百三 

「学生諸君、ついに私たちの念願が叶いました。青森高校を日本じゅうにあまねく知らしめたご両名をお迎えすることができました。今年度百六十八本という驚異的な数のホームランを放って三冠王および最優秀選手に輝いた神無月郷さんと、劇団天井桟敷主宰者であり、昭和三十九年度ラジオシナリオ『山姥』でイタリア賞グランプリを受賞なさった寺山修司さんです。おふたかたの略歴をご紹介いたします。神無月さんの半生のごく一部分は、本人が私たちを前に口でたどって知らせるまでもなく、もろもろの情報からすでにご存知のかたも多いことと思います。おそらく彼は半生すべてを語り尽くせないでしょう。また神無月さんが自分の人生を語りたがらないことはとみに知られています。きょうはピンセットでつまんだようなめずらしいお話が聴けることと思います。神無月さんは、野辺地中学校から青高に入学し、青森県高校野球大会二年連続三冠王として怪物の名をほしいままにしたかたです。東奥日報の浜中氏の言葉を借りれば、彗星のごとくきたって彗星のごとく去っていったかたです。転校先の名古屋西高の土橋校長とは、私は奇しくも大学の同窓でありました。したがって神無月さんの消息は彼から細かく私に伝えられておりました。その中には、全国模試二回連続首席というのも混じっておりました。勉学においても怪物だったわけです。彗星のごとく去って一年半、彼はまったく野球を休止して勉学に励みました。その理由はあなたたちもよくご存知のことでしょう。そうして現役で東大合格、その東大を春・秋、準優勝・優勝へと導いた立役者となり、一年生の秋、東大を中退して中日ドラゴンズへ電撃入団、ドラゴンズをリーグ優勝、日本シリーズ優勝へと導いた立役者となりました。まさにこの五年間獅子奮迅の活躍をしてまいったわけです。いっぽう寺山修司氏は、青高時代は文芸部に所属して独自の文芸活動をし、早稲田大学に進んでからは一挙に歌人・詩人として花開き、十八歳にしてチェホフ祭で短歌研究新人賞受賞、その後『われに五月を』、『空には本』といった作品を皮切りに、賞という賞を軒並み手中にしてこられた、これまた獅子奮迅の活躍をつづけていらっしゃるいまや日本に知らぬ人なき文学界演劇界の巨人です。彼に神無月郷顕彰碑の銘文を刻んでいただけたことはわれわれの大殊勲であります。きょうの講演も永遠に語り継がれる類まれなる天賦の合体として讃えられることでしょう。なお青銅の選手像は、棟方 志功氏と親交篤くする大湊市の彫刻家古藤正雄氏の手になるものです。体調すぐれず、きょうはご出席なさっておりませんが、現在六十二歳、野球はあまりわからないけれども神無月選手の生きざまの大ファンだとおっしゃっておられます(笑い)。では私は聴衆の一人となります。中島秀子さん、よろしく進行のほどをお願いいたします」
 大喚声、盛大な拍手。ストロボ、フラッシュ。ヒデさんの声。
「では、まず、神無月郷顕彰碑碑文制作者、体制に迎合しない異端児、時代を挑発しつづけるマルチクリエイター、ラジオドラマ『中村一郎』にて民放会長賞、『山姥』にてイタリア賞グランプリ、放送詩劇『大礼服』にて芸術祭奨励賞等さまざまな賞を授与され、さらに演劇実験室『天上桟敷』の座長でもある寺山修司氏にひとこといただきます」
 寺山はゆっくりと、マイクが据えられている演台に近づき、一礼すると、すべてを見通すような大きな目で、
「こんにちは。きみたちの大先輩の寺山修司です。神無月さんにはとうてい敵いっこないけど、けっこういい男でしょ?(大爆笑)青森高校は昭和二十九年に卒業しました。神無月さんの十四歳年上です。この十日に三十三歳になります。青森高校が青森中学校と言われていたころ、私が生まれる八年前に、かの太宰治がここを卒業しています。……さっそく本題に入りたい。彼と神無月さん、そして私は、瓜三つです。どういう意味でそっくりかと言うと、こう、人生そのものが母親を求める旅になっているというところです。実母に嫌われ、代理母を捜し求める旅をつづけているところです。名作『津軽』のタケを思い出してください。いろいろな本に書いたとおり、私も母親で苦しめられてきたクチだけれども、私の見たところでは、神無月さんもそのようだ。マヤコフスキーの詩に『おふくろが俺の心臓に汽笛を取りつけたので、いたるところで汽笛を鳴らす』というのがあります。神無月さんの場合、まさにそれだろうと思う。いま中日新聞に神無月さんが連載中の『五百野』という小説は、神無月さんの母親回帰の祈願を具現化したものにほかならない。幼いころから常にあったその気持ちを、ある日野球のバットが弾き飛ばした。しかし、バットのカーンというオノマトペより、母親が取りつけた汽笛のポーというオノマトペのほうが、彼の人生に強く響きつづけてきたわけなんだな」
 オノマトペって何だ?
