四十九 

 カズちゃんたちが風呂から上がってきた。
「野球のお話?」
「うん、中さんの話をしてた」
「鉄壁の守りの人ね」
 カズちゃんたちは横坐りになる。百江がコーヒーをいれる。 
「いまは中さんのバッティングの話をしてたんだけど、守りは特にすごい。昭和三十八年と四十年に中さんはシーズン三百五十刺殺という記録を作ってる。外野フライを捕球するやつ。その話も彼から聞いたことがある。大きな当たりがどこにくるかだいたいわかってるというのがすごい。まねできない。カウントによってバッターの狙い球が変わるから、こっちへくるか、あっちへいくか、先々を判断して守備位置を決めるというのもね。バッターが振った瞬間からあとは、バットに当たった感じで打球の強弱、打球方向がなんとなくわかる。これはぼくもいっしょだね」
 カズちゃんが、
「三夫、暁生(あきお)って名前を変えてきたでしょう。なぜかしら」
「打率を上げるためのゲン担ぎだって。引退したら利夫に戻すらしいよ。中さんの本領はやっぱりバッティングだったということだよ。三年前の四十二年に三割四分四厘で首位打者を獲ったとき、広島戦のダブルヘッダーで八打数五安打、五セーフティバント。それでライバルの王と近藤和彦を二分引き離した。王が三冠王ほしさにセーフティバントをやったというんだから、お笑い草だね」
 睦子が、
「中さんの野球哲学のようなものを聞いたことはありますか」
「ある。ぼくといっしょだった。『監督や同僚やファンの影響を受ける立場になるのはつらいけど、野球をやってておもしろいな、楽しいなっていうのがつづけばいちばんいい。ヒットを打つ、打たないじゃないんだ。記録でもない。得点すること。先へ先へと走ってホームに還ってくること、それがみんなの利益になるし喜びにもなる』。ホーバークラフトが取りも直さず、中さんの哲学だったんだ。じゃ次に、二番高木守道」
 カズちゃんが、
「二人と現れない名二塁手ね」
 ヒデさんが目を輝かせて新しい世界の知識を吸収しようとしている。
「うん。一、二塁間からでもバックトスをやってのける。元祖は阪神の鎌田実と吉田義男の二遊間だけどね。それをさらに高度で安定したものに完成したのは高木さん。県立岐阜商のとき長嶋が指導にきて激賞されたという話は眉唾で聞いてる。あんな目立ちたがり屋が、目立った高校生を褒めるはずがない。監督が高木さんを褒めるのに合わせてうなずいただけだろう。甲子園でベストナインに選ばれて多少注目された。目が節穴のプロ球団は注目してない。岐阜商の先輩のプロ野球選手がドラゴンズに誘ったことで、プロにいくことになったんだ。三十五年入団。一年目で守備力と走力で一軍抜擢され、五十四試合に出場した。中さんと似たようなもので、初打席でホームラン。打率は二割弱だったけど、内容がすぐれてる。ホームラン三本、二塁打二本、三塁打一本。スラッガーだったんだね。三年目で半田コーチの指導でバックトスを習得した。これのミスを指摘されると、頭にきて試合中でも球場から帰ってしまうという恐ろしいほどの短気。ふだんのたたずまいからは想像できないよね。板東さんをセカンドから𠮟りつけたり、これは実際に目撃したんだけど、小川さんの牽制球を足で蹴返したこともある。くどいということだろうね。高木さんには〈格好よく〉という曲げられない美学がある。ユニフォーム、グローブ、普段着、車。常に淡々とプレイして、ファインプレーをしても得意そうにしないのも、勝つためにプレイするんじゃない、ファンを喜ばせるためだという徹底した気持ちからだ。あの淡々ぶりを喜ばないファンはいない。目に美しく映るから。中日にはそういう選手が多い。歓声が聞こえれば、外は無表情でも内心はうれしいものだよ。それでじゅうぶんなんだ。高木さんは一塁のベースカバーを全力でやる。一試合、人の二倍は走ってる。一枝さんとのグラブトスも唸っちゃうけど、あれこそほんとうの意味のファインプレーだね。彼がいつも言う言葉に『プロはプライドを持って、アマチュアにはできないプロらしいプレイを見せないといかん。プロの基本は個人プレイ。個人のアピールが集合したものがチーム。そこを追求すれば強いチームになる』というのがある。それからこうも言ってた。『ファンに望みたいことがある。もう少し目を肥やして、少々のことでは大きな声援を送らないということ。当然ミスにはきびしくしてね。そうすると選手もウカウカしていられなくなる』って」
