五十五
十時二十八分の中央線快速東京行に乗る。二日間の東京巡礼が無事に終わった。東京駅のホームで報知新聞を買う。春に来日するサンフランシスコ・ジャイアンツの全メンバー三十六人が発表されている。
新幹線のグリーン車で報知新聞を読みながら帰名する。サンフランシスコ・ジャイアンツのメンバー表に目を凝らす。投手十二人。マリシャル、ベリー、マコーミック、リンジー、ブライアント、リバーガー。中に四十歳のマクマホンというピッチャーもいた。野手陣二十四人。打撃成績を目安に見ていく。捕手、ディーツ、ハイアット。内野手、マッコビー、ハント、レイニアー、ダベンポート、メーソン、フエンテス、バーダ。外野手、ボンズ、メイズ、ヘンダーソン、ハート、ウイティカー、ゴスガー。盗塁が多いのは、ボビー・ボンズ、三振が多いのもボンズ、四球が多いのはマッコビー、三割打っているのも三十二歳のマッコビー一人。二十勝あとさきのピッチャーは、マリシャルとベリーのみ。彼らも三十二歳と三十一歳だ。
オープン戦期間中に九試合予定されているようだが、日本チームは善戦どころか五勝以上するのではないかと感じた。そんなことより私は、ただマッコビーに会えるということがうれしかった。三月二十一日の東京スタジアムの巨人戦を皮切りに、二十二日東京スタジアムのロッテ、二十三日下関球場ダブルヘッダーはロッテ、大洋、二十五日大阪球場ダブルヘッダーはロッテ、南海。二十六日にようやく中日球場でドラゴンズ戦がある。マッコビーに会えるのはその日だ。なんと翌日の二十七日も中日球場のドラゴンズ戦になっていた。去年優勝したからだろう。二十八、二十九日は東京スタジアムでロッテ二連戦となっていた。ロッテ戦も異常に多い。
雅子が電話を入れたのだろう、新幹線の改札に主人と菅野が迎えにきていた。歩きながらさっそく日米戦の話になる。主人が、
「サンフランシスコ・ジャイアンツは五年連続ナショナル・リーグ地区二位のチームです」
「え、そんなに強いんですか」
「はい」
「じゃ、勝ち越せそうだと思ったのは甘かったな」
菅野が、
「いえ、マッコビーと主戦の二人のピッチャーを除けばこれといった選手がいないので、勝ち越せるかもしれませんよ」
「ロッテ戦が五試合もありますね」
「金を出してサンフランシスコ・ジャイアンツを呼んだのがロッテだからです。日米の開幕戦を巨人にするのは日本のしきたりみたいです。関東地区のプロ野球中継は九割方巨人戦ですからね。ロッテの永田オーナーは忸怩たる思いでしょう」
主人が、
「日米戦は全戦テレビ中継するそうや」
「オープン戦なのに」
「はい。ナショナルリーグホームラン王のマッコビーと神無月さんのホームラン競争になるやろな」
「九試合か……。十本は打ちたいですね」
「打つでしょう。オープン戦全体では二十本いくんやないかな」
「今年の明石キャンプには女を差し向けないということで話が決まりかけたんですわ。二年目の神無月さんにマスコミの注ぐ眼が、去年よりずっときびしいものになるにちがいあれせん、そんなことされたら神無月さんの行動や気持ちが窮屈になってまう、てな」
菅野が、
「ひょっとしたことでギックリ腰にならないともかぎらないし。ハハハ。ま、それは冗談で、お嬢さんが、若い男がひと月も出さないと体調がおかしくなる、キャンプ中に二回ぐらいのことだからだれかにいってもらうと言って、結局昨年どおり百江さんがいくことになりました」
「孕む心配がないゆうことでな。五十女にはマスコミも注目せんやろ」
「ご配慮ありがとうございます」
主人が、
「ひと月間禁欲ゆうんは、ワシら中年でもきついものがあるでな」
「だいじょうぶなんですけどね。気心知れた女がその気で誘いかけてこなければ、何カ月も性欲が湧かないタチですから」
北村席に帰り着き、ソテツ、イネ、幣原、千鶴に玄関に出迎えられる。式台に迎えたほかの女たちに座敷へ引かれていく。学期試験真っ最中の睦子と千佳子はいない。直人は保育所。ゆったりとした午後のひとときをすごせる。キッコや優子たちと茶を飲んでいた女将に、
「お母さん、首と手がとてもきれいですけど、何か塗ってるんですか」
女将はニッコリうなずき、
「四、五年前から××クリームを風呂上りに塗っとる。コラーゲンゆうのが入っとるらしいわ。和子も使っとるわ。ピンと皮膚が張る感じがするけど、そんなもの塗るより、コラーゲンたっぷりの食べ物を食べるほうが効果的やけどな。豚足、鶏皮、手羽先、軟骨、牛筋、牛テール、豚バラ肉なんかな。ほかにはスッポン、フカヒレ、エイヒレ、魚の皮、うなぎ、なまこ、鰈、エビ、くらげ。お菓子みたいなものでは、ゼリー、プリン、杏仁豆腐もええわな。食べすぎたら何の効果もあれせんよ」
