三十一

 十二月二十一日日曜日。九時起床。廊下の足音で目覚めた。八時間たっぷり寝た。
 快晴。二・二度。六時に寝惚けまなこで枕もとのタイメックスを見たときは零下二・三度だった。本格的な冬がきた。うがいから排便、シャワーまで十分。
 裏表よく焼いた目玉焼きと、納豆と、板海苔と、白菜の浅漬けと、ナスの味噌汁だけのめしにしてもらう。どんぶり一膳。十分。パンツとシャツでジムトレ二十分。バーベル百二十キロ二回で止め。庭で素振り百二十本。
 十時、ジャージを着、菅野を迎える。五人でコーヒーを飲みながら、
「中日球場往復、挑戦しましょう」
「はい! でも挑戦というほどじゃないですよ。二十分くらいで着きます」
「なあんだ。とにかくいきましょう」
 いってらっしゃいの声に送られて名駅へ。日曜日のコンコースの人混みを抜け、名鉄と近鉄の百貨店前を過ぎる。笹島交差点までは、神無月だ、神無月、という声を聞きながら歩道をノロノロ走る。
「二十五分以上かかりそうですね」
「だいじょうぶ、信号越したら速くなります」
 たしかに歩道にガラリと人がいなくなった。右手に鉄道の高架を見上げるさびしいビル街。広井町を抜け、さらに寂れたビル街になる。六反の信号を渡って右折。ガードをくぐり、すぐに左折。密度の薄い古びた民家の並びに入る。
「中川運河まで真っすぐです」
 並木も痩せたケヤキになる。ビルのいっさいない疎らな住宅街。門のない、玄関戸がそのまま歩道に鼻面を曝している平屋か二階家ばかりだ。長屋になっている文字どおり長い二階家もある。中川運河。堀川と似ているが少し小さい。大瀬子橋の縮小版のような柳原橋を渡る。ここまで十五分。下り坂に入り、千年平畑とそっくりな風景になる。並木は痩せたケヤキのまま。ものすごく古そうな御菓子司みふく堂。司って何だろう。
「そこを左折したら見えてきます」
 正面ゲートに着いた。二十二分。大した時間感覚だ。人のいない冬の中日球場。駐車場にパラパラ車が停まっている。入場券を売る穴場が静まっている。照明塔を見上げながら左へ回っていく。三塁側内野席入口。むかしはこの道路に胡散臭そうなダフ屋がたくさんいて、法外な値段で入場券を売っていた。内野スタンドの下を周っていく。レフトスタンド。倉庫のような建物が二つ、三つ。そのすぐ向こうに新幹線の橋梁。スコアボードの裏に出る。ここにも倉庫様の建物が二つ、三つ。ライト側スタンド。倉庫と民家の群れ。その中に紛れてひどく小さいバッティングセンターがある。何度かここへ場外ホームランを叩き出した。道が一本通っている。飲食店や屋台のような出店が並ぶ。小山田さん、吉冨さんと歩いた道。この道を抜ければ尾頭橋駅だ。周っていく。一塁側内野スタンド。左手は中小工場の集合地帯。鉄骨資材が積まれている。正面ゲートに戻る。
 露橋公園のほうから帰っていく。国鉄のガードに沿って黙々と走る。新旧の倉庫が入り混じった街並。木俣と中日球場前まで歩いた道だ。江藤と小野とも歩いた。名鉄中日球場前駅のガードを横目に直進。中川運河を前方に見て右折。国鉄と名鉄が並行して走るガードをくぐって名駅通に出る。歩道が広い西日置橋を渡る。工場と背高のビルが建ち並ぶ道路。すぐ左の高架の線路を赤い名鉄電車が走っている。
「ちょっとしたセンチメンタルジャーニーでした。もうきません。脳味噌に新しい空き室を作ります。さびしいときは自分から先に手を打つ勇気を持たなくちゃ」
「才能だけじゃじゅうぶんじゃないということですね。……勇気が人に影響を与える。肝に銘じます」
 道路の左側、名鉄の高架の裾が亀甲の石堤に変わって延々とつづく。右側、マンションと企業ビルのあいだに二階建ての豪邸が雑じる。それでも違和感を覚えない。私の気に入った街だから。亀甲塀がコンクリートの垂直な壁に変わった。名古屋駅が近い。名鉄電車が過ぎる。駅ビルの群れが見えてくる。まだ二十分も走っていない。いきはよいよい、帰りもよい。下広井町の信号。もう一息。笹島交差点。市電のゆき交う姿に安堵する。この眺めもあと一、二年で終わる。左折。ガードをくぐる。自転車屋の前から気をつけて太閤通を渡る。ここからの眺めを愛せない。ガード沿いに歩き、この数年ですっかり様変わりして右も左もわからなくなった蜘蛛の巣通りを抜ける。トモヨさんの長屋や旧北村席がどこにあったのか見当もつかない。一辻、二辻いき、なんとか牧野公園に出る。原形を留めないほど一区画が変わる必要があるのかと思う。
 十一時十五分、数寄屋門到着。七・九度。きょうは十度までは上がらない。ジャッキにまとわりつかれて庭石を歩きながら菅野に、
「やっぱり新幹線出口から牧野公園までの界隈は出歩きたくないですね。さびしすぎて先手を打てない。中日球場や熱田神宮へは車でいきましょう」
「同感―。これは勇気でどうのこうのなることじゃないですね。駅の東口も変わらないことを祈りましょう」