 素子が、
「そういうのって、ぜんぶキョウちゃんのことやね。だからドラゴンズの選手がキョウちゃんにゾッコンまいってしまったんやね」
「自分のプレイは醒めた目で、他人のプレイは熱い目で見るということかな。じゃ次、三番江藤」
 カズちゃんが、
「長くなりそうね。きょうは江藤さんで打ち止めにしたら?」
「そうする。江藤さんは三十四年に入団した年に、すばらしい打撃成績を残したのに、新人王を獲れなかった。ノンタイトルだったからだよ。その年に大洋に入団した桑田が三十一本ホームランを打って本塁打王になった。江藤さんは十五本だった。打率は桑田より一分くらい上だったけど、打点は八十四で同点だったからね。仕方ない数字負けだ。その後桑田が〈消えた〉おととしまでの十年間で、江藤さんは二百四十三本、桑田は二百二十三本、江藤さんのほうが二十本多く打ってる。桑田はタイトルをちょくちょく獲る運があって、それからも打点王一回、最多安打一回、最多二塁打を一回獲ってる。ただ三振が多くて打率も低い。江藤さんのタイトルは首位打者だけだけど、三振が少ないので総合力は江藤さんのほうがはるかに上だ。ホームランも開眼したみたいで、この三年、三十四本、三十六本、七十本だ。今年は五十本以下になると思うけど、その安定性は揺らがない」
「桑田という人が消えたというのは?」
「おととし別当監督と衝突したことが原因で出場機会が激減した。去年巨人に移籍して十四打数ノーヒット、今年ヤクルトに移籍したけど、出場機会はほとんどないと思う」
 睦子が、
「監督と選手ってよく衝突しますね。ドラゴンズもそういうことがあるんですか」
「衝突と言うか、小波乱みたいなものはある。あっても、水原監督がうまく収める。浜野のときも、島谷のときも、田中勉のときも、小野さんや小川さんのときもそうだった。江藤さんにも小波乱があった。彼は去年プロ十年目を終えた。十年間実働した選手には、再契約金というボーナスを受け取るか、移籍の権利を行使できる十年選手制度にのっとって動くかの二つの道がある。そこへ潔癖漢の水原監督がやってきて、江藤さんの不調な自営会社操業を諫めるという小波乱があった。借金取りが球団事務所にまで押しかけるのはけしからん、何とかしなければ私にも考えがあると言って放出をにおわせたんだ。江藤さんは中日に骨を埋めるつもりでいたから、再契約金を受け取って、スッパリ商売を畳んだ。負債もその金で返済した。ボーナスは相当な額だよ。三百万から五百万と言われてる。板東さんが壊れた肘にメスを入れてまでボーナスをもらおうとしたくらいだからね。江藤さんが水原監督の諫言に従った理由は、ぼくといっしょに野球をやりたいからという話だった。ぼくは心の底から感動した。それ以来彼のことを実の兄と思ってる。水原監督が引退するとき、きっと彼も辞めるし、ぼくも辞めようと思ってる。引き留められたら、彼をコーチにする条件を持ち出すつもりだ」
「きっとそうなるわよ。水原監督にはがんばって一年でも長くやってほしいわ。少なくとも五、六年……キョウちゃんもそのくらいやればじゅうぶんでしょ?」
「うん、じゅうぶんだ。江藤さんが三十七、八歳。三割を打てなくなるころだと思う」
 ヒット速報が終わり、万国びっくりショーも終わるころ、遅番の優子が千鶴といっしょに帰ってきて端の食卓についた。
「あれ? 千鶴はきょうはアヤメ?」
「うん、一人休んで人手が足りんかったみたいやから、手伝いにいった」
 女将が帳場から出てくる。ソテツが茶をいれる。住みこみの賄い数人が優子や千鶴とテーブルに向かう。幣原とソテツとイネがおさんどんをする。主人と菅野が帰ってきた。すぐにビールになる。菅野はコップを打ち合わせて、一杯程度のご相伴。千佳子が、