嫌いなものが多かったが暗記した。吉祥寺に書き送るつもりはなかった。かえって傷つくだろうと思ったからだ。
「そのクリームを吉祥寺に送るようにカズちゃんに言っといてください」
「ほいよ。家をくれた女の人やね。神無月さんもよう気が回る人やなァ」
トモヨさんが目を輝かせて聴いていた。加齢が気になるのだろうが、彼女の首も手もピカピカだった。
「菅野さん、走りましょう」
二時。ゆったりとできない血が騒ぐ。
「おいきた」
東京で買った小冊子二冊を主人に渡し、ジャージを着る。
「いってきまあす!」
名古屋駅のコンコースを早足で抜け、中央郵便局前へ。那古野町電停に向かって走り出す。菅野が、
「ひさしぶりに花屋でめしを食いますか」
「そうしましょう」
「さっき神無月さんの言ってたこと、気心知れた女が誘いかけてこなければって話、ある意味一穴主義じゃないですか?」
「精神的にね。実際してることは多穴ですけど」
「気に入った女はぜんぶ和子さんの分身ということでしょう?」
「はい。みんなカズちゃんだと思って抱いてます。虫のいいこじつけのこともあれば、本気でそう思うこともあります。女たちのほとんどがそのつもりでいてくれてるとわかります。その意味の自己主張などないようなんですよ。それどころか、性処理の道具としてでなく、自分をカズちゃんと思って抱いてもらうことに感激してるようです。ぼくの思いこみかもしれませんけど」
「思いこみじゃなく、そのとおりだと思いますよ。私は、北村の女の人たちが、お嬢さんと同じくらい自分に自信があって、お嬢さんと同じくらい神無月さんを愛する信念を持ってるように見えて仕方ないんですよ。それはきっと彼女たちが、和子さんと共通した〈女〉としてばかりじゃなく、和子さんとはちがった人生をシッカリ抱えてきた〈人間〉としてまるごと神無月さんに救われたからですよ。そういう人間関係自体、奇跡でしょう。……男もそうです」
「菅野さんはいつも同じことを言ってぼくを励ましてくれるね。ありがとう」
客の退けどきに花屋に到着。騒ぎにはならない。マスターが厨房の覗き口から、
「よ、大統領、ご入来! 大きくなったねえ」
「百八十三センチ、八十四キロで止まりました。足は二十九センチ」
女房が私の腕にすがり、お婆さんがぺこぺこお辞儀する。
「めちゃくちゃひさしぶりやねえ。相変わらず水が滴っとる」
「ご無沙汰してしまいました。すみません」
「菅野さん、あんたもガタイが立派になったねえ。男前も上がった」
「サンキュー。背は伸びてないよ」
二、三組いた客が、
「神無月!」
「大明神!」
と叫んで拍手する。
「めし食っていきます。金太郎なんとかを二人前ください」
「オーライ、金太郎定食二人前!」
客たちが握手を求めてくる。応える。五分もしないうちに、レタスに豚の生姜焼きとエビフライと鯵フライを載せた大皿、どんぶり一杯のめしが出てくる。鯵フライを菅野の皿に移す。
「苦手ですか」
「うん」
もりもり食う。女房が、
「忙しいオフだったみたいですね」
「なんてことありません。七カ月のシーズンに比べたら、やっぱりオフですよ。ときどき西高までランニングしてくるんですが、そのまま引き返すことが多くて、ほんとに申しわけないです」
マスターが、
「ファンの応対がたいへんやからね。わかっとるよ。気にせんでええ。ところで、戸板と谷沢が入って、来シーズンも軽く優勝やね」
「そのつもりでやります」
もりもり食う。
「自主トレが規制されたゆうやないですか。自己鍛錬するのがたいへんやねえ」
「ぼくは去年と同じです。ふつうにやってます。ベテランも同じでしょう」
たちまち食い終える。茶が出る。
「金太郎メニュー、売れてますか」
「西高の生徒がようきてくれるんで、昼めしの売れ筋ですよ。感謝」
「軟式野球部の成績はどうですか」
「オシャカ。二勝ぐらいしたかなァ。去年の神無月さんのパフォーマンスも効き目がなかったとゆうところですか。バックネットも新しくしたんですがね」
「あの校庭でラグビー部と入り混じってやったんじゃ、練習らしい練習はなかなかできませんよ。仕方ないですね。じゃ、そろそろいきます。ごちそうさまでした」
菅野が勘定を払う。客たちが、
「キャンプ、がんばれよ!」
「ケガせんようにな」
