絡して、お昼までには帰ります。帰ったら和子さんと買い物ですね」
「そうよ。バッグ買ってあげましょう」
「楽しみ!」
 手を振った帰り道、
「キョウちゃんはほんとうに律儀な人ね。私もすっかりそういう人間になったわ」
 人通りのない椿神社の前で口づけする。下着を探ると濡れている。
「秀子さんと文江さんに当てられたの。キョウちゃんの一回は三、四人分だから、まだその気があるなら三人にお願いね。百江さんもメイ子ちゃんも喜ぶわ。このままだと眠れないと思うから」
「カズちゃんも?」
「私がいちばん。念のために射精は百江さんにね」
「うん。すぐしよう」
         †
 三月二十日金曜日。メイ子の離れで三人七時起床。百江はすでに六時に寝床から抜け出して、うがい、歯磨き、洗面、身支度をしたあと、アヤメに出勤している。
 快晴。一・一度。三人で風呂に入る。昨夜彼女たちと交わったあとすぐ寝入ったので、丁寧にからだを洗う。ジムトレ二十分。バーベルなし。素振り百八十本。三種の神器。八時過ぎに朝食。簡単にハムエッグと納豆と海苔、キャベツの味噌汁。
「キョウちゃん、きのうはありがとう」
「ありがとうございました」
「どういたしまして。ぼくも気持ちよかったから、ごちそうさまでした」
「いちばんつらいの百江さんじゃないかしら。キョウちゃんが試合をしてない時期は、ほとんど毎日おつゆを受けてるでしょ。気持ちいいだけですまないもの」
「からだの強い人ですから、ぐったりしてもすぐ回復してます。五十年近く快楽を味わえなかった埋め合わせをしてる感じではないかしら。神無月さんを心の底から愛してますし、喜びでこそあれ苦痛ではないと思います。……私も同じです」
「そうね、私たちだって妊娠の心配がなかったら毎日でもいいものね」
「はい」
 私は味噌汁のお替りをし、
「きょうの買い物の目星はついてるの?」
「そうねえ、靴は東京から取り寄せたからいいとして、秀子さんとキッコちゃんのバッグが問題ね。どんなのがいいかしら」
「お嬢さんが持ってるような大きめのバッグがいいと思います。教科書も入るような」
「ああ、あれね。濱野のバッグ。私のは大きいから四万五千円したの。安くても二、三万はするわね。デーンとプレゼントしちゃいましょう。松坂屋にならあるはずよ。赤やブルーより、黒系統の、学生らしくもう少し小さめのものがいいわね。春のカーディガンも買ってあげないと」
「かかりますね!」
「記念だもの。今夜は、則武にキッコちゃんを呼んであげましょう。焦らずに一晩のんびり付き合ってあげればいいわ」
「わかった。あしたは目が覚めるまで寝てる」
「菅野さんに言っとくわ。九時ごろでいいわね。ごちそうさま」
「ごちそうさま」
 腹七分。カズちゃんとメイ子は食器洗いに立ち、水屋棚の整理を終えると、化粧をしに去る。私は百江が買ってきてくれた週刊ポスト。黒い霧ですったもんだしている以外、こともなし。ただ、すったもんだの内容にことがある。
 小川さんが、藤縄という牛乳配達店を営む賭博好きのチンピラに〈ないこと〉を讒言されたことだ。藤縄は南海の佐藤公博に八百長を持ちかけられて(チンピラが三流投手から持ちかけられた? 牛乳屋風情がどういう場所で?)、藤縄は三十万円を佐藤に渡し(藤縄の資金源は?)、その金を佐藤は小川に渡した(異リーグの三流投手が一流投手の小川さんとどういう知人関係だ?)。小川さんは先発したときはかならずわざと打たれて負けるように工夫した(たった三十万円で? 去年の話らしいが、去年小川さんは最多勝投手になっているぞ。わざと打たれたことなど一度もない)。おかげで藤縄は大金を手にしたという(ほんとかよ! 常勝ドラゴンズの大エースとして彼はたった一敗だぞ。でたらめもいいかげんにしろ)。そのせいで小川さんは二軍落ちしたので(どこから湧いた話だよ。そんな事実はいっさいない)、藤縄は田中勉を紹介された(だれに? 