「彼は現実の汽笛に刺激されて、野球という非日常的な異次元空間へ逃避し、その人工的な(神無月さんに言わせると無機的な)異次元空間から、母親ではない人間の住む有機的な異次元空間へと視野を広げていったと。神無月さんにとって、母親ではない人間の住むその社会は、強者の住む日常社会ではなく、権威的な言葉を必要としないマイナーな人びとや弱い人びとの住む異次元空間であって、リアルな日常空間とは異なる。その齟齬を彼はいつも感じてきたし、いまも感じているわけだけれども、果てのない非日常という孤独に住んでいる彼は、その孤独を表現する言葉を模索しながら、かつて自分が権力志向者だったころには好んでいた強者の住む〈ホーム〉へ戻れないんだ。きみたちが敬い、愛している神無月郷はそういう人間だと私は確信してる。私は神無月さんのことを、自分の目の前に現れた、私に似たもう一つの瓜だと直観した。きっと太宰が生きていたら同じように感じただろうね。太宰治は母親回帰のない中原中也のような男を嫌ったからね。きみたちと同様、私も神無月郷を愛している。きょう会った瞬間に、恋し、愛した。控え室でその気持ちを抑えるのがたいへんだった。私が献呈した碑文をもう一度言うね。―神無月郷はかつてホームを好んだが、棍棒で言葉を手の届かないところへ弾き飛ばしてしまったので、二度とホームへ戻れなかった。野球選手であり芸術家でもある神無月さんが、いま求めている言葉は、現実のホームを表現するものじゃなくて、非日常のシェルターの孤独を表現するものだ。そのために神無月さんは野球という夢の空間を離れることができない。現実のホームをバットで弾き飛ばしちゃったからね。五百野はそういう夢のような孤独のどん底で書きつづけているまぎれもない〈理想母〉希求の作品であると。現実には存在しない母親を求める心―芸術家がこの心を失うと、芸術は滅ぶだろうと思う。以上」
 ウォーという怒号。割れんばかりの拍手。演台から椅子へ戻る寺山にフラッシュの矢が突き刺さる。ヒデさんの声。
「それではいよいよ神無月選手のお話をお伺いすることにいたします。神無月郷選手は、今年十一月二十二日の日本プロ野球機構年間授賞式において、ホームラン・打率・打点の三冠は言うまでもなく、打撃賞の全部門の第一位となりました。さらにベストナイン、MVPも受賞いたしました。こうして紹介しているだけで恐ろしくなりますが、どういうかたなのかこの目でしかと確かめるために、ご本人に登場いただきたいと思います。神無月郷選手どうぞ!」
 フラッシュ、ストロボの嵐。演台の前へいき、頭を下げる。
「どうも、口をきわめて褒めていただいたようで、ありがとうございます(爆笑)。寺山さんがおっしゃった神秘的な言葉の意味がわかれば、きっと天にも昇る心地になれるんでしょうが、いまひとつ鼻の穴をふくらませることができないんです、ほんとうにすみません(爆笑)。非常に入り組んで不思議な言葉を駆使した寺山さんの神無月分析を理解できるほどの頭脳の持ち主なら、神無月はなんてすげえやつなんだときっと思ってくれたことでしょう。あなたたちの善意を乞い願います(大爆笑)。……ただ、現実の中には自分を愛してくれる母親が見つからないので、夢の中に理想母を希求するとというところは、まさに正鵠を得ていて、震撼とするものがありました。美しい言葉で表現していただきました。うれしかった。……しかし、私はただの野球好きのハードワーカーなんですよ。愚鈍な肉体派です。寺山さんのような天才的な知性派ではありません。……ええ、努力という言葉は泥臭いので、頭を掻いて遠慮したくなる誇り高き人もいるかもしれませんが、誇りと言ったものを持たない私は一も二もなく好みます。努力なしでは、好きなことが上達できないからです。……私にも努力なくできる天賦が一つあります。歌を唄うことです。宴会芸ですね(笑い)。そのほかは、野球にかぎらず、すべて努力を必要とします。くどいようですが、寺山さんのようなマルチな天才鬼才ではないんです。さっきみたいに彼と肩を並べたみたいな紹介のされ方をすると、何者でしょうか、この私は、という冷や汗の出そうな気分になります。こりゃ、相当なプレッシャーですよ(爆笑)。笑いごとじゃない―ええ、そうなんです、笑いごとじゃない。私の脳味噌はかなり粗悪にできていて、抽象的にものを考え、抽象的に語るのが不得意なので、脈絡なく具体的な話をするしかありません。ここでちょっと水をいただきます」