「今年も三冠獲ってください!」
などと声をかける。
「精いっぱいがんばります。それでは失礼します」
走り出す。これで数カ月は無沙汰をしてもいいだろう。菅野もホッとした顔で併走する。榎小学校から笈瀬川筋を通って菊ノ尾に出る。八坂荘、よしのり、詩音、真島仲買、石丸さん、大前、すべてこの三年間の思い出の中にある。思い出の年数を増やしていく。
もときた名無しの通りに出ないで、国道22号線を渡り、浅緑のイチョウ並木が連なる笈瀬川筋をそのまま直進する。スピードを上げる。二階家が六軒接着している長屋。その前に菊ノ尾二丁目のバス停がある。理容スズキ、クリーニング藤田、倉庫式貸駐車場、ふたたび階家の六軒長屋、竹内印刷所。商店と民家の混じった古い町並を走っていく。解体途中の建物、建てかけの建物、瀟洒な新築建物、朽ちかけた建物。スピードを落とす。乱雑に樹木の植わった猫の額の公園、浅野の炭屋のコピーのような二階家、倒壊寸前の不動産屋、まばらに通る人、自転車、トラック、自家用車。遠くにビルの頭が見えてくる。西藪下の交差点。足踏み。
「右も左もイチョウですね」
「西区はほとんどイチョウです。春から夏は深緑になります。秋は黄色が鮮やかです」
私の生き延びる街を呼吸正しく走る。スピードを上げる。広大なノリタケ緑地を右に見ながらビルの群れへ近づいていく。県道200号を車に注意して走り抜ける。飲食店やアパートやマンションで家並が混雑する。名駅通を渡り、ビル街に突入。線路沿いに笈瀬川筋を走り、中村郡道に出る。ガードをくぐり、いつもの則武一丁目の交差点。スピードを落とし、ガード下の店々を左に見て北村席へ戻っていく。新しいわが家、なつかしいわが家。
直人が帰っている。試験から帰った名大生たちに絵本を読んでもらっている。私には飛びついてこない。さびしい。だんだんこうなっていくのだろうか。トモヨさんが、
「さびしそうな顔をしないで。パズルを買ってくれた二人ですから、甘えかかって、子供なりにご機嫌取りをしてるんですよ。甘えると大人は喜ぶって知ってるのね。子供はゲンキンです」
女将が、
「男より女のほうが甘えさしてくれるでな」
菅野はシャワーへ。私は庭に出て三種の神器、素振り、一升瓶、蝶々ダンベル。そのあとようやくシャワー。風呂場へ直人はこない。さびしい。いや、ほんとうにさびしいのかどうか自分でもよくわからない。一人前の親らしくさびしく見せようとしているのかもしれない。
五十六
主人と菅野がテレビの前に坐っている。夕方のスポーツ特番で、各チームルーキーたちの合同自主トレの映像を流していた。あるいは選手会合同自主トレという代物で、ルーキーと主力選手が顔合わせするイベントのフィルムも流され、総集編のような形をとっている。中日球場のトレーニングの様子も映し出されたが、二十秒程度だった。私や江藤は、レギュラーたちの姿も見られたというナレーションだけでチラと映っただけで、ほとんど谷沢を写していた。戸板は二、三秒画面に登場しただけだった。
自主トレの場所はいろいろ挙げられていて、球場があるかそれの併設されたトレーニング施設があって練習の便宜が図りやすいところ、もしくはそういうことと関係なく自分の出身地の近辺、温暖な遠隔地、寒冷な遠隔地などだった。寒冷な土地というのが引っかかったが、練習をウォーミングアップ程度に抑えて、からだを動かしすぎないようにという理由かららしい。そのほかグァムやハワイなど、気候のよい外国まで出かけていく選手もあるようだ。遠隔の練習場所にはトレーナーを帯同させることがほとんどだとテロップが流れた。トレーニングは昼食を挟んで九時から五時まで、内容はシーズン中の試合直前の練習を八倍に延ばしたようなものにすぎなかった。坂道ダッシュ、高重量バーベルのような、本キャンプでよく見かける練習は自主トレではやらないようだった。あらためてバーベルの鍛練は不要だと確信したが、巨人の一部の選手がやっていた内野守備のスクワット捕球は、足腰の安定にはもってこいの筋肉鍛錬に思えた。いずれにしても、正式のキャンプがあるのになぜ自主トレに精を出しているのか疑問だった。
明石に持っていこうと思う本をトモヨさんの離れにいって書棚から選ぶ。
小川未明『赤い蝋燭と人魚』(天佑社・大正十年)、川端康成『雪国』(岩波文庫・昭和十二年)―読み直し。この二冊でじゅうぶんだろう。ダッフルの底に入れる。