「まさか、玄関口には手を出さないでしょう。青年像と言い、噴水と言い、一つひとつのビルと言い、歴史がある」
「わかりませんよ。名古屋は財政豊かな都市なので、歴史に未練を残すよりも、金に飽かせた改造を好みますからね」
 菅野とシャワー。私は浴衣に、菅野はスーツに着替える。座敷に一家全員揃っている。さっそく直人に組みつかれる。主人が、
「神無月さん、再来年はどう工夫しても、八千八百万を所得税で持っていかれます。住民税、消費税などを入れると一億五千万くらいになります」
「高い給料をそのままくれるほどクニは甘くはないと直観してましたから、べつに驚きません。ほしい人にはくれてやりましょう。それでも少しは余るんでしょう?」
「はい、二億近く」
「じゃなきゃ、給料の意味がない。もともとない金です。常に翌年の税金を確保して暮らしていれば問題ないでしょう。取られる税金より少し多い額をくれることは、大金をくれてぼくを困らせた人の義務です。とにかく作れるうちに映画館を作っておかなければ」
「それは心配なく。ほかのコマーシャル収入だけできちんと作れます。不正申告で泣きを見ることがないように、プロを何人も高い金で雇ってきちんと税金対策してますので、とにかく安心していてください。私も神無月さんも正直な納税者です。正直に〈くれてやって〉ます」
 菅野が、
「必要経費は私がちゃんと管理して、計上してますからね」
 意味がわからないのでただうなずく。このまま暮らしていればいいようだ。カズちゃんが、
「三ヶ日、やめたほうがよさそうよ。よろず屋に問い合わせてみたわ。女将さん一人で切り盛りしてる旅館で、トイレも風呂も共同よ。これはアウト。用意できる食事は朝と夜だけ。昼間どこかで外食しなくちゃいけない。これもアウト。食べたり、寝たり起きたり、きちんきちんと用意されとる分にはどうにかなるかもしれないけど、どっかでかならず狂いが出てしまう。一日何回も走るわけにはいかないでしょう。せいぜい二回走るだけでしょう。あとはどうするの? 本読んでゴロゴロするの? すぐ退屈して、散歩でもしようかということになるわね。散歩と言っても、女将さんの話では、雑木林と短い坂道しかない場所よ。ね、けっこう面倒でしょう? 長嶋の伊豆の山ごもりは、大きな旅館やタニマチの民家を拠点にしたの。好きなだけランニングできる長い山道もあったしね。今回は中止したほうがいいわ」
「うん、中止だね」
 菅野が、
「お、スッパリあきらめましたね」
「うん、カズちゃんの言うことは隅々までもっともだから。自分の考えが浅すぎた。けっきょく伊豆の山ごもりにあこがれてたんだね。あれが必要のないパフォーマンスだととつぜん気づいた。新人のあいだは寮に縛りつけておくという意味がようやくわかりました。たとえ新人でも、プロ野球選手を一人飼っておくのは並大抵なことじゃないということです。十重二十重(とえはたえ)の監視体制が整っていなければ、プロ野球選手は一日もまともにすごせない。すぐ外に出かけてパフォーマンスをしたがる」
 主人が、
「長嶋の山ごもりは、入団十年目の昭和四十二年の一月からです。その年が大スランプだったからです。つい三年前ですよ。ベテランになって、同僚たちのあいだや世間に顔が効くようになり、世話役を進んで申し出る人たちが出てきたり、あるいはブルペンキャッチャーのようなフンドシ担ぎに面倒見を頼めるようにならないかぎり、山ごもりなんて不可能です。拠点にしたのが温泉ホテルの豪華な離れですよ。一日の宿泊費一万円。三ヶ日の千七百円の旅館とはぜんぜんちがう大名宿です。そりゃ至れり尽くせりでしょう。フンドシ担ぎは、トスバッティングやカメラマンの役割もさせられてます」
 菅野が、
「そうなんですよ。長嶋が登ったと言われてる城山(じょうやま)という山は、標高百三十メートルですが切り立った二連山で、ふつうに登れば一時間半、走って登れば四十五分。一日に二度登ったと言われてますけど、そんな生活を三週間もやったら、まちがいなくからだを壊します。登ったとしても、三、四日にいっぺんでしょう。ほかは往復十キロ程度の山道や一般道を走ったと思います。扁桃腺が弱くて吸入器まで持ちこんでたそうですから。からだを壊しにいくはずがありません。肉、野菜、果物などの食料を多量に持ちこんで、二、三キロ肥って帰ることが目標だったと聞いてます」
 主人が、
「夜は読書というわけで、石原慎太郎の本やら、中国の思想関係の本やら、ぜんぶで二十七冊も持っていったらしいですな。読んだんでしょうかね」
「持っていくのと実際に読むのとはべつの話ですからね。読んだと言われてるのなら、有無を言わさぬ野球の才能がそういう伝説を作っているんでしょう。伊豆まで同行してくれた人たちと夜をすごしたと思いますよ。それが人間として当然の礼儀じゃないかな。訪問客も多かったでしょうし、本など読んでいる暇はない。さ、バット振って、一升瓶やってこよう」