 コップ一杯の水を飲み干す。
「ええ、野球しか知らないので、野球の話をします。―ミーティングというのがあります。試合前の作戦準備としてのミーティング、試合中に戦法を徹底させるためのミーティング、それはダッグアウトの前で監督やコーチを囲んで頻繁に行なわれます。さらに、試合終了後に反省会として開かれるミーティング……。大リーグでは、シーズン中のミーティングは、ときどきしか行なわれません。選手たちが自分のやるべきことを知っているからです。でも、日本では、選手たちはやるべきことを常に指示されなければならないんです。チームが負けると徹底的に敗因を究明し、責任の所在を明らかにしようとします。チームが勝ったときですら、その試合で起きたミスが指摘されます。どんなに注意してもしすぎることはない、というのが基本的な考え方です。―日本の野球は、練習量の多いことや、サインプレイの多いことなど、やりすぎと思われる部分が少なくありません。同時に、監督やコーチの命令など、さまざまな制約によって雁字搦めに縛られています。つまり〈勤勉と品質管理〉が〈自縄自縛〉となって、純粋に野球をする楽しみをなくしてしまっているんです。集団としてまとまると、陽気な空気や、くつろいだ雰囲気をなくすということです。それどころか、悠長に構えられないのでミスを犯すということです。―まじめさはどこまでいくかというと、ミスまでいくということです。……具体例を挙げましょう。テレビでこんなプレイを見たことがあります。一点差を争う試合でした。負けているチームが攻撃していて、一死満塁、ツースリーのフルカウントからスクイズのサインが出ました。相手のピッチャーは気づいてピッチドアウトしました。そのピッチャーはフォアボールを出すと押し出しになることを忘れていたんです。逆に言うと、バッターは見逃せばフォアボールになって、一点まる儲けで同点になることを忘れていたんです。何を言いたいかおわかりでしょう。そのバッターの頭には監督命令しかなく、糞ボールに飛びついて空振りしたんです!(オオという嘆声)馬鹿なやつだと言わないでください。監督命令は絶対ですから。キャッチャーは三塁へ送球して、飛び出していたランナーはタッチアウト。一挙にチェンジ。……自分の頭で判断しないまじめさというのはここまでいくんです。―まじめさは形式を遵守する、誠実さは自分の考えを遵守する。すべからく形に縛られない誠実さがあってこそ、野球は楽しくなる。私が中日ド ラゴンズに入団して訴えつづけたのはその一点でした」
 水を一口。
「しかし、心配無用でした。ドラゴンズはもともとそういうチームだったんです。監督コーチ同士以外のミーティングはしない、練習は自主トレ重視、合同トレは春のキャンプ以外は参加自由、サインは適宜仲間同士で出し合う。監督もコーチも何の命令も出しません。ほんとですよ。そういうチームだったんです。……他のチームへいっていたら、私はアホとして一蹴され、一軍に登用されることもなく、二軍で数年暮らして放り出されていたことでしょう。幸い、中日ドラゴンズに拾われ、監督やコーチやチームメイトに愛され、三冠王まで獲って、きょうめでたくこの演壇に立っています。―寺山さんのおっしゃった、夢の孤独の底に沈んで有機的な言葉を探す作業は、ドラゴンズを卒業したあとゆっくりやろう、などとは思っていません。卒業したら夢が覚めてしまいますから、夢の中に沈めなくなります。同時併行で書きつづけます。私は天賦に恵まれた芸術家ではないので、芸術一筋に努力し、没我の境地になるということができません。それが芸術の天才として生まれなかった人間の応分のところだと思っています。―いかがですか、現在のあなたたちの生活に役立つ言葉が一つでもありましたか? 勝手に、あったと言わせてもらいます。自分なりの理想を求めてガムシャラに努力して生きろということです。自分でまとめてしまってすみません(爆笑)。……最後に、野球と関係のない私なりのプチ哲学をひとこと。一つのことに努力するとき、どれほど人に救われなければならないかということです。私が思うに、努力は人間のサガなので、めいめい勝手にやればいいでしょう。しかし、それを励まし、継続させてくれる人がいなければ、その努力は水泡に帰します。努力は自力で完成させるものではありません。他力あって初めて大団円を迎えられるものです。その大団円を私はマグレと呼び、生涯懸けて感謝し、これからも感謝しつづけます。―胸に滲みる校歌、ありがとうございました。ご静聴、お疲れさまでした」
