四十三
三月十二日木曜日。七時起床。曇。二・五度。下痢。シャワー。頭がサーンと鳴っている。サントスを一杯。
昨夜の十人と七時半からランニング開始。先頭に立って清水谷公園前から出発。時速十キロ程度。紀尾井坂へ出、すぐ右折、上智大学の裏手沿いのアスファルト道に入る。右手は事務ビルやマンション。緩やかな上り坂がつづく。エイショ、エイショと走っていく。いい運動になる。中と江藤が私の後ろについている。
「金太郎さんはストライドが安定してるね。カモシカのようだよ」
木谷千佳子、窓辺の少女……。新宿通りに出て麹町六丁目の信号を左折。ビルの狭間を走る。緑の並木の空が広い。太田と谷沢が先頭に出る。戸板と秀孝がつづく。私たちの顔を知っている通行人たちが、がんばって、と声をかける。手を挙げて応える。中が先頭に出、四ツ谷駅前の信号から階段を昇って堰堤に出る。桜が白く咲いている。松も植わっている。中が、
「ここは外堀土手と言うそうだ。桜のアーチだね」
上智大学の野球グランドが瞥見できる。粗末なグランドだが胸が躍る。左手に上智大学の正門を見下ろす。右手の彼方に大きな森を前景にした迎賓館が見える。
「あの森は東宮御所のある赤坂御用地だ」
地下鉄四ツ谷駅のホームを眺め下ろしながら走っていると、丸ノ内線がひょっこり顔を出した。ふたたび階段を駆け下りる。ニューオータニの円盤が目の前だ。
「往復十五分たい。よかランニングやった」
菱川が、
「シャワー後回し。めし、めし!」
千円均一バイキングの舟屋に入る。拍手が上がる。有名人になってしまった。何発もフラッシュが光る。やりにくい。窓際の四人掛けテーブル四つに陣取る。中と高木と一枝は焼き立てパンをいくつか、スクランブルエッグ、ベーコン、ウィンナー、生野菜サラダで軽めにする。
「白米ば食わんと力が出んばい」
江藤はトレイ二枚に和食の総菜を盛り上げる。私たちも全員それに倣う。私は下痢気味だったので、めしを粥にした。セルフのニューオータニコーヒーを飲んで解散。拍手に送られる。
「今度からはバラバラで食いにこんといけんな。落ち着かん」
高木が、
「ファンサービス。バラバラできても同じですよ」
なだ万弁を注文して部屋に戻ると、カズちゃんから電話が入った。ちょうど出勤前の時間だ。
「愛してる!」
「ぼくも」
「今夜帰る?」
「うん、晩めし食ったら新幹線に乗る。乗るときに時間を教える。名古屋に着くのはだいぶ遅くなると思う」
「みんな起きて待ってる。スノードーム届いたわ。直人大喜び。レコードは則武のほうにしまっといた。菊田さんと福田さんは元気だった?」
「大元気。上板橋の河野さんもきた。半年分がんばった」
「お疲れさま。こちらではゆっくりしてね」
「うん。十四日の山口のリサイタルが楽しみだ」
「土曜日の夜なので、結局ほとんど一家でいくことになったから、ハイエースもう一台レンタカーしたわ」
「ホールの席は?」
「追加分は二階席を連番でとれたからだいじょうぶ。じゃ、気をつけて帰ってきてね」
「うん、じゃ」
二時間の仮眠をとり、シャワーを浴び、淡青のユニフォームに着替える。胸ロゴはローマ字。ホームだと白色ユニフォームに胸ロゴは英語になる。金玉カップは付けない。膝上までの白いソックスを穿くときにいちばん緊張感が高まる。大小のクリの二つある濃紺のストッキングを重ねて穿く。クリの小さいほうが前だ。幅広のゴムのストッキングホルダーを膝下にはめる。ゴムを隠すようにソックスとストッキングをまとめて折り返す。上着を着、ズボンを穿く。ズボンの脛ゴムのくくりこみを調整する。穴二つ目でベルトを締める。ズック靴を履き、ダッフルを担ぎ、バットケースを提げる。ロビーに全員集合。なだ万弁当を受け取ってダッフルに入れる。水原監督が、
「さ、東京最後のオープン戦、いきましょう」
「ウース!」
フロント階からすれば地下にあたる一階駐車場に降りる。バスに乗る。真っすぐ桜田濠へ出る。内堀沿いに二松学舎大方向へ直進。曇り空が明るい。宇野ヘッドコーチが、
「スタメン一番から、センター谷沢、セカンド高木、ファースト江藤、レフト神無月、キャッチャー木俣、サード菱川、ライト太田、ショート一枝、ピッチャー佐藤進、番手川畑和人、以降の中継ぎは若生と田辺以外全員待機。若手優先で出していく。谷沢は三打席ノーヒットの場合は、中に交代。ダブルスコアになったら、疲労しないようにめいめい工夫してくれ。本能で打っちゃうだろうけどな」
太田が、