田中はおととしからチーム内で八百長をやっていたんだろう? まったく筋が通らない)。田中は小川さんのように八百長にどんどん協力し(去年彼はどんどん勝っていたぞ! 西鉄でもかなり勝っていた)、藤縄はどんどん大金を手にした(笑えてきた)。味をしめて〈工作員〉として田中、永易、益田、与田に金を渡し(時系列がおかしいだろう。工作員というのもスパイ気取りで笑える)、その四人が後輩たちに金を押しつけたという話だ(なんで? 自分がもらっておけばいいだろう。預かってくれなければ殺されると田中は言ったそうだが、もらった金を自分が保持しているとだれかが殺しにくるのか。まったくもってわけがわからない)。その後輩たちというのが、基、船田、村上公康、池永だという。八百長はまったくうまくいかず、莫大な損失を出したときた(あれ? どんどん儲けたんじゃなかったのか?)。そのせいでヤクザに拉致されて脅されることもあったとさ(どこのヤクザだ? 資金源がヤクザなら甘っちょろい脅しだけではすまない。とっくに殺されている)。こんなふうにイジラレることを察知して、小川さんは身を引いたのだ。きっと田中勉が藤縄とよからぬ接触をしている現場に居合わせたのにちがいない。いずれこういう噂が立つとあきらめていたのだ。
「じゃ、キョウちゃん、いってきます」
「いってらっしゃい」
 毎日新聞に移る。スモン病患者二六六九人と厚生省発表、とある。注にスモン病の説明が書いてあった。整腸剤キノホルムと言われてもよくわからない。赤痢用内服剤と言われてもよくわからない。武田薬品とか田辺製薬と示してはあっても、具体的にどういう名前の薬を飲んだらそうなるのかが書いてないのだ。薬屋に一般に売っている薬なのだろうか。赤痢患者にだけ医師が飲ませる薬なのだろうか。それにしては患者数が少なすぎる。
 十五分ばかりして、菅野到着。日赤へランニング出発。
         †
 北村席のみんながどこかソワソワしている。私と菅野がシャワーを浴びに風呂場に向かうときも、廊下を渡るだれも話しかけない。居間で主人と女将が立ったり坐ったりしている。主人はビールと言い、女将はお茶と言う。厨房は賑やかだ。いつもより派手派手しい彩りの昼食を支度している。三十センチ大のチーズケーキも用意してあり、チョコレートで〈祝合格〉の文字が書いてある。トモヨさんが、
「ジャッキまで土間でうろうろしてるんですよ。犬なりに一家の一大事を感じるんでしょうね」
「一大事、か。キッコがどれほど愛されているかがわかるね」
「北村席に鷹が生まれた感じですからね」
 主人が、
「ヒデちゃんのことまで心配になってきましたよ」
 十時二分に電話が入った。主人が飛びつく。
「おお、キッコか、ほうか、やったか! 二人ともか、ヨッシャー!」
 一家のキャーという叫び声。女将が電話を奪う。
「おめでと! ようやったね。すぐ帰ってきや。お昼食べて松坂屋へ―」
 カズちゃんが電話を奪う。
「書類を受け取ったらすぐ帰ってきなさい。合格掲示板の写真も必ず撮ってね。ほんとによかった。私、うれしいわ……」
 むせびはじめた。私は電話を代わり、
「おめでとう、みんなうれし涙を流してる。ソテツなんかしゃがみこんでるよ。そこらへんの人に四人の写真も撮ってもらって。新しい人生の一ページ目だからね。おめでとう」
 菅野に電話を渡す。
「私……うれしいですよ。感激です。あ、秀子さん、今後ともよろしくお願いいたします」
 お辞儀をする。みんなで笑う。電話が切れると厨房がさらにあわただしくなった。いろいろな商店の小僧や主が出入りする。市場の魚屋が鯛を一尾届けた。私は厨房へいき、
「幣原さん、どのくらい料理作るの」
「まず鯛のお刺身、お赤飯、ステーキ、照り焼きチキン」
 ソテツが、
「シイタケの彩りポート」
「どういうもの?」