 轟々たる拍手と喚声の中、礼をして椅子に戻った。二十分ほどしゃべった。寺山と小野校長と固く握手した。二人とも真っ赤な目を潤ませていた。男女の学生たちが奇声を上げながら壇上に駆け上がってきた。寺山と私に抱きついたり、握手したりする。一般の人も何人かいた。報道のカメラも駆け上がってきて写真やビデオを撮りまくった。ヒデさんが演台に立ち、まぶたを拭いながら、講演についての短い感想を述べた。聞き取れなかった。
 押しくらをしながらみんなで雪のラグビーグランドに出ていく。私は寺山と校長と離れないように肩を寄せ合った。西沢先生はじめ教師連が寄り添う。雪を踏み固めた一本道を歩き、金網の外れから隣の野球グランドへ数百人の人びとが入りこんだ。私たち三人はバックネットまで歩く。
 ネット裏の広い空間に銅像が立っていた。銅像の台座の前に、高下駄を履いた応援団がグランドを向いて並び、私たち三人に面と向かった。応援団長は腰に両手を当て、
「選手を送る歌!」
 と叫んだ。ネットの外のわずかに雪が盛り上がったピッチャーズマウンドに立ち並んだブラバンが演奏を始める。斉唱。

  合浦原頭朔風すさび
  勇姿堂々渾身の血湧き
  猛り立つおのこら虎嘯(こしょう)睥睨す
  踏めよ躙(にじ)れよわれらが選手


 私は等身大の銅像と、台座の碑銘を眺めていた。銅像は、前足を踏み出し、後ろ足に重心を置いて、まさにボールを捉えようとしている瞬間の姿だった。両手に握られたバットも金属で造られていた。周囲に数本植栽されている枝だけの立木は、校門からの一本道のものと同じ八重桜のようだ。
 応援歌が終わると、記者団が雪崩れこみ、小野校長、寺山修司、私の三人が銅像の前で肩寄せ、手を重ね、微笑み合う姿を写真に撮られた。記者団のいちばん前に東奥日報の四人が陣取っていた。私は浜中に近寄り、
「カズちゃんが知人のもとにいますので、今夜はそこに一泊して、あしたの午後の飛行機に乗ります。今回は長期にわたる取材ありがとうございました。また何かあったらご連絡ください」
「こちらこそすばらしい取材をさせていただきました。きょうのテープは数日にわたってテレビに流します。私がどれほど神無月さんを愛しているか、しっかりと表現できないのが残念です。野球、小説ともども、今後もがんばってください」
「がんばります」
 恩田が、
「初回放送の的外れな編集をお許しください。今後、けっしてああいう失敗はいたしません」
「あなたたちの失敗でないことはわかってました」
 田代が、
「きょうのフィルムで、もう何があっても誤解されることはなくなるでしょう。懇親会は撮影予定になかったので、これで失礼します」
 丹生が、
「取材という枠を超えて、これからも末長いお付き合いをお願いします」
「はい。友情を誓い合いましょう」
 彼らは深々と礼をして去っていった。


         百四

 校舎の玄関に戻り、応接室に向かう廊下を歩きながら寺山が、
「十五歳のとき、野脇中学校の三年生のときでしたが、青森市営球場で藤本英雄の完全試合を観ました。野球は、みんなホームへ向かって必死に帰ろうとするのがイヤだな。フィールドの中で齷齪するとそういうことになる。フィールドの外へ飛び出ようとするホームランだけがすてきです。ホームランを打ったあとのホームインは単なる社交辞令でしょう。真剣味がない。不思議なのは、中日ドラゴンズだけはそういうときも、みんな真剣に喜び合ってる。つまり、愛し合ってる。水原監督たちもまた神無月さんの理想母だと思う。野球をしているときは、神無月さんは彼らのもとに還ればいい」
「とてもわかりやすいお話です」
「ぼくのしゃべりは、真剣な修飾や演技です。言いたいことを誠実に言おうとするとああなる。でもあなたは要点をつかんでくれた。ぼくの誠実さが伝わったということです」
「……青高に入学したのは?」
「完全試合の翌年です。短歌を詠みだしたのは早稲田に入ってからです。それまでは俳句を書いてました。東京にいらっしゃった際に、ぼくを思い出すことがあったら劇団を訪ねてください。そのときは飲みましょう」