 直人は千佳子と睦子に、
「パズル!」
 と甘えかかり、縁障子の明るみへ引っ張っていった。私は庭へ出てバットを百二十本振り、一升瓶を丁寧に十回ずつやった。
 昼めし。休日も平日も、野球の試合がないかぎり同じように時間が過ぎていく。あさっては千年小学校の講演があるせいで、時間の流れが少し平坦でなくなる。
         †
 十二月二十三日、火曜日、快晴。七時からルーティーンをこなし、菅野と天神山公園までランニングのあと、北村席で朝食。
 少しおしゃれをした千佳子と睦子に直人がじゃれつく。トモヨさんが、
「あしたは山口さんのコンサート?」
 睦子が、
「はい、きょう十一時ごろ出ます。明るいうちに豊島公会堂で前売り券を買い、それから高円寺に回ってフジに顔を出します。夜は吉祥寺に泊めてもらうことにしました。水原監督はオフとは言ってもいろいろ予定がおありでしょうから、連絡はとりませんでした。もし会場でお遇いしたら、きちんと挨拶をしようと思ってます。山口さんにもわざわざ声をかけずに、遠くから拝見するだけにします。この数日はスケジュールがビッシリでしょうから」
「そうだね。山口は放っておくのがいいね」
 彼は情が深い。いつも隣にいる気がする人情家だ。情の深い人間はたいへんな思いをする。余儀なく人との関係が深くなり、人に耐えなければならなくなる。山口は彼と関わろうとする人びととそうやって生きてきた。しかし、人びとが彼に耐えた記憶はほとんどないだろう。すごい男なのだ。そろそろ彼にうるさくまとわりつかずに、放っておいてやるべきときにきている。
「フジのマスターやシンちゃん、菊田さんと福田さんにくれぐれもよろしくね」
「はい」
 セイ・ハローを言う人間の数は年々少なくなる。通りすがりではない、思い出の中に生きている人びとだ。彼らには自分が生きているかぎり大切にハローと言わなければならない。青木くんは死んだ。キンタマ兄弟も、木田ッサーも、杉山啓子も死んだ。山田三樹夫も墓に入って四年半だ。でも、私の心臓はまだ動いている。肺が呼吸している。そのことにいわく言いがたい嫌悪感がある。理由は単純だ。死を受け入れない肉体の頑健さに呆れるからだ。潔くない本能を忌むからだ。呆れて忌むだけでは何の解決にもならない。野球以外で出不精になってしまった肉体に愛情の片鱗を残しておき、それを表現する努力が要る。
「コンサートが終わったら夜行の新幹線で帰ってきます」
「ゆっくりもう一泊してくればいいのに」
「郷さんのそばにいないと、怖いんです。でも山口さんは郷さんの大事なお友だちで、大事な発表会ですから、郷さんの代わりに見守ってあげないと」
 千佳子が、
「年末年始も、さびしいですけど青森にいってきます。二十九日から」
「一月三日に帰ります」
 女将が、
「年に一度の親孝行やものね」
 トモヨさん母子が登園していった。


         三十二
 
 睦子と千佳子が出かけてしばらくして、正十二時、菅野と北村席を出発する。昼めしは食わずに出た。
「マスコミに連絡しないよう小学校側に伝えてありますから、安心してしゃべってください」
「はい」
 十二時三十七分、千年小学校裏門に到着。校庭の一隅に車を停める。背広姿の服部先生がほかの教師連と出迎える。すべて見覚えのない顔だ。なつかしいという感じがしないけれども、全員と握手をする。放送があり、生徒たちが校庭に縦列する。千年小学校には講堂がないので集会の場所は常に校庭になる。
 私と菅野は教師たちといっしょに演壇の脇に控えた。まず最上級生が壇上のマイクの前に立ち、日本一有名な神無月選手にきてもらえてとてもうれしいです、これからもいつまでも活躍してドラゴンズを何度も優勝させてください、と定型の挨拶をした。
 次に、いまは校長の服部先生が私の野球部員時代の思い出話をした。野球に秀でていた話を一途にした。私は小学生時代の自分の器を知った。服部先生は、私が生徒会を放棄して会議中に抜け出したことも、エラーした木田ッサーに私が怒鳴りつけたことも話さなかった。鰓の張った長い顔に十年前の温顔が重なった。
 土の校庭に七、八百人も立っているだろうか、彼らの盛大な拍手の中で私の話す番になった。
 私はこの小学校で野球に出会い、さびしかった少年時代の救いになった、この校庭が自分の野球人生の始まり場所だと語りはじめ、森徹のホームランを受け取った日にプロ野球選手への夢を夢で終わらせない決意を抱いたと話した。それからは木田ッサーだけの話をした。バンザイエラーをした彼を罵って服部先生からこっぴどく叱られたこと、一夜バッティングの教えを乞いにきた彼を冷たくあしらって帰したこと、彼が常に人の心を明るくする貴い人間だと知っていたこと。ここから舌が滑るままにふだんの語調で、小学生にはわかりにくい話をした。