「江藤さんが去年のキャンプで、太田さんをバッティングピッチャーにしてたってほんとうですか?」
「オーバーに伝わってる。この一年太田からいろいろ詳しい話を聞かされたんだけど、おととしの夏、当時スカウトだった本多二軍監督が大分に電話をよこして、名古屋にきて愛知学院大のセレクションを受けてほしいと太田に言ったらしい。何で大学の? と思いながら太田は喜び勇んで出かけていった。春にテストを受けてたから、その結果発表の手続だろうと思ったんだね。愛知学院の現場には大学関係者はほとんどおらず、本田スカウトはじめコーチ陣だけがいた。最終的な入団のオーディションだったんだね。いつかプロ野球でぼくに出会うことを夢見ていた太田にとっては最後の関門だった。その日に測った球速百四十八キロ、打球の飛距離百十九メートルはドラフト三位に相当すると判断された。その十一月、ドラフト三位指名で入団した。すぐに二軍の秋季練習に参加し、長谷川コーチの前で一球投げた。球速は百五十キロ近くあったのに、ダメ出しをされた。投手の球じゃないと言うんだ。微妙なキレや変化や制球のことだと思う」
 ヒデさんが、
「速いだけじゃダメなんですね」
「うん、バッターが打ちやすかったらだめだ。それでバッティングを伸ばす方向で養成することに決まったようだ。彼の江藤逸話はおもしろいよ。明石キャンプのとき、江藤さんが二軍のホテルの麻雀部屋でギターを弾いていたので、熊本と大分、同じ九州人のよしみと思ってこわごわ近づいたら、おまえ打ちやすか球を投げるそうやな、ワシの専属ピッチャーばせい、と言われたらしい。太田が実際にそんなことをしてる姿は見たことなかったけど、ときどき彼がだれと相手を決めずに打撃投手をやってることはあった。ん? 江藤さんに外角ばかり放ってたことが一度あったな。あのことか。バッティングピッチャーと言うほどのものじゃなかったけど。そう言えば、中さんはめったにフリーバッティングをやらない人だけど、二軍のグランドで井手を相手に打ちこんでるという話を聞いたことがある。でも、中日に専属ピッチャーというしきたりはないな。とにかく江藤さんの二年連続首位打者は、ONの全盛期に成し遂げられたというのが驚きだ」
 百江が、
「ご家族は東山のほうにいらっしゃるんでしょう?」
「そうみたいだね。椙山女学園の裏手だそうだ。江藤さんは、省三さんを中商にかよわせるために家が必要だったと言ってるけど、結局本人は寮詰めをしてるから、どんな事情から家族を呼び寄せたのか明らかだね。家族孝行をすることで、安心して寮詰めできるようにしたかったからだよ。熊本と福岡の実家のほうにも折を見て顔を出してるようだ。夫婦の親族がチラホラ残ってるみたいだからね。義理堅いんだよ。親族を一手に引き受けようとする。無理して傾くような商売をしたのもそのせいだろう。翌日に残るような深酒を絶ったのも、去年のことじゃない。入団して三、四年目のことだ。深酒でからだを壊したら親族を養えないと思ったからなんだ。いまでも酒豪だけど、きっちり抑えて飲んでる」
 カズちゃんが、
「濃人と江藤さんは昵懇よね。〈九州ドラゴンズ〉と呼ばれた時代はどんな気持ちだったのかしら」
「三十六年、三十七年か。板挟みの中での孤軍奮闘だね。くだんの人格者ぶりで相変わらずリーダーシップを発揮して、空中分解しかけたチームを牽引したし、自分も好成績を残した。ワシだってオヤジさんのやり方ば疑問に思うとる、と中日スポーツの番記者に漏らしてるんだ。その胸中を考えると、なんだかやるせなくなるね。濃人は、江藤さんと瀬戸みちるさんの結婚の仲人だった人だし、愚痴一つ漏らすのもすごい葛藤だったんじゃないかな。とにかく、江藤さんと権藤さんは世間からエコ贔屓と言われたろうから、たいへんだったと思うよ。権藤さんの場合は贔屓なんてもんじゃなく、酷使だったけどね。二年で潰れちゃった。江藤さんも、濃人に放出された吉沢さんの代役でキャッチャーをやらされたから、悪い肘がさらに悪化した。濃人は、不調でも痛い痒いを言わない九州人に甘えたんだよ。そこまでやって二位。悪評が最高潮に高まって、三十八年に濃人は解任させられた。むかし中日の選手兼任監督をしたことのある杉浦清が監督になった。この人もへんな改革をする人でね、チームを大型化すると言って、小さな選手を二軍に落とした。高木さん、板東さん、法元さんといったところをね。三十九年に入ってきた小川さんも九州人ということで二軍に落とされた。さすがに中さんは落とされなかったみたいだね」