 文学者とは付き合いたくないし、劇団の所在地も知らなかった。
「ぼくは酒が弱いですよ」
「ぼくも腎臓をやられてます。痼疾のネフローゼです。悪化をスローにするよう、もう十五年も〈努力〉してます。人に手伝ってもらいながらね。競馬、興味ありますか?」
「ありません」
 笑い合った。私は小野校長に、
「名古屋西高の土橋校長によろしくお伝えください。西高時代を乗り切れたのは、先生のおかげだと」
「伝えておきます。きょうはこれから?」
「知人のところにいきます。義理を果たしたいので」
 寺山の目がギョロリと動いた。小野校長は、
「そうですか。生徒との懇親会の予定はどうしましょう」
「あ、それはいいですよ、一時間ほどなら」
「そうですか! ありがとうございます」
「じゃ、私も予定どおり出席させてもらうことにします。神無月さんとしゃべるのは楽しい。どうせきょうは、ホテルに戻って、仲間と飲んで寝るだけだから」
 寺山が言った。仲間と飲んで、と聞いて、記者団が色めき立った。寺山は、
「神無月さん、生涯に二人得がたき君ゆえにわが恋ごころ恐れ気もなし、という中城(なかじょう)ふみ子の歌があります。あなたが義理を果たしたくなる人はそういう人ばかりなのでしょう。応えてあげてください」
「その女性は?」
「大正十一年生まれの歌人です。生きていれば、たしか神無月さんのお母さんと同い年のはずです。第一回五十首詠で特選となった直後、乳癌で亡くなりました。第二回五十首詠の特選はぼくでしたが、二回とも中井英夫さんが独断で選考したものです。中城が足長おじさんと言った人です。彼がいなければ、中城ばかりでなくぼくのいまもありません」
 中井英夫? だれだ。西沢先生が玄関に群がる学生たちに向かって、
「こらあ! おめんど、早ぐ猛勉しにいげ。まンだまンだ努力が足りねべ。生徒代表十二人は校長室の隣の応接室へ」
 応接室に向かう廊下を歩く。あらためて広い高校だとわかる。私は相馬に並びかけ、
「おひさしぶりです」
「うん、きみの不在の四年間が吹き飛ぶような、劇的なひさしぶりだったよ。国語教師が言葉に酔っちゃった。感激した。ありがとう」
「万年バカですみません」
「天才放浪者(バガボンド)だよ。……また帰っちゃうんだね。今度は何年間だろう」
「はあ……。懇親会の十二人には野球部もいますか」
「いる、一人。キャプテン」
 学生たちがのろのろと、教師たちはきびきびと廊下を歩く。
 応接室に集まった十二人の学生の中にヒデさんがいた。頬を染めて同胞たちの顔を見回していた。金ボタンの学生服に、金ボタンのセーラー服。暖房の効いた応接室にくっつけけ合せた机が正方形に組まれ、茶とジュースが用意された。私はワンタッチネクタイを外してポケットにしまった。
 正方形の一辺に校長、教頭、西沢、相馬、石崎が座り、二つの辺に学生十人、もう一辺に寺山と私と学生二人が座った。ヒデさんは私の左の辺にいた。女は三人だった。周りをカメラとデンスケが囲んでいた。教師たちは煙草を吸っていた。寺山は煙草を口に銜え、ただ吹かしていた。口中に煙をしまいこんで、プッと吐き出すのだ。私はすぐに話しはじめた。数本立っていた紫煙が消えた。
「寺山さんはぼくの五百野を褒めましたが、どうしてですか」
「だれが何と言おうと、完璧なフィクションだからです。あれを実話と受け取る人間はよほど感性が鈍い。ま、詩でも小説でも、結局は、じょうずな嘘のつき方ってことですからね。神無月さんはじょうずに嘘をついて、家の外へ逃げ出して、近親憎悪を免れた。スマートな人生です」
「家出の勧めですね。ふと、じょうずでない嘘の話を思いつきました。小林秀雄が昭和三十年代に、十一歳と十歳の男女の子供二人を殺した炭焼きの死刑囚の話を、学生相手に講演したことがあるんです。ラジオの録音で聞きました。柳田国男の『山の人生』という本を引き合いに出してました。―早くに妻を失い、子供二人を抱えている炭焼きです。苦しい生活の中、そこまでかつがつ生きてきたが、ついに、里に下りて炭を売ろうとしても売れずに空しく帰る日がつづくようになった。あるとき里から戻って、くたびれて空しかったので昼寝をしていたら、物音に目覚めた。薄く目を開けると、男の子が懸命に鉈を研いでいる。女の子がしゃがんでそれを見ている。研ぎあがると彼らは表に出ていった。炭焼きも何だろうと思って出ていった。