「二対一でもですか」
「八対四くらいからだ」
太田コーチが、
「あした帰るやつは、チェックアウト午前十一時、今夜帰るやつは何時でもオーケー。十四日のヤクルト戦は、十時までに中日球場集合」
足木マネージャーが、
「ユニフォームのクリーニング、受け取り忘れのないように。部屋に小物を忘れても次回の宿泊まで保存されますからだいじょうぶです」
「オース!」
スローモーションの笑顔。私も微笑む。九段坂上を右折、田安門、九段下、靖国通り、神保町交差点左折、水道橋を渡る。十時十分前、後楽園球場到着。どやどやとロッカールームへ。みんなと挨拶し合い、スパイクを履く。紐を固く締め、甲革をギュッと引き上げる。水原監督の檄。
「東京の最後をきちんと締めくくりましょう。きょうも精いっぱいいこう」
「オシャ―!」
ベルトを指でしごく。十一時、グランドに上がる。東映の選手は一塁ベンチの中にたむろし、ベンチ前に眼鏡の松木健次郎監督がポツリと立っている。バックネット前やバッティングケージの後方に報道陣がたむろしている。内野スタンドは工事途中のジャンボスタンドのごく一部とネット裏を除いて、びっしり満員だ。外野スタンドは六分の入り。スコアボードの旗が垂れている。
マネージャー、コーチ、トレーナーも含めて、三十人ほどで列をなし、フェンス前を一周する。すぐにフリーバッティングに入る。レギュラーの一番と二番、三番と四番というふうにカップルでケージに入る。バッティングピッチャーは門岡信行と松本幸行。松本は打撃投手をやりながら二軍調整ということか。名古屋に戻ったら、二軍どっぷりになるだろう。私は森安にシュートを警戒させる目的で、門岡のシュートを踏みこみと屁っぴり腰でレフト線に打つ練習を五本やってやめた。一本レフトポールに当てた。
東映の守備練習。私たちは弁当の時間。十五分間。なだ万弁当はめしが少ないので食いきれる。
トンボが去り、務台嬢のアナウンスが淡々と流れる。中から一枝まで中日ドラゴンズのスターティングメンバーが発表されていく。ピッチャー佐藤というところで、スタンドからかすかな失望と侮りのため息が洩れた。
「……つづきまして、後攻東映フライヤーズのスターティングメンバーをお知らせいたします。一番センター白(はく)、センター白、背番号7、二番セカンド大下、セカンド大下、背番号1、三番レフト張本、レフト張本、背番号10、四番ファースト大杉(大歓声が湧き上がる)、ファースト大杉、背番号51、五番ライトモートン(静まり返る)、ライトモートン、背番号25」
知らない選手だ。今年入団した助っ人だろう。
「六番サード佐野、サード佐野、背番号4、七番キャッチャー作道(さくどう)、キャッチャー作道、背番号29」
知らない。江藤に、
「どういう選手ですか」
「知らんなあ」
周囲のだれも答えない。
「八番ショート大橋、ショート大橋、背番号3、九番ピッチャー森安、ピッチャー森安、背番号26。球審は砂川」
審判に詳しい太田が隣の江藤に、
「砂川恵玄(けいげん)、沖縄出身パリーグ初の審判員です。プロ野球歴なし、琉球空手の達人と聞いてます」
「うかつに抗議できんのう」
「塁審は一塁久喜、二塁村田、三塁中川、線審はライト道仏、レフト田川、以上でございます」
ほとんど聞いたことがない名前ばかりだ。オールスターか日本シリーズで一人二人聞いた覚えはある。始球式はなし。東映陣が守備に散る。私はブルペンの佐藤のピッチング練習を眺めた。十年前の北海高校のエースで四番。昭和三十八年に富士製鐵室蘭から国鉄スワローズ入団、生え抜きで七年やって今年ドラゴンズにきた。スリークォーターの変化球ピッチャー。コーナーワークがいい。どこまでいけるか。
森安の投球練習。ひたすら速球とシュート。なんとかなりそうだ。
ベンチ前に円陣をを作りスクラム組んで姿勢を低くする。観客がめずらしがってざわつく。江藤が、
「二回、声出し、いくばい。フシをつけたらいけんぞ。そーれ」
「ヤッヤッヤーヤ、ヤッヤッヤヤ、そりゃ!」
「ヤッヤッヤーヤ、ヤッヤッヤヤ、そりゃ!」
「オッシャー!」
「イクゾー!」
みんなぞろぞろベンチに退がる。
「プレイ!」
一番谷沢、三振、高木フォアボール、江藤レフト張本の前へワンバウンドのヒット、私シュートを引っかけてライトモートンの前へ当たり損ねのヒット、高木還って一点先行。ワンアウト一、二塁から木俣三振、菱川レフトオーバーの二塁打。張本がもたつく間に江藤と私が還って三点目、菱川は二塁ストップ。七番太田、真ん中カーブを叩いてセンターオーバーのツーランホームラン。五点目。一枝三振。