「昭和三十九年、東京オリンピックか……思い出深い年ね。キョウちゃんも私も。こうやって話してると、自分たちの歴史もたどれてうれしくなるわ」
 ヒデさんが、
「三十九年は初めて神無月さんに遇った年です。一生忘れられません」
「ぼくたちだけじゃなく、江藤さんもそうだろう。その年木俣さんが入ってきたんで、捕手兼任から解放されて、初めて首位打者を獲った年だ。四十年にも連続首位打者。あとはいまの江藤さんまで一直線」
 菅野が、
「昭和四十年に首位打者を獲ったときは、春に肉離れを起こして連続出場記録がストップしちゃったんですよ」
 主人が、
「八百九試合でな」
「江藤さんも四十年から四年間、二十九、二十六、三十四、三十六本と長打力を伸ばしてきたんですが、王には敵わなかった。それが去年は七十本! 四十四本の王に二十六本の差をつけて堂々の世界新記録。神無月さんと並んでの世界新記録ですが、百六十八本というのは異次元のできごとなので、深く考えないことにしましょう」
 トルコ嬢三人が風呂から上がって二階へ昇る。千佳子がテレビを金曜名画座に切り替える。松竹映画、川端康成の古都。すでに番組が始まってだいぶ経っているので、だれも観ない。私も、たとえ好みの岩下志麻が主演でも、定番とも言える〈京都の呉服問屋物〉は退屈すぎるので観ない。
「私は今夜はこっちのお風呂入って寝ますよ。いっしょに入る子があったらおいで。耕三さんも適当に切り上げてな」
 女将が廊下へ出ると、ソテツやイネや優子たちがついていった。睦子が、
「じゃ私たちも寝ます。あしたのバッティング練習は十時からですね」
「うん、そんなに早くこなくていいよ。開場は十一時からだし」
 菅野が、
「神無月さんを球場に送り届けたら、いったん帰ってきますから。十二時ごろに出ましょう」
 千佳子が、
「秀子さんは予約席に座ってね。お父さんと菅野さんに野球を詳しく教えてもらえるから。私たちは和子さんたちといっしょに一塁側A指定席で観ます」
「はい。じゃみなさん、お休みなさい」
「お休み」
 睦子と千佳子がヒデさんといっしょに二階へ上がった。
「じゃ菅野さん、あしたは八時から西高まで。牧野公園で三種の神器」
「了解。九時二十分に出発しましょう」


         五十

 三月十四日土曜日。七時起床。一・九度。うがい、歯磨き、軟便、シャワーのあと、ジムトレ十五分。おろし納豆、目玉焼き、海苔、白菜の浅漬け、ワカメの味噌汁でどんぶりめし。
 菅野が週刊ベースボールを持って早めにきた。さっそくページを開く。ウィリー・マッコビー打撃解剖、解説豊田泰光、という記事だった。十三枚の連続写真を並べて解説している。両膝をかすかに曲げてボーッと立っている写真から。

 ①ロングヒッターらしく力強い構え(ゆったりと立っているようにしか見えない。私の構えに似ている)。
 ②バックスイングに入る。右膝を前に曲げ少し腰をコックしているが、これがロングヒッターとしてのパワーの根源である。
 ③前足を踏み出し、左脇にバットが残っている。
 ④ステップの位置も決まった。バットの角度は①とほとんど同じ。これをタメルと言う。それからインパクトまで直線的に力がぶつかっていくのが理想である(レベルスイングのことを言っているようだ)。
 ⑤腰がスイングを導いていくにつれて、バットが寝かされていく。
 ⑥バットがボールに対して水平に出ていき、右肩が開きだし、顔は残っている。