あたり一面の夕日だった。男の子が一本の丸太に頭を載せて横たわると、女の子も並んで横たわった。男の子が、おとう、俺たちを殺してくれ、と言って鉈を差し出した。そのとき炭焼きはめまいがして、思わず二人の首を刎ねてしまった。自分も死のうと思ったが死に切れず、里でうろうろしているところを警察に捕まった。小林が言うには、これぞ人生の真実であって、恋愛やら、芸術やら、そんなことをやってる連中は何をしてるんだ、そんなものはみな言葉遊びだ、こせこせして小生意気な恋愛みたいなものを書いて、これが人生の真相だなどと言ってるやつは、この囚人の話を聞け、この子供ほど健全な存在はない、お父さんがかわいそうでたまらなかったのだ、俺たちが死ねばお父さんは助かるだろう、そういう気持ちでいっぱいだったんだ、精神の力で鉈を研いだのだ、言葉に捉われないこういう精神、ほんとうの人間の魂だ、そういうところまでいまのインテリゲンチャーは降りていないからだめなんです、そうでなければ現代の精神の荒廃は治まることはないんです、あんまり言葉が多すぎるんです、人類はどうしたらいいか? 以上が彼の言葉です。―ぼくが信じないのは、こういう〈じょうずでない嘘〉を言う人です」
 野球部らしき学生が、
「その話は嘘ですか?」
「嘘ですね。引用した話に真実がない。山で炭焼きをするほどの人なら、里で土方でも農作業の手伝いでも何でもできます。かつがつのままであろうと、生きていけます。子供がお父さんの口だけを助けたいと考えるのは異様です。嘘でしょう。自分たちも、一家も助けたいと思うのが自然です。ある種の衝動から、ほんとうに殺してくれと頼みこんだとしても、請け負って自分たちを殺したお父さんが、あとで心理的、肉体的に窮地に陥ることを考えていない。つまりお父さんに対する〈健全な〉愛情がない。そんなわざとらしいことをしなくても、それほどの覚悟があるなら、自分たちで自殺できるでしょうし、できないなら里に下って児童労働だってできる。物乞いさえできる。それなのに健全? ほんとうの人間の魂? 鉈を渡された男の〈めまい〉って何ですか? でっち上げですね。子供を愛していたら、馬鹿なことを言うなと怒鳴りつけるでしょうし、涙を流して抱き締めるでしょう。それが、めまい? 首を切り落とした? 死に切れない? すべてに真実がない。そういうことが実際にあって、炭焼きが警察に捕まったのだとしたら、彼の自供が嘘だからです。面倒くさくなって殺してしまったんでしょう。言葉やら、インテリやらを槍玉に挙げて打ち据えるほどの真実など、この話にはまったくないということです。この三面記事的な話から、インテリや言語芸術を槍玉に挙げるのも唐突すぎる。小林秀雄が常々礼賛しているのは天才芸術家たちです。自分も彼らと同列だと思っている。槍玉に挙げること自体、自家撞着でしょう。〈いまのインテリゲンチャーは降りていない〉という言い方が証明してる。インテリは高所の人間だと思ってるんです。浮薄な凡才インテリや芸術家はいつの時代にもいる。降りてくるも何も、もともと低所にいる。そういう輩だけを非難すればいい。がんらい魂の真実など持っていない人たちなんだから非難に値する」
 寺山が激しく拍手した。
「小林の言う、その一家の顚末が人生の真実だとすると、無口に、生活の悲惨な重みに打ちひしがれるのこそ人間本来の生き方だ、という結論になるね。とすると、たしかに言葉も芸術も要らなくなって、この世は荒野だ」
 ヒデさんが、
「めまい、のひとことが謎になります。目が回っているのに、正確に二人の首を落としてることです」
 私は、
「柳田か小林の脚色でしょう。実際こういう殺人事件はあったんだと思います。夕日とめまい……カミュの異邦人ふうに脚色したんだと思う」
 右手の男子学生が、
「それこそ言葉遊びの常套だべ。柳田も小林も言葉遊びをしているインテリにほかならないということだべ」
 もう一人の男子学生が、
「死に切れねってなんだ? 首でも吊ればすむことだべせ」
 ヒデさんの隣にいた女子学生が、
「子供の死体を放っておいて、里でうろうろというのも解せません。なぜ、子供を葬るなり、自首するなり、逃亡するなりしなかったんでしょう」
 相馬が大きく微笑んだ。
「きみたち、なかなか発言するんだね!」
 小野校長が、
「神無月さん、こういうことですか?」