「シイタケの上に、ひじき、タマネギ、鮭フレーク、刻みネギ、マヨネーズを載せたものです。それから、カキフライ、ポテトフライ、桜エビのポタージュ」
「すごい量だね」
「少しずつ食べていただければいいんです。その代わり、夕食はお茶漬け程度になります」
 トモヨさんが、
「それはオーバーよ。ちゃんとふつうに作ります。お昼の余りものも混ぜてね」
 素子が、
「朝と夜は、やっぱりおみおつけとおこうこがないとあかんやろ」
 千鶴が、
「キムチとか焼き魚とか野菜炒めとかな」
 イネが、
「納豆、コロッケ、メンチ、ポテトサラダ、野菜サラダもだべ」
 ソテツが、
「野菜サラダはお昼にも出しましょ」
「鯛はだれが料理するの」
「幣原さんは刺身とアラ煮の名人です」
 幣原が、
「近記さんに教わったんですよ。あの人、金沢の漁村出身でしたから。……どうしてるんでしょうね」


         七十

 早番の百江と優子が帰ってきて、食卓の準備に勢いがついた。
「優子、近記さんたちはもうサッパリ?」
「はい、わかりません。みなさんいい人たちばかりでしたから、さびしいですね」
 主人が、
「年々歳々、人同じからず。北村だけは人同じにせんとな」
 カズちゃんが、
「去る者日々に疎しもだめよ。キョウちゃんのようにいつも思ってないと。でもこういう商売って、流れ者になるのが特徴だから、東京あたりへいったかもしれないわね。勤め口はいくらでもあるし」
 菅野がビール瓶を捧げ持ってきて、
「男はちびちびやってましょう。女が居流れる場所では、出すぎずに引っこんでないと」
「合格祝いの口上は頼むで」
「いや、千佳ちゃんかムッちゃんにお願いします。なんせ名大の先輩ですから」
「大阪の不良娘が大学生になりおったんやなあ。天下の名大生に。一念発起、泣きの涙を流さんとようやり遂げたわ」
 女将が、
「女を転がしておくだけの家やったのが、まんざらでなくなったな。この四、五年でどんどん箔がついたわ。気のぼせせんと、しっかり商売に励まんと一家を養っていけん」
「ただいまあ!」
「お、帰ってきた」
 ジャッキがしきりにワンワンと応える。菅野が飛び出していって、
「ようよう、よう!」
 睦子が、
「受かりましたァ!」
 千佳子が、
「写真もバッチリ撮ってきました」
 みんなで出ていって、おめでとうを連呼しながら四人と抱き合う。女将が、
「ゆっくりお昼食べて、好きなものを買いに連れてってもらいやあ」
 ソテツたちが、
「坐って、坐って」
 と上座へせかす。テーブルがすっかり整っている。菅野が、
「ムッちゃん、千佳ちゃん、新合格者に先輩としてひとこと!」
 キッコとヒデさんの下座にいた二人が立ち上がる。睦子が、
「合格がこんなにうれしいものと、他人事(ひとごと)で初めて知りました。うれしすぎて泣きました」
 上座の二人が頭を下げる。千佳子が、
「ふだんが肝心とつくづくわかりました。秀子さんのふだんがきびしいものだったことは、私たち二人が青高生だったのでよくわかります。神無月くんを思いつづけながらそのきびしい勉強を三年間もつづけて、とうとうきょうの合格を勝ち取りました。あなたの情熱に打たれます。一方キッコさんのふだんはとても心細いものだったと思います。勉強すれば受かると神無月くんは要約の効いた言葉で言いましたが、教材も競争仲間も少ない定時制高校生にとって、その勉強する日々は簡単に送れるものじゃないんです。すごい努力と勉強量が必要なんです。キッコさんのがんばる姿にいつも感動してました」
「秀子さんもキッコさんも、私たちと同じように、郷さんと離れたくない一心で、そばにいたい一心で猛勉強したんです。その意味で最大の功労者は、郷さんへの愛情です。これで四年間は名大という器が、郷さんのそばにいられる保証をしてくれることになりましたが、その先はあなたたちの愛情の深さが保証書になります。おたがい一生懸命生きましょうね。二人の将来に幸あれ。あらためて、秀子さん、キッコさん、合格ほんとうにおめでとうございます!」