二回から交代した金田留広にもこの調子で長短打を浴びせ、五回までに七点をもぎ取った。中に江藤のレフト場外へのスリーラン、私のライト場外へのソロが含まれていた。今年二回目か三回目ののアベックホームラン。もう数える必要はない。今年も二人の打棒が健在だとわかるだけでいい。
佐藤は五回終了までに、張本と作道の二人にソロホームランを打たれたのみの失点二でマウンドを降りた。温厚そうなボヨンと大きい顔が笑った。十二対二。ダブルスコアは遠のむかしに超えている。
六回表、谷沢三回目の打席、きょうは二打数ヒットなし。ピッチャーは三人目の長身宮崎昭二。九年目、二十六歳。中継ぎで登板数と交代完了の非常に多い右ピッチャーだ。スライダーが決め球。谷沢はそのスライダーを狙って、ついにプロ入り初ホームランを打った。ライトの上段まで持っていった。彼の喜びようは尋常ではなく、飛び跳ねるようにダイヤモンドを回ると、水原監督と長いこと抱き合った。それから私たち一人ひとりとも熱い握手をし、ベンチの隅でタオルを顔に当てて泣いた。よほどホームランを打ちたかったのにちがいない。バットに命を懸ける野球選手なら当然のことだ。私はベンチの隅へいき、
「谷沢さん、いまのスイングとインパクトの感触を忘れないうちに、ミラールームへいって五十回以上バットを振ったほうがいいですよ。次打席から交代ですから」
「はい!」
谷沢はベンチ裏へ出ていった。十三対二。手を緩めない。二番高木、無理せず左中間手前に落とすヒット。三番江藤、センター前ヒット、私一塁線二塁打、二者生還、十五対二。こういうときに江藤の足が速いことがわかる。五番菱川、ライトスタンド中段へ高いフライで放りこむツーランホームラン。十七対二。太田、三塁強襲内野安打。一枝レフトライナー。佐藤の代打千原、セカンドゴロ、4―6―3のダブルプレイ。
佐藤に代わって川畑がマウンドに立ち、力投かつ好投した。六回裏から九回裏まで打者十六人、被安打三、四球一。三本の安打のうち一本は、フォアボールの張本を一塁に置いて大杉を三振に切って取ったあと、モートンの代打毒島に右中間へ打たれたツーランだった。十七対四。
七回表から東映のピッチャーは左のオーバースロー中原勇が出てきた。社会人からきたドラ二の新人。ストレートが速く、決め球のカーブが切れた。九回まで打者十三人、中をショートゴロ、高木をセンターフライ、江藤をショートフライ、私をセカンドゴロに打ち取り、木俣に左中間二塁打、菱川レフト前ヒット、木俣は張本の弱い肩を見越してホームイン、十八対四。太田三振、一枝サードフライ、川畑三振、中右中間三塁打、高木ライトへ犠牲フライ。十九対四。江藤ショートライナーで全攻撃終了。凡打はことごとくカーブに惑わされたものだった。
四十四
四時五分試合終了。十九対四でドラゴンズの勝利。勝ち投手佐藤。負け投手森安。オープン戦六連勝。あとは名古屋に帰るだけだ。きょうも水原監督と勝利投手をインタビューに残し、記者たちから隠れるようにして仲間たちといっしょにロッカールームへいく。試合が終わると急にきつく感じるスパイクを脱ぎ、運動靴に履き替える。二指と三指が変形している足が解放される。江藤が、
「オフとキャンプ前の自主トレをなるべく合同でやらんようにて決めた球団は、うちだけらしか。最初新聞は、プロにあるまじき規制なぞと叩いとったばってん、オープン戦に入ったら何も言わんようになったな」
小川が、
「合同自主トレとは比べ物にならないくらい、ドラゴンズの選手の日々の鍛え方がちがうってわかったんだろう。ふだんから鍛えてないやつは、オフの時期に烏合して練習するなんてことに頼るんだよ」
中が、
「ドラゴンズの規制は英断だった。中日はむかしからコーチの数を少なくして、選手の練習に口出しするのをなくすようにしてきたチームだ。今回はそれを徹底させたんだね。合同トレとなると、休暇中のコーチを責任者として引っ張り出すことになる。自然、追加給料が発生する。球団の無駄な出費だね。たとえ引っ張り出さなくても、自発的に出てくるコーチがかならずいる。教えたくてウズウズしているからね。しかも、それにも追加給料が発生するんだ。どうやっても球団の出費が避けられない。金を出していいことがちっともない」
高木が、