「はい、自分の考えを遵守する誠実さです。小林は基本的に他人の独創から引用したフンドシを格好つけて巻いて相撲をとる説教家で、太宰治や寺山修司さんは独創で勝負する芸術家です。日本は説教家が、いわゆる評論家が幅を利かせています。その荒廃したシステムこそ嘆くべきです。ところで、寺山さんはじょうずな嘘と言いましたが、嘘の中でも最大なものは前衛芝居でしょう。前衛芝居は現実で見られないものを見るのが骨頂のはずですからね。生まれる前の世界とか、死後の世界とか、実際に起こらないようなできごととか、奇想天外と言うか、幻想怪奇と言うか、そういうのを客から金を取って観せるわけです。そのための眼目は〈おもしろさ〉でしょう」
「おっしゃるとおりです。まったく舞台の見えない真っ暗闇の中で芝居をすることもあります。その中でも役者は懸命に演技してるし、客もなんとか目を凝らしたり想像したりして観ようとする」
 寺山というマルチ人間は、観客の想像力に下駄を預けるという方法論に執着しているようだ。作者の想像力は試されないのかという疑問が湧いてきた。
 それからは、参会者たちの話題が、学業、家庭生活、恋愛、野球とさまざまに跳びはね、やかましい懇親会になった。ほとんど寺山が相手をした。その受け答えはまさに魔術だった。教頭が、
「野球を忘れさせる野球人、文学を忘れさせる文芸家。一つところに留まらない精神とはこのことですね。お二人のおかげで、不思議に充実した講演会と懇親会を催すことができました」
 早くも送別の辞めいた言葉を口にした。西沢が押し留めるように、
「勉強だけチマチマやってるんでは、人間として先がないということですな」
 話の水門を開いた。私は、
「その時期もきちんと人生が流れているので、チマチマも重要です。その時期に抱いた疑問が、一つひとつ解決されていくとき、生きてきた甲斐があったと感じます。チマチマやって、目先の利益に生きなければならない時期があるんです。ただし、疑いながら、誠実にね。ぼくも寺山さんもここにおられる先生がたも、みなその時期をすごしました。学歴はチマチマの生きた証拠です。学歴を見ると、人間の柄に大差のないことがわかってホッとしますよ」
 寺山が、
「一つ、神無月さんが話題にしないことがある。才能。人間の柄は大差ないにしても、才能には大差がある。これはずるく避けて通れない。神無月さんがずるく避けているわけでないことはわかってる。つまり、だれにもよくわからないものだから、明言を避けてるんでしょう。チマチマやっている時期にいちばん悩ましい命題になる。身も世もなくね。神無月さんは、自分は才人ではないと言って笑うけれども、そも、才人とは何かということになると、心もとない。頭なのか肉体なのか。社会的に成功した人間? 他人のまねできないホームラン? 華麗な文章? すべて比較論で優劣をつけてるだけのことで、結局神無月さんの言う〈努力〉する根気こそ、才能じゃないのかなあ。怠惰でないかぎりすべての人間に才能があると定義すると、ものすごく大勢の人が救われる」
 私は、
「その根気を支える人がいないと―やはり才能は少数者のものになってしまいます。寺山さんの実験的な演劇劇団にしても、才能ある人たちが固定理論や方法論を破壊しようとして営まれるものでしょうから、それこそたがいに認め合い、たがいの努力を支え合わないと、空中分解してしまいますね」
「そのとおりです。演者、演出者、作者が一体になって舞台作りをするんです。それがうまくいくと、前衛的な総体として迫力を感じさせられると同時に感銘も与えられます」
 前衛―先進的な試み。それに迫力を感じさせ感銘を与えられる人種と、そうでない人種と二通りあるとするなら、私は後者だ。私は先進的な試みなどできない。しかも不条理なできごとに矮小な頭いっぱいを使って理屈を求めたがる。寺山には理屈はない。言いっ放し、やりっ放し。不条理など簡単に受け入れる。彼は、才能、つまり努力の根気はあるだけでよしとするが、私はそれだけではよしとしない。その努力を支持し継続させてくれる他力が必要だと考える。寺山は、何をしてもかならず支持されると信じている。彼が中井英夫の話をして支持者を褒め称えたのは、先天的な自己肯定からくる〈誠実な演技〉かもしれない。私がさっき寺山を芸術家と言ったのは、彼の天真爛漫な試行がことごとく成功しているからではなく、ものを創り出すべく運命づけられているという事実を言っただけだ。