「木田ッサーは中学に入ってすぐ、交通事故で死んでしまいました。人の噂でそれを聞いたとき、恐怖に近いような深い後悔の念に襲われました。きみは貴い人間だと言ってやれないうちに、心の傷を与えたまま死なせてしまった……。才能という一身上の特技にすぎないものを重視していると、人間の総合的な器である品格を見逃してしまいます。品格の伴わない秀才やスポーツ選手は、高貴な品性の持ち主よりも下の地位にあります。才能があるに超したことはないですが、超したことがないものは、すでに超しているものには敵わない。まだ私は才能の段階でウロチョロしている人間にすぎません。もっと大きな器を求める生涯を送りたいと願っています。才能は小学生のころに芽生え、ちやほやされ、当人をいい気にさせるものです。この中で思い当たる節のある人は、どうか木田ッサーのような人間に一人でも多く巡り会い、その人を尊び、自分の器を広げる模範にしようと心がけてほしい。才能と品格が比例すればいいと思うかもしれないけれど、それはまず起こり得ない。才能が人を傲慢にするからです。高貴な品性の人に巡り会って、心を打たれないかぎり、彼の意識に品格という概念は入ってきません。才能こそ、それによって得られる名声や冨こそ、人生で最高のものだという、不毛な幻の中で生きつづけることになります。そのことをどうか心の隅に置いて、勉学に、スポーツに励んでください。いまよりももっとまじめに取り組めると思います。ぼくがプロ野球選手になるためには一筋縄ではいきませんでした。品格が備わっていなかったからです。それでもどうにかプロ野球選手になれたのは、要所要所で木田ッサーのような人たちが現れて、一歩一歩プロ野球に導いてくれたからです。幸運だったと思っています。わかりにくい話をしてしまいました。以上でぼくの話を終わります」
 小さな拍手が湧いた。演壇の脇に立ち並ぶ教師たちの拍手のほうが大きかった。その中に菅野もいた。午後の二限目から授業があると告げられた生徒たちが解散したあと、菅野と二人職員室へ招かれ、茶を振舞われた。
「ありがたい講演でした。大人の胸も打つ言葉に驚嘆しました。万年補欠の木田のことは私もはっきりと憶えています」
 そう言って服部先生は私の顔をしばらく見つめ、サインを一枚書いてくれないかと低頭して頼んだ。色紙に丁寧に楷書のサインをした。何かひとことと言うので、目路(めじ)はるかなり、と書き添えた。服部先生はすぐにほかの教師に命じて、用意してあった額に収めて職員室の壁に飾らせた。教頭らしき男が、
「これは些少ですが」
 封筒を差し出したので、
「いりません。かつてお世話になった学校に無礼なまねはできません。ユニフォームや野球用具は金がかかります。のちほど、こちらこそ些少な寄付金を贈らせていただきますので、お役立てください」
「え! ははァ、ありがとうございます」
 車まで服部先生と教頭に送られ、もう一度握手をした。
「小中学生の指導はプロアマ規定の埒外ですから、何年後かわかりませんが今度きたときは、野球部の様子を見させていただきます」
「それはうれしい。ぜひよろしくお願いいたします」
 車中で菅野が、
「またくることがありますか」
「野球部の依頼なら。立身出世の努力話を期待する場所へはもういきたくない」
「毎日努力してますから、それを話すのも億劫ですよね」
「うん。きょうあすじゅうに、千年小学校野球部宛てに、五十万円の小切手を送っといてください。……ああ、主だったところが終わりましたね。春からのみんなの進路も決まったし、来年のシーズンオフはほんとうのオフになりそうだ」
「キッコは名大落ちたらすぐ、河合塾の手続をすると言ってました。ソテツは、西高はとても受かりそうもないので、熱田高校の定時制に決めたそうで、千鶴も同じ熱田高校にしたようです。中村高校が夜間部の募集を来年以降しないらしくて」
「ふうん、熱田まで五時からの授業にかようのたいへんじゃないの」
「いえ、神宮前まで名鉄、そのあとバスで大瀬子橋を越えてすぐです。乗換えを入れても四十分もあればいけるでしょう」
「康男と乗ったバスか……」
「定時制は旭丘も明和もありますけど、電車でかようのが厄介です」
「受験はいつ?」
「定時制は願書を出せば全入です。在学中の成績がよければ、昼間部の授業にも折々出席させてもらえて、三年間で卒業することもできます。もちろんじっくり四年かけて出てもいいんですがね」
「何にせよ、新しいことに視線が向くのはいいことだね。キッコとちがって大学までいこうという目標もないわけだし、新しい世界に飽きちゃったらやめればいい。とにかく見たいものを少しでも見ればいいんだ」