「彼らの〈指導〉が、せっかくのんびり自主トレしている選手のお荷物になる。荷物どころじゃなく、癌になって、選手生命まで奪われるやつも出てくる。中日も放任主義でなかったころはそういう悪い癖を持ったコーチが多少いた。いまはまったくいない。他チームにはいまもかならずいる。そういうのが出てくる危惧を中日ドラゴンズはぜんぶズバッと断ち切った。むかしから放任主義が徹底してるから、杞憂だとわかっていてもね。しっかり選手もコーチも休むべき時期に休ませるためだよ」
一枝が、
「試合に出る力が自分にないから、試合に出る選手のために自分のできるだけのことをする。それが口出しすることじゃなく見守ることなら、全力で見守る。それが監督やコーチやトレナーや、ほかのスタッフたちの仕事だ。そのことをじゅうぶんわかっている球団が中日ドラゴンズだ。十二球団の中でそうしてるのはうちしかないことを証明するような規制だったんだよ。強さの秘密の一つがそれだ。その体制があるかぎり、うちの強さは衰えないよ。むかしから優勝してあたりまえなほど強かったのに、二位ばかり。でなければ六位。去年優勝して本来の強さに戻ったのは、本物の〈指導〉ができる本物の〈見守り〉役が現れたからだよ。これからは優勝ばかりになる」
みんなで私を見る。
「ぼくですか? ぼくは自分を見守ってるだけですよ」
水原監督と佐藤とコーチ連中が入ってきた。水原監督が、
「自分をしっかり見守れる人間は、他人もしっかり見守れる。他人も自分の細胞や血管の延長だと思ってるからだ。金太郎さんにもできないことがある。既婚者の野球以外の愚痴を聞いてやることだ。そのためにコーチがいるんだから、せいぜい頼りなさい。金太郎さんに相談したら、別れろなんて切り捨てられるよ。ハハハハ」
私は、
「そうかもしれません。ぼくには、何かに勝とうとしてる人に勝負を捨てさせるような忠告をする癖があります。家庭の問題も一種の勝負でしょう。女房に勝つ、子供に勝つ、世間の目に勝つ、すべて自分のプライドを捨て切れない人がやりたがる、勝ってもしょうのない人生勝負です。むだな勝負をしてる人は、ぼくには不快に感じられます。信じないと思いますが、ぼくは人に勝って喜ぶ性格ではありません。勝負にこだわる言動そのものが不快なんです。そんな不快を与える人でも、いいところが見えると感激してしまって、気が重くなるんです。勝手にがまんしてろという気持ちにはならずに、痛みをがまんしつづける生活を解放してあげたくなるからです。痛みをがまんしてると孤立するので、ぼくだけでも寄り添ってやりたくなる。その結果が〈捨てろ〉というきつい言葉になります」
秀孝が、
「打たれてしまえ、ですね」
「はい」
菱川が、
「がまんしないでいっぺん捨てた気になってがむしゃらにがんばれば、神無月さんみたいに強くてやさしい人が激励してくれるんだよ。もちろんいい結果が出る。俺は、プライドを捨てたとき、神無月さんが〈見えた〉」
太田コーチが、
「金太郎さんも野球は勝ちたいんだろう」
「はい、野球は人生でなくて、娯楽ゲームですから。ゲームは勝たないと娯楽になりません」
杉山コーチが、
「人生は負けてもいいという言葉は重いね。……谷沢、ホームランのあと、すぐにバット振ってたな」
「はい、コースとインパクトの感触を忘れないために五十本振るようにと神無月さんに言われて」
「浮かれ気分を捨てさせられたわけだ。金太郎さん本人もそれをかならずやってるみたいだぞ」
「ワシもやっとる。二十本」
「俺も」
「俺もだ」
「総大将、これからも見守りよろしく!」
よろしくという蛮声が重なって上がり、拍手が湧いた。
バスに乗って後楽園球場をあとにする。しばし、東京とお別れ。またすぐに川崎に戻ってくる。足木マネージャーが、
「今夜は六時から十六階中宴会場ラピスで会食です。すぐ帰らなければならない事情のあるフロントおよび選手は参加しなくてけっこうです。そうでないかたは、なるべく参加してください。和洋中のバイキングをテーブルでいただく形式です。小山オーナーと白井中日新聞社主と村迫球団代表は、二十六日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦のあと、名古屋観光ホテルでの会食にお見えになります。そのときにオープン戦の優勝が決まっていれば、祝勝会を兼ねることになります。当日は、ザ・ピーナッツが三曲歌うことになっています。派手にやらずにその程度で抑えます。ザ・ピーナッツは熱狂的なドラゴンズファンなのでサインをねだられると思いますが、どうかよろしくお願いします」