 ⑦遠心力の基点となる右手首がホームプレートを通り、バットがホームラン角度に出ている。両腕の伸び方に注意。
 ⑧ウエイトは軸足に残り、ジャストミートされた。
 ⑨ここで両腕が真っすぐ伸ばされている。
 ⑩伸びた左手首が返りだす。
 ⑪まだ顔は上がらない。
 ⑫これだけ力強いスイングをしてもからだの中心はしっかりと保たれ、バランスは失われない。
 ⑬力強いスイングは後ろまでフォロースルー。
 いよいよ二十一日からロッテ戦を皮切りにサンフランシスコ・ジャイアンツとの日米決戦が始まる。十年ほど前のジ軍の来日のとき、私が初めてマッコビー(昨年度ナショナルリーグ本塁打王・四十五本)を見たときは、やたら振りが大きくて変化球に弱いバッターだという印象を持った。軸足にウェイトが残らずにのめるように打っていた。
 十二日に来日してさっそく昨日、ジ軍は東京球場の公開練習(時差ボケ解消のためと称している)で主力選手がフリーバッティングをした。マッコビーを見て驚いた。大変貌を遂げている。長身でリーチのある打者は、打席の後方に立って何でも引っ張る打撃をするものだが、彼はホームベースの前に立ち、速球に遅れない構えから素直に右手のリードのままに、コースによって振り出しを変えながら打っていた。インパクトのあとはバットがからだの近くを速く鋭く回転し、大きなフォロースルーになる。これこそロングヒッターのスイングの手本と言えるものだ。
 神無月郷のスイングとどこか似ていると感じないだろうか。ただ、神無月のスイングは大きいばかりでなく、目にも留まらないスピードがある。マッコビーにはするどさはあるが、全体的なスピードはない。また神無月にはバットを振り出す直前の不可思議な左手首の動きがあるが、マッコビーにはそれがない。いずれにせよ二十六日の中日戦は、洋の東西を代表するホームランバッターが鎬(しのぎ)を削り合うことになる。二人のホームラン合戦を心待ちにしているのは私だけではないだろう。
 ジ軍はきょうから大映社長永田雅一氏の供応で五日間の日本観光に出かける。京都・奈良をメインに、桜満開の名古屋城、絶景の富士山を巡って、東京へ帰ってくる予定だ。都内観光はしない模様である。それから二日間のコンディショニングにかかる。九度におよぶ日米決戦が待っている。戦いの日に供応疲れの出ないことを祈る。

 
 菅野と西高へ。顔に感じるほどの風がある。
「観光旅行は疲れますよね」
「疲れますね」
「今回のサンフランシスコ・ジャイアンツはきっと弱いと思います。と言うより、開幕直前の大事な時期にきたのは、がんばるためじゃなくて観光で息抜きするためですよ。昭和三十五年のジ軍はどうだったんですか」
「十六戦、十一勝四敗一分け。マッコビーは八本ホームランを打ってます。観光旅行なんかしてません」
「オフの秋ですからね。シーズンの勢いのまま、真剣に野球を楽しめたんでしょう」
「その年にジ軍のキャンドルスティック・パークができて、三十七年にその球場をまねてオリオンズの東京スタジアムができました。そんな関係もあって、永田さんは大枚はたいてジ軍を呼んだわけです。三月いっぱい遊んでもらうつもりでしょう。十二日のパーティはすごかったそうですよ」
「水原監督はまじめにぶつからないな、きっと。小川さんで抑えて、大量得点したら、控えを続々出すと思う。……しかし、接待を受けるために大挙してやってくるというのは、誇り高き大リーグにあるまじき行動だと思いませんか。これで負けつづけたら、黒い霧以上の不正行為でしょう」
「アメリカ人ですから、金の力に弱いことに罪悪感はないでしょう。彼らと神無月さんでは大ちがいですよ。いくら逞しいからだをしていても、いくら野球がうまくても、彼らは敵わない。男としては神無月さんのほうがずっと上だってことです。とうてい足もとにもおよびません。もとがちがうんです。一生かかったって敵わない。……敵わない理由を言います。おそらく神無月さんは殺されやすい。神無月さんを殺そうと虎視眈々と狙ってる人間は多い。殺されないように手を貸そうとするのは、神無月さんを愛する者以外だれもいない。そして神無月さんが死ねば、彼らはみんな死にます。まちがいない。そんな大勢の命を背負ってる人に敵うわけがない。彼らは殺されにくい人間どもです。うんとひっぱたいてやってください。ぜったい死にませんから」