         †
 二十四日水曜日、晴。一午後かけて、賄いたち総出で席の要所要所にクリスマスツリーが飾られた。ジャッキが電飾に咬みついたら危ないということで、土間には飾られなかった。当の直人は、トモヨさんといっしょに保育所のクリスマス会の準備に参加していた。菅野が電飾の飾りつけを手伝っていたキッコに、
「さ、申しこみにいきますよ」
「はーい」
 主人が、
「何の申しこみや?」
「河合塾の年末・正月講義。あしたから五日間、一月四日から五日間。最低限の努力はしとかんと」
 太閤通へ散髪にいく。店内が新装成っている。椅子の数は変わらない。店主夫婦にも顔馴染みの客たちにも挨拶される。五分刈り。軽くヒゲをあたってもらい、耳掃除もしてもらう。
「一年間、お疲れさまでした。来年もがんばってください」
「はい、がんばります。あなたも商売繁盛で。この店、とても感じよくなりましたよ」
「こんなに静かな人が名古屋市の恩人なんですから、驚きます」
「恩人はオーバーでしょう。野球小僧がいくつかの商店街にもたらしたちょっとした経済効果です。じゃ、今度はキャンプのあとできます」
 みんなに挨拶し、五百円を払って出る。
 廊下も座敷もきらびやかだ。直人が走り回り、金魚もうれしそうに泳ぎ回っている。頼まれていた餌をやる。一日一回。ショートケーキや、種々の料理の載った皿が並ぶ。あしたはもっと大きなケーキが用意されるだろう。北村夫婦、トモヨさん母子三人、アイリス全員、アヤメ中番まで全員、キッコ、トルコ嬢の一部がテーブルに詰める。
「じゃ、直人、ジングルベルの歌いくわよ。あしたも唄うから覚えといてね」
「うん」
 カズちゃんが直人に微笑みかける。

  走れそりよ 風のように
  雪の中を 軽く 速く
  笑い声を雪にまけば
  明るい光の花になるよ
  ジングルベル ジングルベル
  鈴が鳴る(テーブルじゅうに手拍子が上がる)
  鈴のリズムに光の輪が舞う
  ジングルベル ジングルベル
  鈴が鳴る
  森に林に響きながら

 笑い声と拍手! こんな歌をぜんぶ唄えるのはカズちゃんだけだ。ケーキから始まる賑やかな食卓。カズちゃんがもたらす幸福。
         †
 アヤメの遅番組の食事が終わった夜十時を過ぎて睦子と千佳子が元気に帰ってきた。土産はLP盤レコード三枚。山口がデビュー盤を出して以降に吹きこんだものだった。すべての盤にDECCAのレーベルがついていた。睦子が言うには、会場では七曲演奏され、特にロドリーゴの『アランフェス協奏曲』に感動した。山口のデビュー・リサイタルということで、日本を代表するクラシックギタリストが三人もゲストで駆けつけたが、お祝いの言葉だけで、一人も演奏しなかった。
「怖くて演奏できないだろうね」
 千佳子の感想では、山口の演奏はソルの『グランソロ』はじめ、たしかに技術的にすばらしいものだったけれども、北村席で私たちに聴かせるそれとちがって、音色にふくらみやツヤを感じなかった。千佳子と睦子は八百人の会場の真ん中あたりで聴いたが、前のほうの席に水原監督らしき後ろ姿を見かけた。そっと拍手していた。
「ふくらみとツヤを感じられなかったのは、山口がぼくたちのような特定の人間に愛を配らなかったからだよ。公開演奏会はそういう場じゃないからね。演奏そのものがすばらしかったなら、それでじゅうぶん特別な経験だ。貴重な一日だ。退屈な日というのがあるのかどうかわからないけど、人が言うには、どうもきのうと同じことの繰り返しで、きのうときょうの区別もつかない日のことのようだ。ぼくはそういう日もすばらしい一日だと思うけどね。いずれにしても、ぼくたちは山口のような人間のおかげで毎日忘れられない日を送っていられる。感謝だ」
「はい! 演奏の途中で祝電が読み上げられたんですけど、郷さんの電報がいちばん最初でした」
「ぼくが? 何て?」
「永遠の道連れ、のひとことでした」
「私が打っておいたの。キョウちゃんは肝心なところでぼんやりしてるから」
 カズちゃんが笑う。
「ほかには、青森高校教師一同、東大野球部応援団一同、飛島建設社員一同、中日ドラゴンズ一同、北村席一同、いろいろなレコード会社……」
 山口のLPをかけて、みんなでコーヒーを飲んだ。バッハの『シャコンヌ』、ブリテンの『ノクターナル』、トローバの『ファンダンギリョ』……。アルバムの曲名を見つめながら聴いた。
 富沢マスターや、シンちゃんや、トシさんや雅子の話が出た。たがいに愛を忘れていない証拠を出し合うのは楽しかった。楽しいときは楽しさに没頭しなければならない。人生は一瞬のうちに残酷な事態に陥ることがある。防ごうとするよりも、常に楽しさの中で待ち構えていたほうがいい。


         三十三