江藤が、
「ザ・ピーナッツは森徹のファンやったろう。中日球場に二人で森ば訪ねたとき、バットにサインしてやったて聞いたばい」
井上コーチが、
「私は森と四年間いっしょにプレイした。三十六年だったかな、彼がトレードされることになった年だよ。旅館で相部屋になったとき、彼からザ・ピーナッツの話を聞いたことがある。俺のマスコットだと言ってたな。おかしなくらい純朴な男でね、ピーナッツのようなかわいいファンのいることはじつにうれしい、俺とピーナッツはファン同士であると同時に、勝負の世界に生きる者同士なんだ、彼女たちのために毎試合ホームランを打ちたい、励まし合って一生懸命がんばりたい、なんて小学生みたいなことを真剣な顔で言ってた」
「いま森さんはどうしてるんですか」
中日を追い出されて以来の彼のさびしい末路をおおよそ聞き知っているのに、あえて問いかける。ほんとうに〈いま〉の彼のことを知りたいからだ。がむしゃらに野球に邁進していただけの少年に死を垣間見せて未来へいざなった男。―ただの野球選手ではないのだ。
「おととし濃人がオリオンズの監督になって干されちゃった。どこまでも運の悪い男だ。その年の暮れに引退した。去年は東京ドラゴンズという怪しげな独立球団を設立して、立ち上げたばかりのグローバルリーグというのに参入して監督兼選手をやった。かなり張り切ってたみたいだけど、リーグ自体が一年で立ち消えになったから、森の野球活動も自然消滅した形になっただろうね。いまどこでどうしているかは知らない」
中が、
「森徹は金太郎さんにとって忘れられない人だろうけど、彼がかわいがったザ・ピーナッツもある意味、金太郎さんに因縁があるんだよ。聞いたところでは、金太郎さんが野球に夢中になりはじめたのが、横浜から名古屋に移り住んだ昭和三十四年、伊勢湾台風の年だね。愛知県出身のザ・ピーナッツが十八歳でデビューしたのもその年なんだ。大した因縁じゃないかもしれないけど、どちらもそこが人生の分岐点であることは確かだ。名古屋観光ホテルで、そういうことを念頭に置いて彼女たちの歌を聴けば、胸に沁みるものがあるだろうね」
ホテルニューオータニ到着。駐車場からこぞってロビーに上がる。太田が、
「バイキングなら、菱川さんの独り舞台ですね」
「いやあ、舟屋ほどうまくないから腹いっぱい食えない。適当にいく」
「俺、今夜帰りますよ」
「俺も。どうせ神無月さんもそうだろう」
「はい、いっしょに帰りましょう」
「ワシも帰るぞ。自宅組は泊っていくやろう」
高木たちが、
「おう」
と応える。水原監督が、
「私たちも泊まってゆっくり帰ります。あ、それから、孫のレコードの件ではみなさんにずいぶん義理を尽くしていただきました。ありがとうございました」
「売れ行きはどげんですか」
「ふた月ほど売れて落ち着いたと聞きました。私の監督就任とドラゴンズの快進撃を祝してということで、降って湧いた話でしたから、かえって孫に迷惑をかけた格好です。彼女の人生にはいい記念になったでしょう」
頭を下げ、背番号68がコーチたちと去っていく。秀孝が、
「オリコンチャートで二十何位まで上がってると太田さんが言ってましたよ」
その太田が、
「年末までにはトップテンに入るんじゃないですかね」
カウンターで大型の段ボール紙を一枚受け取り、部屋に戻る。ユニフォームを脱ぎ、帰宅のための後片づけをする。段ボール箱を組み立てた荷箱を送り返すのは私と高木だけだ。小川、木俣、小野、一枝、伊藤久敏、水谷寿伸、ほかに今年の移籍組ら自宅へ帰る者たちは、大きな肩掛けのスポーツバッグとダッフルに三日分の荷物を詰めて部屋に置き去りにする。そういった荷物はホテル付きの輸送業者が取りまとめて郵送する。中はグローブだけは小バッグに入れて持ち帰る。私もグローブとスパイクと、シェーバー、枇杷酒、爪切り等を入れたダッフルは担いで室をあとにする。
控え選手たちのほとんどは、最終日だけはロッカールームで私服に着替え、ユニフォームもグローブもバットもほかの用具もすべて、ロッカールームにやってきた球団付きの輸送業者に預ける。寮住みの江藤たちレギュラーもその式に入っている。それらの荷物は選手の指定した場所に一日で届く。昇竜館か中日球場だ。フロントに電話する。
「コーヒーのドリップセットと挽き粉は部屋に置いていきますので、預かっておいてください」