 みんなで、
「おめでとうございます!」
 菅野が、
「お二人さん、ひとこと」
 キッコが立ち上がり、
「夢のようです。まだ信じられへん。情熱を持って努力するのは私の勝手やけど、そのせいでみなさんにほんまにご迷惑をおかけしました。みなさん、ありがとう。下女はしたみたいな生活をするかもしれんところを北村席の旦さんと女将さんに助け上げていただき、神無月さんに人を愛する喜びを教えていただき、席のかたがたに友情の尊さを教えていただき、ムッちゃんや千佳ちゃんに根気の大切さを教えていただきました。名大合格はその教えのお釣りのようなもんやけど、えげつのううれしいわ。自分でも目指せばやれるんやなあって。ほんまにみなさん、ありがとうございました。合格しました」
「ヨ!」
 盛大な拍手。ヒデさんが立ち上がり、
「野辺地中学校一年生の秋、郷さんが野辺地中学校に転校してきました。六年前です。校長先生が全校朝礼で郷さんを紹介しました。都会の不良がやってきたという評判がかしましかったからです。校長先生はその評判を事実無根のものとして戒めました。初めて郷さんを見て、そんな類型にはまる人ではないとわかりました。何より、顔の美しさに圧倒されました。私の理想と一ミリのズレもない顔だったんです。この顔に一生寄り添おうと一瞬のうちに決意しました。郷さんと同級生だった兄の家庭教師を担任の先生に頼まれて、深い雪の中を郷さんがやってきました。間近で郷さんの顔と全身を見て、人は心から人を愛せるものだと信じられました。それからの私の人生は千佳子さんや睦子さんの言ったとおりのものです。きょう合格できて、郷さんのいるところに、私と同じ強さで郷さんを愛してる人たちのいるところにたどり着くことができました。いっときでも保証書が手に入り、天にも昇るほどうれしいです。この保証書を何度でも更新していこうと思ってます」
 お辞儀。またまた盛大な拍手。
「お嬢さん、ひとこと」
「名大生たちの言葉をまとめることしかできないわ。……私たちは生まれた場所も、頭の造りも、内臓の強さもちがうけど、大事なのは、偶然愛し合って、いまここにいっしょにいることよ。それをつづけられる条件をいつも考えて、まじめにこしらえていくことが私たちの目標ね。努力しましょう」
 さらに盛大な拍手が上がり、食事になる。ヒデさんとキッコに赤飯が出る。私も好物なので所望する。副食は照り焼きチキン。主人と菅野は鯛の刺身をつまみながら、ビールをつぎ合う。賄いたちはおさんどんに動き回る。名大生たちはステーキを切り分け、噛みしめ、桜エビのポタージュをすする。主人が、
「受かってまうとあっけないなあ。さっきまで心配しとったのが嘘みたいや」
「ほんとやね。もっと心配したかった気もするけど」
「これからもっと心配かけると思うわ。……たぶん」
「どういうことや?」
「むかしのことをほじくられたりして、学校がいやになるかもしれん」
「だれもそんなこと思いつかないよ。定時制でだってそんなことなかったろう」
 素子が、
「ほうよ。うちもそれを心配したことがあったけど、何も起こらんかった。人って、よほど相手に入れこまんかぎり、その人の過去のことに関心を持たんものよ」
 トモヨさんが、
「ほんとに不思議なくらい何も起こらないんですよ」
 私は、
「起こったらどうだというんだ。人の悪意を楽しむくらいの気持ちでいなくちゃ」
 カズちゃんが、
「そうよ、あなたにはキョウちゃんがいるのよ。キョウちゃんさえ失わなければ、あとはどうってことないでしょ」
「うん」
「人をいじめて自分の満たされない人生をごまかす人には、こっちもごまかしを使ってこっぴどくやり返しなさい。それはデマだ、そういう嘘を言うと、あんたの秘密をでっち上げてやるよってね。秘密なんかないと言われたら、下半身ことをでっち上げると言えばいいの。だれだってオナニーはするし、異性とちょっといたす程度のことはしてるから、ビビるわよ。ま、とにかく、そういうことはトッポイ中高集団で起きる問題で、大学のようなインテリ集団では起こらないわよ。伸びのび勉強しなさい」