トモヨさんが忍んできて、焦らずに一交。挿入する前に数年ぶりに彼女の局部をじっくり見た。色合を除いてはクリトリスも小陰唇の長さもカズちゃんのそれとそっくり同じだった。色合まで同じなのは千佳子の性器だ。トモヨさんと千佳子に挿入するときは、いつもカズちゃんに接するつもりで、顔しか見ない。カズちゃんとちがうのは膣の反応が少し穏やかなところだけだ。下腹の反射はカズちゃんと同じように激しいので、快適に射精することができる。
「ごちそうさまでした。百江さんが明石にいくまでしばらくがまんしてくださいね。二月の八日、九日の日曜日と月曜日、十五日、十六日の日曜日と月曜日です」
「だいじょうぶ。あと四日、求める女とはぜんぶするつもりでいるから」
「みんなひと月に一回ぐらいなので遠慮がなくなると思いますけど、出発前に疲れをためないように」
「うん、女早漏ばかりだから苦はないよ」
「女早漏……フフ、ほんとにそうですね」
トモヨさんの浴室でおたがいにシャワーで清めて出る。女将が私に封筒を手渡す。村迫代表からの恒例の手紙だった。
前略。二月一日より二年目の明石キャンプが始まります。申し上げることは昨年と
ほぼ変わりありません。宿泊先はグリーンヒルホテル明石、用意なさるものはホーム用ユニフォーム二着か三着、その他ふだん使っておられる野球道具。それらはホテル宛てに郵送してください。バットは久保田氏から明石に十本届きます。キャンプ中に汚れたユニフォームは、昨年のように手間をかけて名古屋に送り返さなくても、地元のクリーニング店ですますことができます。
ホテルのチェックインは昨年と同様、一月三十一日(土)午後一時以降、チェックアウトは二月二十二日(日)午前十一時。日曜日に交流戦が新たに出来した場合は引き揚げが一両日遅れるかもしれません。いまのところ交流戦の話は入ってきておりません。一軍レギュラー十数人は今年から一人部屋、控え数人は二人部屋、二軍は別宿舎にて三人部屋。監督およびフロント、コーチ、マネージャー、トレーナー、スコアラー、一軍二軍選手等は、昨年よりわずかに減って総勢六十一名です。帯同審判員は富澤、丸山、松橋、柏木、竹元、岡田の六名です。
なお二軍の練習場は昨年と同じく明石公園第二野球場です。チェックインの日の六時より、恒例の夕食会がございます。なるべくご出席のほどお願い申し上げます。再会を楽しみにしつつ。
親愛なる神無月郷さま 中日ドラゴンズ球団代表 村迫晋
「江藤さんから電話あったんでしょう?」
女将に尋くと、
「ええ、ありましたよ。自分は九州から、菱川さんは倉敷から明石にいくけど、太田さん
と星野さんは神無月さんに同行するゆうてました。去年は一人旅やったですね」
「そうでした」
海南(うみなみ)という名の東大出の建築家と新大阪まで同乗したことを思い出した。たしか竹中工務店の社員で、全国に多くの球場を建設したことを自慢げに語っていた。直井整四郎の話もチラとした。
「出発は三十一日の朝ですよね」
菅野が、
「はい、去年とまったく同じ十時十四分のひかりです。十一時二十七分に新大阪に着きます」
「8番線から十一時四十六分発の山陽本線快速加古川行に乗り換えて一時間弱。鈍行なら十五分ぐらい多くかかる、と」
「はい、よく憶えてますね」
「プロ初陣の日でしたから」
イネのスカートが廊下を横切った。カンナを抱いている。離れへいったようだった。トモヨさんが私の視線に気づいて、
「気になるんですね。ひと月以上になりますものね。離れにいってあげてください。カンナのオムツ替えは私がしますから」
睦子と千佳子は直人とまだ百枚パズルに夢中になっている。トモヨさんの背中について離れの子供部屋へいく。トモヨさんはオムツ替えを交代し、私と寝室へいくようにイネを促した。イネは大喜びして私に抱きついた。
「ゆっくり寝室でしなさい。イネちゃんの声を聞いちゃったら私も危なくなるから」
トモヨさんは手早くオムツを替えると、カンナを抱いて母屋へ戻っていった。寝室の蒲団に二人抱き合って倒れこむ。下着を引き下ろし股間の愛撫にかかる。
「あ、洗ってねス」
「そのほうがいいよ、入れやすい」
陰核は指の先ですぐにふくらみ、数回こするとたちまち達した。痙攣する尻を後ろ向きにし、スカートを背中へまくり上げて挿入する。
「あああ、いじゃ、いじゃ、好ぎだよ、たまんねぐ好ぎだよ、あ、イグ、だめだ、イグイグ、神無月さーん、愛してる、イグウウウ!」
上着の上から両胸を握り締める。
「神無月さん、もっと、もっと!」
深く突いて高波を重ねさせる。最も強い緊縛に合わせて射精した。