「マッコビーはちがうんじゃないかなあ」
「私もそう信じてます。きのうの練習でユニフォームを着ていたのは、彼とメイズとマリシャルだけで、あとはぜんぶジャージだったそうです。マッコビーはパーティでも、あの人格者アルトマンとずっといっしょにウィスキーを飲んでたと、夕刊フジに書いてありました」
 旗がホームに向かって靡(なび)いている。ケージに向かう前にバックネット前で素振りしているとき、網窓の中で係員が、
「北西の風、風速七・七」
 と言っていた。かなりの逆風だ。スタンドインは球まかせにしよう。とにかく打ってみる。バッティングピッチャーは土屋。
「コース関係なくストレートだけお願いします。球の伸びを見たいので」
「わかりました!」
 監督、コーチ、報道陣がケージの後ろに集まる。ボールの高低関係なく斬りつけるように打っていく。一球目、右中間フェンス直撃。二球目、一、二塁間をするどく抜く。三球目、四球目、ライトライナー、センターライナー、ボールに浮力がつきはじめる。五球目にようやく右翼フェンスを越える。
「よし、あと五球打ちます」
 六球目、右中間突破、七球目、左中間突破、八球目、バックスクリーンへドン。水原監督が、
「見とれてしまうなあ」
 九球目、レフトスタンド上段、十球目ライト場外。きっちり逆風に乗った。杉山コーチが、
「これはまいった! 味方でよかった!」
 十球打って凡打二本。いける。
 ヤクルトのフリーバッティング。みんなひどい。スイングがなっていない。移籍したばかりの桑田まで出てきたが、ほんとうに衰えたと感じさせた。別当監督が使わなくなったのも故のないことではないようだ。ソテツ弁当。シンプルに鶏そぼろ。
 ドラゴンズ守備練習。レギュラー外野手はベンチで見学。井手、江島、谷沢が守備につく。江島と谷沢の肩がいい。内野手はレギュラーが総出。いつものとおり軽快なボールさばきを披露する。ヤクルトの守備練習。武上、東条の二遊間も含めて見どころなし。
         †
 一対十三で勝った。秀孝完投で勝利投手。秀孝は被安打四、福富、東条に一本ずつ、武上に二本。六回東条に適時打を打たれ、自責点一。負け投手は四回まで投げて自責点五の松岡。彼のストレートはみんなほとんど打ち返した。
 ドラゴンズ打線の内訳は、初回裏に中三振、高木センター前ヒット、江藤レフト上段へライナーのツーラン、私右中間中段ソロで三点。木俣、菱川、太田と凡退。二回、一枝レフト前ヒット、秀孝三振、中セカンドゴロゲッツー。三回、高木ショートゴロ、江藤サードフライ、私ライトフライ。四回、木俣レフト中段へソロ、菱川ライト線二塁打、太田ライト前ヒット、一枝ショートゴロゲッツー。ゼロ対五。五回、ヤクルトのピッチャーは簾内に交代。秀孝三振、中ファーストゴロ、高木左中間へセンターライナー。六回、江藤フォアボール、私三遊間ヒット、木俣サードゴロ、城戸ベースを踏んでセカンドへ送球ゲッツー。木俣一塁に残る。菱川フォアボール、太田センター左へスリーランホームラン。一対八。一枝左中間へソロ。一対九。緒方にピッチャー交代。おととし中日から移籍した河村保彦。秀孝ファーストゴロ。七回、中の代打谷沢三振、高木センターフライ、江藤の代打千原セカンドフライ。八回裏、私の代打井手ショートゴロ、木俣の代打新宅ライト前ヒット、菱川の代打坪井レフト前ヒット、一枝の代打西田センター前ヒット、三連打で一対十。秀孝、右中間前列にスリーランホームラン。一対十三。谷沢ライト前ヒット、高木の代打江藤省三、ショートゴロゲッツー。四つ目のゲッツーを食らった。後味が悪い。
 九回表、秀孝は三者連続三振で締めくくり、私たちをスカッとさせてくれた。最後の打者は河村の代打桑田だった。激しく拍手するネット裏と一塁ベンチ上のスタンドに手を振った。ヒデさんが、真っ赤な顔で手を叩いていた。