 十二月二十五日木曜日。晴。直人は保育所と北村席で一日じゅうクリスマス漬け。保育所では園長先生のサンタクロースから色鉛筆セットのプレゼントをもらい、北村席では主人から大きな長靴に入れた秋田犬の縫いぐるみをもらった。直人はそれをジャッキの鼻先に持っていって、じゃれつかせて遊んだ。最近のジャッキは〈おすわり〉と〈ふせ〉を覚えて、よほど大人しい犬になった。幣原やソテツが庭でよくブラシを入れているので毛並も黒々と美しく、居間で主人夫婦のそばで長いこと伏せていると、まるで置物のようだ。心の中で、ジャッキと呼びかける。十六年前の冬の朝に平べったくなっていたジャッキ……。私はあの酷薄なじっちゃを長く封印してきた。じっちゃへの愛が薄れるのが恐ろしかったからだ。恐怖がある以上、じっちゃの悪行をこの先だれに語るつもりもない。
 部屋の四隅と廊下でクリスマスツリーの燭光が明滅し、大ケーキにナイフが入る。大皿にポテトサラダが盛られる。惣菜の皿も次々に並んで、ローストチキンが切り分けられる。めしのおさんどんも始まる。女たちはまず直人に倣ってケーキを頬張る連中と、空腹に耐えかねてめしにする連中に分かれる。ケーキ派が圧倒的に多い。千佳子の手でクリスマスソングのLPがかけられる。キッコが、
「名鉄前のクリスマスツリー、ものごつう大きかったわ」
 カズちゃんが、
「今夜は三角帽子かぶってのし歩くヨッパライどもがゾロゾロでしょうけど、アメリカはそういうオチャラケたことはしないのよね。街が賑やかなのはイブ。日本の大晦日といっしょ。男たちは子供の買い物をして急いで家に帰り、クリスマスツリーに灯を点ける。女たちは料理で大忙し。クリスマスハム、ローストターキー、マッシュポテト。クリスマスケーキ。そして家族揃ってクリスマスディナーを囲む。そのあと父親はこっそり靴下をささやかな贈り物でふくらませる」
「なんだか浮ついててシックリこないな」
「祭り嫌いのキョウちゃんはそうでしょうね」
 素子がチキンを齧りながら、
「クリスマス当日は何をするん?」
「朝までにツリーの下にプレゼントを置いておくだけ。いまどき靴下に入れるなんて貧しい家庭はめずらしいから、ほとんど大箱ね。十二月二十五日はアメリカ全土が休日だけど、たいてい二十四日から三連休をとる父親もいるみたい」
「クリスマスはそれだけ?」
「あとは、家族いっしょにクリスマス映画を観たりすることくらいかしら」
「クリスマス映画か。一九三十年代だと、『クリスマス・キャロル』。四十年代だとフランク・キャプラの『素晴しき哉、人生!』。ジェームズ・スチュアート。あれはボロボロ泣ける。四十年代はほかに、ナタリー・ウッドが子役で出てる『34丁目の奇跡』か。ジュディ・ガーランドの『若草の頃』というのもあったね」
 私はポテトサラダに醤油をかけてめしに載せる。
「そうね。あしたは生きていないかもしれないって唄うガーランドの歌がさびしかったわ。ほかには、ビング・クロスビーの『スイング・ホテル』」
「その映画、主題歌がホワイト・クリスマスだったね。五十年代にもろに『ホワイト・クリスマス』という映画もあった。お祭り騒ぎのミュージカルで、好きな映画じゃないけど」
「つい何年か前、『チャーリー・ブラウンのクリスマス』とか、『ルドルフ・赤鼻のトナカイ』という名画もあったわ。それにしてもキョウちゃん、よく知ってるわね」
「その二本は知らないけど、ほかはほとんど、東京の映画館で観た」
 睦子が、
「そうやってお話をしてるときの郷さん、楽しそう!」
 カズちゃんは直人を抱き上げ、
「ほんとに直人は幸せな子ね。人間嫌いのおとうちゃんの例外になれたんだもの。おとうちゃんは自分のことも好きじゃない人だから。こんなに楽しそうにしてくれるなんて、だれでももらえる幸せじゃないのよ。私たちも直人と同じ例外なのがうれしい。直人と同じくらい幸せよ」
 女将とトモヨさんがまぶたを拭った。
         †
 十二月二十七日土曜日。晴。昼少し前、キッコが年末講義に出かけ、トモヨさん母子と幣原とカズちゃんたちも名鉄百貨店に出かけた。睦子と千佳子もついて出た。トモヨさんが、
「きょうはおとうちゃんの大切なお仕事の話し合いがあるから、じゃましないようにお出かけしましょ」
 カズちゃんがソテツに、
「お昼食べてくるから、久保田さんのお食事よろしくね」
「はい、おまかせください」
 きょうから正月三日までアイリスもアヤメも休みに入った。トルコに盆暮れ正月はない。かえって繁忙期になる。ここでしっかり稼ぐ女も多い。かよいの賄いは有給でまとまった休みをとる。
 ややあって久保田五十一さん来訪。二十六歳。小柄な丸顔。床屋にいきたての七三。眼鏡の奥の目がやさしい。一家の者たちに平伏して挨拶し、座敷のテーブルに落ち着いて開口一番、
「来季のバットの打ち合わせを」
 握りは? 重さは? 長さは?