「はい」
 カズちゃんはシイタケのポートを一口に放りこみ、
「きょうはおめでたい日よ。楽しく買い物にいきましょう」
「はーい!」
 百江が、
「何時ごろお帰りですか」
「広ブラしてくるから、六時までには」 
         †
「丸さんたちと入れ替わりに北村席にきた女の人たち、とんと姿を見かけませんね」
 主人に言うと、
「大門の寮に寝泊まりしとるわ。北村になつかん。居ずらそうや。仕方ないわ。ここでは芸能界やファッションの話なんか出んもんな。こっちも無理に合わせるわけにもいかんし、いずれ大門に移るんやないか」
 菅野が、
「要するに私どもが気に入らんのですよ。朝の早い稼業の人みたいに、まじめそうにいやな話をする、いやなまねをする、そう感じるんです。金の待遇がいいので、辞めるに辞められない。丸たちはヤサグレずにがんばってたほうです。神無月さんに目もかけてもらったしね。結局はどっか合わんところがあって、出ていきましたけど」
 女将が、
「だれの責めもないんよ。商売柄とも関係ない。トモヨみたいに気質が合うかどうかだけなんや」
 優子が、
「ピタッとはまると言うんでしょうか、そういうのってあると思うんですよね。秀子さんの〈顔〉の話じゃないですけど。賄いの人もだいぶ辞めていきましたよ」
「さ、いこか。きょうは面接一人おるやろ。帰ったら、お迎え一杯やろ」
「ほい。私は一時間ほどファインホースを覗いてから」
 一時を過ぎて、主人たちが一回目の遅い見回りに出た。
「じゃぼくは、則武でちょっと机に向かってから夕方にくる」
 トモヨさんが、
「このチャンスしかないと思うので、幣原さんといっしょにいいかしら」
「もちろん。いっしょにいこう」
「幣原さん、月曜日に千鶴さんといっしょにしてもらったばかりで厚かましいと思いますけど、めったにしてもらえないのでご相伴させていただきますって」
 女将が、
「ここですませばええが」
「ほかの賄いさんの耳もありますし」
「ほうやな。女は声が出るで。男はうんともすんとも言わんのにな」
 私は百江とトモヨさんと幣原といっしょに土間に降りた。ジャッキがパッと立って、いっしょに玄関を出る。女将がいっしょに門までついて出た。
「百江さん、つらいでしょうけど、きょうも受けていただけませんか」
「いいですとも」
「二人ともピタッと妊娠日に当たってるんです。私たち久しぶりで、とても強くイキますから、二人が何回かイクうちに郷くんはすぐ出したくなって、百江さんに入れたとたんに射精してくれると思います。百江さんにあまり負担はかからないと思うの」
「私、神無月さんとなら、一晩、未明まででもできます。そのくらい愛してるんです。気になさらないでください。さっきの若い人たちと同じ気持ちです。いまのお話だと、神無月さんは最後に四、五秒接してくれるようですから、私にはじゅうぶんです。すごく強くイケます。それ以上に長くなってもぜんぜん負担じゃありません。うれしくて何度でもイケます」
「ありがとうございます、いつも私たちを助けてくれて」
「いいえ。神無月さんは私で出そうと決めたら、どんなにお二人が強くイッて締めつけても、こらえて私に出します。だから、お二人とももうだめだという限界までたくさんイッてくださいね」
「はい。安心しました」
 幣原が、
「私はすぐ降参してしまうと思います。二分ほど最初にしてくだされば終わります」
「私も三分はもたないわ。電気が走って、お腹の痙攣が激しいから、筋肉が痛くてそれ以上イケなくなっちゃうの。そのあとは天国ですけど」



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