「ああああ、死ぬほど好ぎだァ、イイッグウウウウ!」
抜き、仰向かせて股間にティシュを挟みこむ。収縮を繰り返す下腹をさする。落ち着いてくると陰阜を握る。充実のときだ。
「ああ、うだで強ぐイッたじゃ。いまので妊娠してかった。したばて、きょうは妊娠しね日だ」
「子供ほしいの?」
「なんたかた妊娠してってわげてねんだ。妊娠したら産みてってだげでせ。そろそろ、ラグにワラシを産める齢でなぐなるすけな」
私は深く息を吐いた。こういう思いはおそらくどの女にも共通したものだろう。
「そう……。もし産んだら認知はするけど、入籍はしないよ。……ぼくはイネの思ってるほど社会的に価値のある男じゃないんだ。ぼくはそのことがわかってるし、たぶんイネたちもわかってるはずだけどね。……どうしても子供が産みたいなら、クニに帰ってちゃんとした社会人と結婚するしかない」
「やんだよ。神無月さんの子でねば産みたぐね。」
「……なんとか産まない方向で考えたほうがいい。世間に認められない状況で産んで苦しむのは、産んだ本人と、その身内の人たちだと思う。後ろめたく生きると、みんな人生がガラリと変わってしまうんだ。お義父さんの養子になれたトモヨさんは例外中の例外だと思わなくちゃ。とてもラッキーだったんだね」
「オラんどはみんなラッキーだ。神無月さんは世間の物差しで測れねほど価値のあるふとだ。考えでるこども、やってる仕事もやっぱし世間の物差しで測れね。神無月さんは自分のいろんな苦しみを解決してきたべ? いろんな人たぢも助けてきたべや。神無月さんのおかげで、人生がうだでぐ変わったふとがジッパどいるんだじゃ。それが神無月さんの財産だ。そたら〈大金持ち〉のふとのワラシッコ産めだら、親戚とも世間とも縁切るじゃ。……神無月さんは価値のあるふとだ」
もう一度深く息を吐いたとたん、不覚にも涙がこぼれ落ちた。
†
夕食後、アヤメの遅番を待つだけのいつもの静かな時間が訪れる。トモヨさん親子はイネといっしょに離れへ去り、主人と女将は帳場へ退き、則武組は茶飲み話をし、仕事のすんだトルコ嬢たちはテレビの前に坐る。
ステージ部屋で名大生二人がキッコの勉強を見ている。名大文系数学の過去問を解かせているようだ。キッコが、
「図形問題って、代数より苦手なんや」
千佳子が、
「平面図形や空間図形の問題をベクトル式でこられたら、ベクトルそのものを使うか、座標でゴリゴリ計算するか、あとは初等幾何できれいに図形的に処理するかの、主に三つの手段があるわ。この問題(1)は与えられたベクトル等式の条件から、三角形PQRが正三角形であることを示せだけど、正三角形であることを示すには何を示さなくちゃいけないのかっていうのがとても大事」
「三辺の長さが等しいってことやね」
「そうね。それか、角度がぜんぶ60度ということを示すかね。この問題はベクトルの絶対値式で長さの情報が与えられてるから、方向の情報は考えなくていいということになる。問題(2)の正四面体であることを示せは、六辺の長さが等しいことを示さなくちゃいけないわけ」
睦子が、
「ベクトルの絶対値式のままだと使いにくいから、二乗したり、移項したりして式変形させながら道筋を立てるのが厄介ね」
キッコが、
「外心と重心も考えんとあかんこともあるし、正弦定理や余弦定理も必要になることかてあるやろ」
睦子が、
「そう、平面幾何的にいくなら三平方の定理もね」
千佳子が、
「図やグラフを描けるなら描いてみるほうが、問題の把握はしやすくなるわ」
三人のしゃべっている言葉が理解不能だ。さて問題を解く段階になると宇宙語になる。睦子が、
「右辺が0、つまり長さが0ということに着目すれば、左辺の絶対値の中身はゼロベクトルになる。ここから二乗して式変形するとベクトルの内積が出てくる。つまり角度の情報がわかる」
「ほんとや」
耳を立てるのをやめて私もテレビ組に加わる。頭を使う作業は頭のいい人にまかせる。
夜道を五人で則武へ帰る。素子も則武にくる。五人で歓談、風呂、夜食。褥は素子と共にする。
†
一月二十八日水曜日。少し距離を延ばして、菅野と中村高校までランニング。則武に戻って、素振り、ジムトレ。シャワーを浴びたあと、自転車に乗って散髪に出かけていく。洗髪は断り、慎重にヒゲをあたってもらい、耳も掃除してもらう。
帰宅して牛巻坂九枚。
午後一時十分、名古屋西高に電話を入れると、ちょうど学年末考査の最中で、土橋校長は幸い予定もなく校長室に在室しているとのことだったので、幣原に名鉄百貨店で菓子を二、三品買ってきてもらい、それを手土産に会いにいく。菅野に送ってもらう。