「すべてに文句ありません」
 と答える。
「来季も一月の末、五月の末、八月の末に三十本ずつお送りしますが、すべてを早いうちに試し打ちして、試合用を絞りこんでください。合計五十本はシックリくると思います」
 そうするものだとは知らなかった。主人と菅野も驚いた表情をする。たしかにモノは使ってみないとわからない。しかし、理屈はそのとおりだとしても、彼の作るバットに不足があろうはずはない、ただ順に使っていけばいい。しかし彼は一徹な人間だ。
「わかりました。よろしくお願いします」
「最善を尽くします。夏場に少しでも重く感じたらお知らせください。そのときにまたサンプルをお持ちします」
 女将が食事を促すと、めしは食ってきましたとへたな遠慮をする。
「ま、そう言わんと、軽く食べなさいや」
 ソテツたちの手で野菜の天ぷら盛り合わせと、大盛りのソウメンが振舞われた。軽くない。彼は恐縮し、醤油だけで天ぷらを食い、ソウメンをうまそうにすすり、感激の表情を隠さない。私たちも彼が窮屈な思いをしないように、めいめい天ぷらをつまんだ。主人が、
「岐阜の養老からここまでは遠かったでしょう」
「大したことはありません。一時間と少しです。美濃高田から養老線で国鉄の大垣に出て、名古屋まで一本です」
 久保田は箸を置いて頭を下げ、
「ごちそうさまでした。絶妙なタレの味でした」
 ソテツが、
「久保田さんは神無月さんをとても気に入ってるようですが、選手としてですか、人間としてですか」
「選手としてはだれの目から見てもピカイチですが、人間的に底知れない点が多々あります。とりわけ神無月さんのすばらしいところは、自分を一人前だと思わない気性です。これは気性なので揺らがない。一人前だという意識を持ったら、プロではやっていけないと思うので、まさにプロ中のプロの気性だと言えるでしょう。……少しでも神無月さんの気性を理解したいと思い、本質的なことから遠いでしょうが、三種の神器、神無月さんを見習って私もこのオフから毎日やってます。腕立て百回はまだ挑戦中ですが、腹筋背筋は百回ずつやってます。それから養老の険しい山道を歩く。神無月さんが風景を見ながら走るという情報を中日新聞さんから手に入れたからです。神無月さんは都会の中なので、ビルや、車や電車の人工的な音に囲まれてます。私は自然の中の山道なので、鳥のさえずりに耳を澄まし、樹木のにおいを嗅ぐ。そんなとき、ふと、道を進んでいく感覚は同じものだと感じたんです。目標に向かってひたすら進んでいるという充実感。神無月さんはこの生命感を絶やさないために、いつも自分をたどり着いた人間ではなく途上の人間と考えて生きているのだ、と気づきました」
 なぜか耳鳴りが大きくなった。完成がなければ途上もない。私は自分のすることに完成のイメージを持っていないので、途上にある意識もない。ただ薄ボンヤリと生きているだけだ。しかし、久保田さんのやさしい〈発見〉を讃えよう。
「ありがたいお言葉です。完成は遠いけれども遠いことが楽しい、いつもそう思いながら生きてます。―久保田さん、三種の神器を長つづきさせたいなら、五十回ずつにしたほうがいいですよ。短時間ですみますから、どんな日も途切れずにできます。三十歳四十歳になってその数をこなせば、並の二倍の体力です」
「そうですか、じゃそうすることにします。何ごとも完成を遠くに見据えて、適量を継続するということですね」
 肉体鍛練で完成するものなどないが、からだを鍛えることが久保田さんの好きなバット作りに利しているのならそれでいいとふと考えた。求道精神に満ちた人は少ない。彼はその一人なのだろう。彼のような人間がこの世に多大な貢献をする。
「ところで、ぼくはほとんどバットを折りませんが、それでも年間百本作る必要があるんですか」
「折らないから数が少なくていいということではないんです。同じ木を使って同じ形と重さに作っても、微妙に比重や材質がちがうんです。選手は実際に使いながら、自分の感覚にピッタリのバットを選んでいくことになります。つまり何本か打撃練習用にしか使われないバットが出ることを見こんでたくさんバットを作るんです。もちろん、一本一本最高のバットだと信じて」
 私は打撃練習と本試合を区別したことはない。久保田さんの言うことは重々承知している。定量の化学物質を調合して作る製品じゃないのだから、ヒビも入るだろうし、折れもするだろう。そんなこと百も承知で、私は彼が丹精こめて作るバットを一本一本尊重して使っている。五十本でいい。しかしそう告げるのも億劫になってきた。久保田さんの過剰な思いやりには何の瑕疵もない。すべてプロ野球選手の傲慢な神経質が元凶だ。プロ野球界には、自分のために骨身を惜しまず道具を作りつづける職人の技能に敬意を表さずに、大したものでもない自分の微妙な感覚とやらに拘って、あれこれいちゃもんをつける選手が少なからずいるのだ。
 ―彼らは小中高とどういう道具を使ってきたのだ? 