「承知しました。あとでカウンターのほうにお預かりして、次回ご来泊の際にお部屋にご用意しておきます」
「よろしく」
ビニール袋に下着類とアンダーシャツ、ストッキング、ジャージ、タオルなどを入れて段ボール箱の底に敷き、二式のユニフォームを畳んでその上に置き、本やノートや筆記用具、帽子とベルトを載せる。箱を閉じ、バットケースを載せて終了。
シャワーを丁寧に浴び、最後の下着に替えて、ブレザーを着る。そろそろ六時だ。鍵を持ち、ダッフルとバットケースを担い、段ボール箱を胸に抱えて階段を降りる。フロントに箱とバットケースを預け、鍵を返し、ラウンジへいってココアを注文する。新聞を眺める。万国博いよいよ二日後開幕の見出し。こういうイベントに浮かれる心持ちを生涯懸けて〈理解〉しなければならない。理解するだけでなく、私も浮かれるようにならなければならない。
宿泊客たちが、ココアをすする私の傍らを通り過ぎるが、足を緩めても声はかけてこない。気難しい人間だという評判が定まっているからだ。この人たちのために私はホームランを打ちつづける。それが彼らの幸福になると信じているからだ。何を信じるかは関係ない。信じて何をするかだ。
四十五
ダッフルを肩に、エレベーターで十六階へ昇ってバイキング会場に入る。三十人ほどが集まっている。東京に本宅のある水原監督や宇野ヘッドコーチ、徳武コーチ、小野、千原、谷沢、佐藤進、前橋に寄る中、また昇竜館に先んじて帰るトレーナー連中、日本の東西へ暇なく移動するスカウトや先乗りスコアラーといった人たちの姿はない。
江藤たちと同じテーブルにつく。太田が、
「神無月さんの守備を見てると、楽々捕球してるように見えますけど、多少は苦労してるんでしょう?」
「大いに苦労してる。外野守備は簡単じゃない。打球がかならずと言っていいほど変化するからね。東京球場と後楽園球場はラインぎわのフライは捕りやすい。内野の二階席が高い影響で風が舞ってるから、ボールがフェアグランドに押し戻される。フェンスを気にしなくてすむ」
「簡単でないのはどういう打球ですか」
「打球が伸びたり縮んだり、浮き上がったり、ドライブがかかったり、ナックルのように沈んだり、スライダーやシュートみたいな打球もある」
「浮き上がるというのは?」
「芯を食った打球だね。芯食いの打球はとにかく飛ぶから、全力で背走しなくちゃいけない。あっという間に頭上を越えていっちゃうことも多い。逆にドライブがかかる打球はボールの芯より上を叩いたものだから、上昇しないで曲がってくる。芯より先に当たるとフック、後ろに当たるとスライス。田淵の打球だ。そういうのは処理範囲の内だけど、バットの真芯に当たって回転の少ないやつがいちばん厄介だ。まるでナックルだね。からだの真正面に飛んでくるといちばん困る」
「打球音は?」
「大して重要じゃないね。飛距離のおおよそがわかるだけ。打者の種類で音を聞き分けるほうが難しい。スイングのするどい強打者が芯を食うと、カーンというきれいな音はしない。ガスッと言うか、バグッと言うか、妙な音がする。巨人の土井のような非力なバッターが会心の当たりをするとカーンという音がする。強打者も芯を食わないとカーンという音がする」
とおりいっぺんの和洋中だったので、種々の天ぷらを大根おろしと天ツユのタレに浸して齧り、どんぶりめしを掻きこむ。それと菱川をまねてステーキを一枚食った。満腹。
周囲の人たちに挨拶をして会食場を出る。江藤、太田、菱川、秀孝、戸板、私。ダッフルを担いでいるのは私だけだ。遠征帰りにはいつもそうなので、だれも異なことと思わない。ホテルの玄関からタクシー二台に分乗する。品川駅へ。八時十九分発のひかりがあったので、構内から北村席へ電話を入れる。太田が、
「名古屋着十時六分か。寮へ直行、バタンキューですね」
「ほうやの。あしたのランニングコースば決めてから寝ろう」
菱川が、
「朝めしのあと、アップを二十分くらいやってから、室内練習場で太田と打ちこみます」
戸板が秀孝に、
「少し投げこみますか」
「うん、三種の神器をしてからね。直球だけ三十球ぐらいでいいんじゃないかな。あさってどちらかが先発か中継ぎだったら、ブルペンでも投げられるし」
「はい」
めいめい週刊誌や新聞や缶ビールを買い、ひかりに乗りこむ。私も週刊ベースボールと缶ビールと袋入りの不二家ミルキーを買った。二時間近く活字に目を落としつつ会話をする旅になる。