校長室で握手し、肩を叩かれ、ソファに腰を下ろす。
「三年前の夏にこの部屋で会ったのがきのうのことのようだ。感無量です」
「ぼくも感無量です」
「ふた回りも大きなからだになった。押しも押されもしないプロ野球界のヒーローだ。元気でやってますか?」
「はい。長い無沙汰を申しわけなく思ってます」
「並の人間の何倍も忙しいんだ。油断すると、日本一忙しくなる人が、どうにか最低限の忙しさに抑えてるようだね。人格のなせる業です。わざわざ会いにきてくれて感謝する」
この一年のプロ野球生活の概略を伝える。
「きみの人生を眺めてると感動の連続です。私がとりわけ感銘したのは、バット職人の名誉を護って、きみの怒髪が天を突いたことを新聞で知ったときです。顕彰碑の前に立って泣きました。純真で天真なきみのゆくては多難だと思う。思いもしない障害が尽きないだろうね。がんばるしかないよ」
「はい。もちろんぼく個人の努力は絶やしませんが、対外的には暢気に構えることにしています。愛情を注いでくれる人がたっぷりいるので、そうやって生きることができます」
「きみの大ファンの吉永くんは元気でいるかね」
「バリバリです。中村日赤で看護婦の仕事に打ちこんでます」
「きみに心を寄せる人はみんな自分を高めていく。……いつか、お母さんを許してあげることだね」
「何ほどのことでもありません」
「いや、大ごとだよ。世間によくある親子関係じゃないからね。とにかく、神無月郷の元気ですがすがしい顔を見られた。私も元気になりました。ありがとう」
「じゃ、これで失礼します。校長先生、これからも無沙汰をすることが多くなると思いますが、どうかいつまでもご健勝でいらしてください。また会いにきます」
「いつも見守ってますからね。さようなら」
握手して校長室を退出する。廊下を何人か教師が歩いていたが、辞儀を交わすだけで玄関を出た。
五十七
天神山からひさしぶりに市電に乗る。快晴、午後二時半、気温十・六度。街の空が明るい。並木の葉が揺れている。ふだん馴染んでいない人に会いにいくたびに、たとえそれが自発的な気持ちから行なったことでも、〈一仕事〉終えた気になる。しかしこの行為をやめれば、私はたぶん人でなしになる。億劫な気持ちに甘えていられない。
名古屋駅の公衆ボックスから中日ビルのドラゴンズ広報部に電話して、下通を呼び出してもらう。
「おひさしぶり!」
「うん、いっしょにコーヒーでも飲もうと思って。仕事の手、離せる?」
「だいじょうぶです。いま、他球団の去年の試合のビデオテープを観ていたところでした。自軍以外の選手の名前を覚えるのも仕事ですから。オープン戦までには、サンフランシスコ・ジャイアンツの選手の名前も覚えなければいけません。どちらでお会いします?」
「いいところあったら教えて」
「名古屋市役所本庁舎の食堂なんかはどうですか? あまり人目にもつきませんし」
「いいね、市民栄誉賞をもらったときにいったことがある。緑青色のトンガリ屋根」
「はい。庁舎まるごと重要文化財になってる建物です。正面玄関から入って、地下に食堂があります。迷路みたいになってますが、奥のほうへいけばあります」
「わかった。玄関で会いましょう」
駅前からタクシーに乗る。七、八分で市役所到着。数分遅れた下通と正面玄関で落ち合う。下通は仕事着の上にグレーのオーバーをはおっていた。歯を見せて笑う。出会ったころよりツヤのある肌をしていた。大人らしい煙るような目に和まされる。豊頬に愛嬌がある。抱き合うわけにはいかないので、握手。小声で下通は、
「とても逢いたかったです」
と言い、私の返事など期待しないように、さっさと玄関へいく。階段で地階に降り、たしかに迷路のような道を奥へ進む。食堂と掲示のある入口に、きょうのメニューがたっぷり書きつけられている。ドアを押して入る。昼下がりなのでほとんど客はいない。大学の生協食堂のような広々とした空間だ。くっつけ合わせたテーブルが並び、簡易椅子が並んでいる。
「こりゃいいや」
「ね」
二人とも鍋焼きうどんに決め、食券を買って、カウンターで待つこと五分、品物を受け取る。けっこうなボリュームだ。盆に載せてテーブルへ歩いていき、適当な席に着く。笑い合って、さっそくすする。
「お、うまい」
「おいしい。週に一回はタクシーでここにきて、酢豚定食かお弁当ランチを食べるんです」
「下通さんは、ふだんは事務所でどんな仕事をしてるの?」