 三時二十五分。短い試合だった。秀孝の周囲にマイクと新聞記者たちが集まる。水原監督は彼の肩を叩いてねぎらい、私たちといっしょにヒーローインタビューの応答をニコニコ聞いた。
「オープン戦二勝目おめでとうございます。三振十二個は立派ですね」
「完投をまかされたので、張り切りました。オープン戦の初戦で投げてから十日以上休みましたから、肩が快調でした。うちは打撃陣がすごいので安心して投げられます」
「それにもまして河村投手から打ったスリーランは、ピッチャーらしからぬバッティングでした」
「らしくないはずですよ、マグレですから。コースも球種も憶えてません。プロ一年目のようなものなので、どんなことも一回一回マグレから始まります。いずれマグレでなくなったら思い切り褒めてください」
 秀孝がしゃべり終えると、私たちは彼といっしょに引き揚げた。廊下で臼山が近づいてきた。
「ひとこと頼む」
「必要な人間が必要な仕事をしました。そのためには人は必要とされなければいけないし、そのことを口や態度に表す仲間がいなければなりません。仲がよくないとそれは可能にならない。ただ個として分離し合いながら〈がんばれ〉じゃだめなんです。和の定義を知っていることと、和とは何かを理解することとはちがうんです」
「―サンキュー」
 ロッカールームで水原監督が、
「ゲッツー四つは腑甲斐ない。打球を上にあげる鍛錬をしてください。きょう金太郎さんがフリーバッティングで見せてくれたでしょう。あれはその見本だったんだ。ボールの下を叩き斬る練習だ。きょうの収穫は、代打がことごとく凡打という結果にならなかったことだ。三連打はみごとだった。代打で活躍するのは難しいことだからね。十八日は平和台だ。黒い霧の張本人が相手だ。おかげでうちは二人も冤罪者を出した。胸糞悪いから、二十点くらい取ってください。先発は小川くんでいくよ」
「ヨシャー!」
「オケ、オケー!」
 監督は私に、
「山口くんには祝電を送っておいた。これからミーティングと会食があるので駆けつけられないが、よろしく言っておいてください」
「はい、ありがとうございます」
 江藤が、
「ワシらも、この二、三日は家族孝行せんといけん。約束しとるもんやけん。すまんのう」
 中や高木や一枝がスマンというふうに手を挙げる。小川がめずらしく博多弁で、
「妻子持ちはつらか。山口さんにはよろしゅう言っといてくれんね。ワシからもチームの代表として祝電送ったけん」
「ありがとうございます。心をかけてくれて心から感謝します」
 小野が、
「女房のそばにいてやらなくちゃいけないんで、義理を欠くよ。ごめん」
「気にしないでください。小野さんは奥さんの唯一の拠り所です。いつもそばにいてあげてください」
 太田が、
「俺たちも義理を欠きます。すみません。これから研究と打ちこみです」
「わかってる。それがぼくたちの生きるすべだからね。がんばって。ぼくもあした山口を送り出したらもとの生活に戻る」
 戸板が、
「オラんども、コースと球種の研究です。吉沢さんが寮に泊まりこんでくれるはんで」
 吉沢が、
「女房とは後腐れなく別れましたから、身軽なんですよ」
「……そうですか。たいへんですね」
「貯金はぜんぶくれてやりました。文字通り、一からのやり直しです。すべて監督と神無月さんのおかげです」
 水原監督とコーチ陣が痛ましそうな目で吉沢を見つめた。
「きみのインサイドワークはセリーグナンバーワンだからね。金山くんら後進も鍛えてやってくださいよ」
「はい。仙吉や竹内たちは相当時間がかかると思いますが……。木俣と新宅で五、六年踏ん張ってください」
「わかりました。中日はあなたや、木俣くん、新宅くん以来、キャッチャーは不作ですからね。五年と言わず、十年はやってもらいましょう」




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