缶ビールを含みながらページをめくる。大リーグ関連のコラムに〈最後の四割打者〉であり〈史上最高の左翼手〉であり、三冠王を二度も獲得したテッド・ウィリアムズのことが書かれていた。百九十一センチ、九十三キロ、ほぼマッコビーと同じ体格だ。江藤と同じ背番号9、私と同じ右投げ左打ち。
今シーズンは投手に詳しく研究されるにちがいないし、オープン戦の感触からして、打率が四割台に落ちるだろうと思っていたので、その記事に引きつけられた。終戦直前、昭和十年代半ばの話だった。思ったとおり、彼はその年、シーズン当初七割近い打率を誇っていたが、やがてピタッと四割台に落ち着き、最終試合までそれを維持していた。
テッド・ウィリアムズは十万人に一人というすばらしい動体視力を持っていたため、選球眼がよかった。彼はインコースの球を見送ることが多かったが、その九割がボールだった。判定に文句をつけないという点でアンパイアにたいへん評判がよく、その贔屓もあったかもしれない。それとは関係なく何よりも彼が四割を打てたのは、一シーズン通してムラなく打ったからである。夏場に四割を切らないということが大きかった。
最終試合のダブルヘッダーを前にして、彼の打率はちょうど四割だった。ここでレッド・ソックスの監督クローニンは、ウィリアムズを四割打者にしてやるために休むよう勧めたが、ウィリアムズは二試合とも出場して八打数六安打をマーク、打率を六厘も上げたのである。天才打者でなければできない芸当であった。
試合数百四十三、打数四百五十六、安打百八十五、打率四割六厘、本塁打三十七、単打百四十八、二塁打三十三、三塁打三。足が遅かったせいで内野安打なし。内野安打なしで四割達成は脅威的な記録だと書かれていた。しかも二十三歳一カ月で史上最年少。
ノーネクタイ、タバコを吸わない、マスコミに不愛想、圧倒的な実力にも拘らず大衆の人気を得られなかった。しかし専門家筋では確とした支持を集めていた。
四割打者や三冠王は彼以前に何人もいる。彼のことがいまなおこれほど取り沙汰されている理由を考えた。昭和十六年(一九四一)はアメリカでテレビ放送が始まった年だということがおそらく関係しているだろうと判断した。人びとは長嶋茂雄のように〈目〉で強烈な印象を与えられたのにちがいない。
この記事に併記されていたほかの選手の記録を見て、ベーブ・ルースと、やや衰えはじめたがいまなお現役のハンク・アーロンが三冠王を獲っていないことに驚いた。ゲーリックもマントルも獲っている。マッコビーは本塁打王しか獲っていない。しかも、去年の四十五本が最高だ。……私の記録はいったい何なのだろう。自分が恐ろしくなる。何かのマチガイにちがいない。
「なんば真剣に読んどると?」
「江藤さんと同じ背番号のテッド・ウィリアムズです。ここのその他の記録を見てください。ベーブ・ルースでさえ三冠王を獲ってないんですよ。……ぼくは野球選手として〈触らぬ神〉じゃないでしょうか。触れば祟ります。ぼく自身も自分の存在の意味を考えたくなくなりました。百六十本、六割、そんなの超常現象ですよ。こんなやつの延命は怪しいことこの上ない。恐ろしい。みんなに懸命にすがって生きないと、煙のように消えてなくなりそうです」
「……金太郎さん、心配しなしゃんな。おかしな慰め方ばってんが、今年かならず金太郎さんの成績は下がる。それでも人並み以上やけんしょむなかたい。世界一に生まれついたっちゃん。そこまでで手を打って、ひたすら辛抱せれ。ワシらは金太郎さんに触ってご利益ばいただいたけん、心の底から感謝しとるばい。存在の意味がなかなんぞと、悲しかことば言うたらいけん」
菱川が、
「一試合に一本強のホームラン、おかしくないでしょう? 一試合に二本強のヒット、おかしくないでしょう? ただ、ふつうの人が連続してできないだけの話で、ふつうでない人にはできますよ。超常現象じゃありません。神無月さんが並外れているというだけの人間界のできごとです。だから一人も科学者が乗り出してこない。才能と努力の賜物を科学じゃ研究できないからですよ。今年はたぶん二試合に一本強、二試合に三本強のヒットに落ち着くと思います。ホームラン八、九十本、打率四割二、三分と俺は踏んでます。三冠王は引退まで獲りつづけると思いますよ。何試合も連続で打てるときもあれば、何試合も連続で打てないときもあるでしょう。ほんとに安心して、バンバンやってください」
秀孝が、