「部署内の事務処理とか、申請関係、日本野球機構とのやり取りなどです。きょうみたいな勉強仕事をすることもあります。寒中見舞いありがとうございました」
「年賀状出さなくて申しわけない。来年は書く」
鍋焼きうどんの麩がうまい。
「いいんですよ、そんなもの。神無月さんには似合いません。江藤さんみたいにマメな人は、プロ野球選手にはめずらしいんです」
食べ終え、盆をさげ、もう一度食券を買い、コーヒー。
「きょうは抱いてくださいますか?」
当たりに人けがないので、はっきりした声で言う。
「だいじょうぶな日?」
「はい。そうでなければ神無月さんに迷惑がかかります」
「連れこみみたいな旅館しかないけど、いい?」
「どんなところでも、神無月さんがしてくれるなら。……いきつけですか?」
「二、三度。狭くて何もない部屋」
「神無月さんがいます」
タクシーで名古屋駅に戻る。駅裏に出て、あの婆さんの旅館にいく。帳場の窓口で三千円払う。きょうの婆さんはよけいなことは言わずに、
「二階の右の部屋、空いとるよ。ごゆっくりな」
とだけ言った。下通はしっかり私の手を握って二階へ上がった。部屋に入るとあたりを見回すこともせず、オーバーと仕事着を畳の上に脱ぎ捨てた。裸になった私を蒲団に押し倒し、唇を吸う。私は指の挨拶をする。すぐに達し、唇を離さないまま跨ってくる。動きはじめてたちまち高潮に攫(さら)われる。何度も攫われる。
下通らしい長い痙攣がつづいた。私の律動を受けて、さらに長く痙攣しつづける。尻の跳ねる回数はふつう四、五回ですむものだが、下通みち子は十回、二十回とつづける。そのあいだ私のものは彼女の膣の中で心地よくマッサージされる。
「みち子にもらった意外な贈り物だ。最初は驚いたけど、いまではうれしいプレゼントにしか思えない。ありがとう」
「とんでもない。神無月さんのおかげでこうなったんです。こんなに長くオーガズムを感じさせていただいて、こちらこそありがとうございました。でも、私、そんなに長いんですか?」
「よく感じる女の四、五倍は長い。神さまがくれた大きな才能だ」
「なんだか恥ずかしいです。そうなってるあいだは、神無月さんのことを愛してるとしか考えてません。そう思いながら、イケるかぎりイキつづけてしまいます。……苦しいほど愛してます」
下通は私を抱き締めて口づけし、股間にティシュを当てて用心しながら抜き離れた。それでも一度小さくふるえた。
「逢えるチャンスがなかなかないね」
「オープン戦でネット裏からと、北海道遠征で……」
「一晩逢えるね。今年はやっぱり北海道か」
「はい、北陸にするかどうかで揺れましたが、北海道に決まりました。六月六日から室蘭と札幌です。大洋三連戦」
私は部屋を見回し、
「こんなところで、ごめんね」
「いいえ。北陸も、熱田神宮も、この部屋もぜんぶすばらしい場所でした。道端の物陰でもすばらしい場所です」
下通は愛おしそうに私のものを咥えて清潔にした。私も彼女の股間に口を寄せて丁寧にぬめりを舐め取った。高みを求めるように腰を浮かせたので、舌を使って思いどおりにしてやった。
「ありがとうございます。神無月さんにそうしてもらうとき、心から生まれてきてよかったと感じます」
ネオンの灯りはじめた駅裏を歩く。
「ほんとにこのあたり、すてきですね。住みたくなります」
「北村席に越してきたっていいんだよ」
「それはちょっと……」
「だよね」
「詩織さんから試験の真っ最中だって手紙がきました。あと二年、精いっぱいがんばってほしいです。神無月さんのことをたくさん書いてますけど、私と神無月さんとの関係は知らないみたいです」
「知っても知らなくても彼女は何も頓着しないだろうね。どういう状況や人間関係のもとでも、愛情のある人間同士の性行為は自然なことだと思ってるから。何かの拍子にぼくたちの関係を知ることになれば、とても喜ぶと思うよ。身も心も、自由に生まれついてる人間てなかなかいないけど、確実にいるんだ」
「はい、わかってます。神無月さんに遇った最初から、神無月さんの周りの人たちは男も女もみんな神無月さんだと思ってます。みなさんに何の疑いも持っていないので安心してください」
「うん。キャンプは帯同しないの?」
「しません。開幕前の準備仕事がずっとつづきますから。帯同は北海道遠征からです」
コンコースを抜けてタクシー乗り場へ向かう。