 そこいらのスポーツ洋品店で買ったお気に入りのバットやグローブで、何の不満もなく野球をやってきたのではないのか? それで活躍してプロにきたのだろう。何をいまさら注文をつける必要がある?
 イネが久保田にコーヒーを出す。
「これもおいしい。北村席の厨房は名人揃いですね」
 それが正しい評価だ。自分の舌に合わせてくれる腕を持っているから名人と言うのではない。がんらい名人なので自分の舌を満足させてくれるということだ。
 五人ほどのかよいの賄いは休みなので、ソテツとイネと三上、千鶴、木村しずか、近記れんたちが厨房に詰めていたが、みんなうれしそうに座敷に出てきて腰を下ろす。優子や信子がすでに遠巻きにいる。主人が、
「もちろん久保田さんも野球中継を観るんでしょう?」 
「はい。試合よりもバットばかり見ています。自分の作ったバットでホームランを打っていただいたときは飛び上がるほどうれしいですね。その選手のすぐれた仕事の一端に自分も関われたという、言葉に尽くせないうれしさです。今年は神無月さんのおかげで数え切れないほど飛び上がらせていただきました。まだプロ野球選手のバット作りを担当するようになって十年ほどの若輩者ですが、神無月さんの例のバット事件の影響もあって、いろいろな選手から注文が入るようになりました」
 菅野が、
「ほとんどドラゴンズの選手ですね」
「はい、きょうはこれから昇竜館のほうへ回って、江藤さん、菱川さん、太田さんに会います。あしたは広島から衣笠さんが養老工場のほうにいらっしゃいます。……バット事件の日の一連の写真を鴨居に掲げていつも掌を合わせています。他人の名誉を守るために、わが身を考えずにあそこまで怒ることのできる人は、神無月さんのほかにおりません」
「ただの他人じゃないからですよ。これからプロ野球界の宝となる人ですから」
「ありがとうございます。これからも粉骨砕身、選手に喜んでもらえるバットを作りつづける覚悟です。ひさしぶりにお会いできて、また新たなやる気が湧いてまいりました。きょうはほんとに温かいおもてなし、ありがとうございました。おいしいお食事、ごちそうさまでした」
 また丁寧に平伏して、別れの挨拶をした。主人夫婦や菅野はもちろん、座敷の女たちもみな律儀に頭を下げた。
 久保田さんを送り出して、私たちの遅い昼食になった。男どもはナス天ぷらきしめんライス、女たちは大盛りソウメンを食った。主人が、
「弘法筆を選ばずの神無月さんも、久保田さんのバットには感服しとるんですな」
「バランスが最高で、スムーズにバットが出ます」
 菅野が、
「金田のバットはどうでした?」
「握りが細くて、重かったです」
「臨機応変。やっぱり筆を選んでませんね」
 私は主人に、
「中日球場のコーチ室にロッカーに、まだ包装ラップを剥いでないバットが二十本近くあります。うちの玄関納戸と同じように除湿剤を吊るしてね。うちにも三十本はあるでしょう。順に一本ずつ使ってどこも不具合が出ないのに、これ以上増やしたくないなあ」
「キャンプからコツコツ使っていくしかないですね」
 菅野が、
「一月四日に新人が入寮します。例年なら六日から十九日まで中日球場で新人合同自主トレがあるんですが、今年もそれが禁止されてるわけじゃなくて、監督コーチ不参加という条件のもとで個人的に体調管理をする分にはかまわないと言われてるわけですから、結局やる気のある連中が集まっちゃうんじゃないですかね。キャンプからと言わず、神無月さんもそのあたりから参加して、基本的な体力を作っておいたらどうですか」
「そうですね。年末から年初めにかけてはゆっくりしましょう。ところで、長嶋も寮に入ったんですか」
「謎です。聞いたことがありません」
 主人が、
「入団後すぐ契約金で家を建てたと聞いたことはありますが」




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