「不思議なことで悩んでる人もいるんですね。過去の記録は見て、そこへ自分を当てはめないほうがいいですよ。神無月さんは未来を創る人ですから」
「こういう能天気でへたくそな論評記事を読んでくつろいだほうがいいですよ。神無月さんが悩んでいる世界とはちがって、滑稽なくらい平和です。人間なんてこんなレベルで生きてるんですよ」
太田が報知新聞を広げて読みはじめた。
オープン戦で巨人が中日に負けた。昨シーズン以来「巨人は中日に弱い」というイメージを持っているのは私だけではないのではないか。負け方を見ても「力負け」しているという印象が強い。
なぜ「力負け」するイメージが強くなるか、今試合に象徴されていた。失点した回に打たれた安打はすべてきわどいコース狙いで攻めて打たれたもの。「攻めた」と言うと語弊があるかもしれない。きわどいコースを攻めようとして甘くなった球を痛打されたと言い換えたほうがいいだろう。
まず、巨人の先発小笠原の特性を考えてほしい。そこそこの球威はあるが力でねじ伏せるタイプではない。コースを狙って投げる直球系の球は、ボールゾーンの「見せ球」として使うのが基本で、甘くならないように気をつけなければいけない。中日の打者は、真っすぐを待って変化球に対応する打者が多い。このようなタイプは速い真っすぐへの意識が強く、特に内角寄りの直球系の球に差しこまれないように備えている。いくら備えていてもきびしいコースであればヒットを打てない。もちろん甘いコースに投げた小笠原は反省しなければならないが、リードする吉田も中日打線の特性を考えることが必要だったろう。
ピッチャーが甘いから打たれたという一般論を言っているだけで、中日打線の技能や特殊性に言及していない。つまり、巨人が中日に弱いのではなく、どのチームも中日に弱いという自明のことを言おうとしないのだ。ドラゴンズの真価を等閑に付そうとしている。作為的だ。
とは言え、きびしいコース一辺倒では中日打線を抑えられない。そこで大事になるのはコースの使いどころだ。この「コース」の使い方が悪いから「力負け」の印象が残るのだろうと思う。
いっぽう巨人打線は、速球派の多い中日投手陣にコースと言うよりは「力」で抑えこまれている。このように投打で「力負け」するから「巨人は中日に弱い」というイメージがふくれ上がるのだろう。五連覇の途切れた昨シーズンの対戦成績は五勝十九敗二分け。惨憺たるものである。今シーズンの対戦では少なくとも五分の成績まで引き上げ、常勝巨人の意地を見せてもらいたい。
太田は、
「ありきたりな技術論をへたくそな野球バナシにして、無記名で書いてます。こんなくだらない記事でも責任をとるのが怖いんでしょう」
私は、
「甘くなければ打たれないという結論はまちがってる。甘くなくても、打つバッターは打つ。そもそも、甘く投げたから力負けしたという言葉の意味がわからない。甘さと力は関係ない。威力のあるピッチャーは甘く投げてもなかなか打たれない。野球に力勝ちとか力負けなんてものはないんだよ。頭が悪い」
江藤が、
「甘く投げなかったのに打たれるゆうんはよくあるこっちゃん。それは技術の問題で、たしかに力とは関係なか。野球は腕相撲やなかけんな。力は力でも能力ばい。小笠原のことをもともと力でねじ伏せるタイプやなかと書いとるのもまちごうとる。あれは球威抜群のピッチャーたい。コース云々で打たれたんやなか。単にうちの打撃能力が上やったということにすぎん。ほんなこつ頭の悪か」
戸板が、
「甘い球だから能力がなくても打てたということにしたいんですよ。負け惜しみですね。ドラゴンズ打線は能力のかたまりなので、きびしい球でも打ちます。そこを書けば救いようがなくなるんでしょう」
私は不二家ミルキーの袋を破って、一つひとつみんなに手渡した。
「お、ペコちゃんポコちゃんやな。話では知っとっても、食うのは初めてばい」
太田が、
「俺もですよ」
みんなめずらしそうに包み紙をほどいて白い粒を口に放りこんだ。
「おお、甘い牛乳たい」
菱川が、
「報知は読売系、デイリーは阪神系、この二紙は天地がひっくり返っても他チームの強さを認めない。ま、新聞がどう吠えたところで、ドラゴンズにはそれこそ〈能力〉でしか勝てないですよ」
私は、
「怖いのは団結力です。団結してぶつかってこられると、押し返すのに苦労して、取りこぼしが出ます。それが水原監督の言う三十敗から四十敗ということでしょう。取りこぼしを反省しながら、坦々と勝ち進んでいきましょう」
「オース!」