「今年は神無月さんにエールを送るアナウンスを控えめにします。節目節目で喝采するように心がけます。謙虚な神無月さんには褒め言葉が大きな負担になります。これまでの神無月さんの生き方を大切にしたいので。……神無月さんの講演をぜんぶ観返しました。静かに育んできた愛情があふれていました。涙が止まりませんでした。静かな人を私なりに大切にしていきます」
タクシーの窓へ手を振って別れた。
北村席には寄らず、則武に帰って、二都物語読了。きょうあすにもギロチンで首を落とされるかもしれない狂気じみた政情の中で、生きる動機を〈愛する人のために何ができるか〉という哲学に求めるピカピカの人間たちの物語。ストーリー展開が劇的なので、冗長な描写をメクラ読みで飛ばし、第三巻のスピード感に身を預けて、結局娯楽推理小説として読み切った。後ろめたいけれど、いつか熟読できる日がくるだろう。
†
一月二十九日木曜日。八時起床。晴。一・四度。出勤の仕度をしていたカズちゃんがやさしく訊く。
「きのうはどうしたの? 何かあったのかなって、おとうさんたち心配してたわよ」
「また塞ぎの虫が出たかって?」
「そんなこと思う人は、一人もいないわよ。たださびしいだけ。キョウちゃんは太陽だから。直人はめそめそするし、素ちゃんなんか、晩ごはんが喉に通らなかったんだから」
「土橋校長先生に会いにいって、帰りにお城のあたりをぶらぶらしてきたんだ。めしも市役所の食堂で食ってきた」
「そう。ほんとに気まぐれなんだから。これからは席にいかないときは、ちゃんと理由を百江さんに伝えるか、百江さんがいないときは席に電話するようにしてね」
「わかった」
百江が、
「夕方からは小説書いてらっしゃったんでしょう?」
「うん」
メイ子が、
「私もそう思ってました。なんといっても、お嬢さんがいちばん心配してるんですよ」
「そりゃそうよ、私の命だもの。じゃ、いってきます。メイ子ちゃん、きょうから酔族館のお手伝い、がんばってね」
「はい、精いっぱい、お力になるようにします」
ちょうど迎えにきた菅野と中村高校までランニング。
「きのうの北村席はお通夜みたいでしたよ。直人はおとうちゃん、おとうちゃんてグズるし。むかしはみんなこれほどじゃなかったんですけどね」
「ごめんね。連絡すればすむことだったね。西高の校長に会いにいったあと、下通さんとお茶をしたんだ」
「ウグイス嬢の?」
「うん。市役所の食堂でめしも食った」
「いつものサービス精神ですね」
「うん、年賀状もらったものだから、急に思い立ってね。則武に帰ってから、遅くまで気にかかってた本を読み切った。カズちゃんもだれも覗きにこなかったよ」
「何か考えこんでるとでも思ってたんでしょう。触らぬ神に……」
「触ってくれないと、なんだかね」
「フハハハ、かえって祟りますか」
「祟りはしないけど、あれっ? て感じになるね」
帰路はかなりスピードを緩めた。
「アサヒグラフが発売されてたので何冊か買っときました。いやはや、神無月さんは走ってもめしを食っても芸術品です。すばらしくきれいな写真ですよ」
数寄屋門で菅野と別れ、則武に戻ってジムトレ、素振り。キッチンパラソルのめしを食い(目玉焼き、ウィンナー、キャベツ炒め、味付け海苔、シバ漬け、豆腐とワカメの味噌汁)、書斎の机に向かう。牛巻坂六枚弱。
カズちゃんの部屋にいき、書棚から日野草城(そうじょう)『草城三百六十句』(草城句集刊行会・昭和三十年)を引き出して読む。知らない俳人。自選句集となっている。机に座り、ぺらぺらやってみる。
春暁や人こそ知らね木々の雨
もの種を握ればいのちひしめける
まのあたり静かに暮るる冬木かな
見えぬ眼の方の眼鏡の玉も拭く。
つまらない。思いつきだけで、人間や事象を見つめる眼圧が低い。日本文学事典をめくって調べる。明治三十四年生まれ。ホトトギス内部においてモダニズムの新風を吹かせたとか、山口誓子(!)を俳句に導いた人となどと書いてある。モダニズムの意味がわからない。山口誓子の句は胸を打つものが多い。思いつきの句はめったにない。たとえば、
暖かき燈が厨(くりや)より雪にさす
炎天の遠き帆やわがこころの帆
匙(さじ)なめて童(わらわ)たのしも夏氷
いづくにも虹のかけらを拾い得ず
除夜の鐘わが身の奈落より聞ゆ
人びとの生活を強い眼圧でじっと見つめ、対象物に自己を投影してきびしく内省している。私のいちばん好きな句は、
海に出て木枯らし帰るところなし
という句だ。吹きすさぶ苛烈な木枯らしも大海原に出ていくといき場を失い、もうなつかしい陸に帰ることができない、という意味だろう。自分の人生に重ねて打たれた。