 私と寺山とは永遠に交わらないかもしれない。私のうつむきがちな目を見て寺山の唇がかすかにゆがんだが、それは彼の特徴的な癖なので気にならなかった。


         百五 

 学生たちとの対話がいろいろ聞こえてきたが、耳に留まることが少なくなった。ヒデさんが、
「奥さんの九條映子さんのお話をしていただけますか」
 寺山の顔が少し翳った。話が長引く。教頭はあきらめたふうに煙草に火を点けた。
「よく知ってるなあ。神無月さんの芸能人嫌いは有名だからね。ちょっと恥ずかしいけど……。私がシナリオを書いた篠田正浩監督の『乾いた湖』という映画に彼女が出演したのがきっかけで出会ったんだよね。もと松竹歌劇団のダンサーで、大映の女優」
 小野と同じだ。プロと呼ばれる世界で暮らす人は、どうしてそういう一定の出会い方を繰り返すのだろう。まるで職場結婚ではないか。
「吉祥寺のカトリック教会で結婚式を挙げた」
「寺山さんはキリスト教徒ですか?」
「いえ、ちがいます。カトリックは一方がキリスト教徒なら結婚オーケーです。プロテスタントは両方ともキリスト教徒でなくてもオーケーです。仲人は、私をメディアの世界に引き入れてくれた恩人谷川俊太郎でした。九條と私は同い年です。私は田舎育ち、彼女は麻布の都会育ち」
 かならずこのパターンだ。あくびが出る。悪意はないのでもちろんあくびはしない。
「女房のことは、劇団活動を手伝ってくれる大好きな人、としか言いようがないね」
「お母さんですね」
 ヒデさんはずばりと言った。
「お母さんには理想のグラデュエーションがたくさんありますから、大勢の女の人がいるのが自然な状態になります。お母さんの城垣(しろがき)。すてきです」
 寺山は城垣と言うほど大勢の女に囲まれているのだろうか。ヒデさんが社交辞令を発したのは明らかだった。私はそういう意味で笑った。石崎が、
「おいおい、中島くん、失礼だよ。すみません、寺山さん、中島くんは校内トップスリーに入る大秀才で、発言も直截的でして」
「いや、いいんですよ。そのとおりですから。するどい指摘だ。お、ようやく神無月さんが笑った。じつにうれしい。一回り年下の理解者だ」
 太宰治にしても寺山修司にしても、五人、六人くらいの女では、私の理解の範疇に収まりすぎる。しかし、理解したことにならない。理解には好悪が係わる。記者たちも学生たちもみんな〈理解して〉好意的に笑った。私は、
「たぶんぼくが理解できる寺山さんは、寺山修司という入り組んだニューロンの万分の一です。ぼくのしていることは、打って守って走るだけで、あまりにも単純明解なので、余分な言葉をほじくり出して説明する必要はありませんが、寺山さんはそうはいかない。なさっている仕事の内容を、演劇の内わけだけでも、概略教えてほしいんですが」
「ひとことで、文化的なスキャンダルと言うか、要するに、こう、社会がある程度、一九六○年代というのは激動期にあってね、大学闘争なんかがちょうど始まりかけていたという、そういう時期だったわけです。ぼくたちは演劇で何ができるだろうかと。で、そのころ演劇というのは、ほとんどまあ、新劇と、まあ新派とか、歌舞伎とか、そういうふうな従来の区分けの中でなされてるものしかなかったわけですね」
 急に訛りの混じったしどろもどろの訥弁になってきた。これが本領なのかもしれないと思った。とすると、話は長くなる。
「しかし、たとえば去年のパリの五月革命なんかは―」
 またラビエンの学生ボックス席か。よしのりがここにいたら狂喜するだろう。教師たちの顔に退屈が滲み出しはじめた。貴重なフィルムとばかり、ビデオを回しつづけるテレビ局がある。寺山の巨人性が偲ばれた。
「オデオン座に学生たちが逃げこんで閉じこもったりして、オデオン座の劇場空間がそのまま学生たちの大学闘争、五月革命闘争の拠点であったりしたと。ところが日本の劇場では、やっぱりこう外国の翻訳劇をやって、日本人がこう、髪を赤く染めて、トニーとかヘンリーとか言いながら、そういう芝居をやってたわけです。そういうこう、なんか、ためになるけどおもしろくないような、そういう新劇ってものに対して、なんか、世の中、ひとつ、こう、演劇によっても、なんか、地上的な、惰性的な生活に揺さぶりをかけてみたいと」
 学生たちは真剣な眼差しを寺山に当てながら微動だにしなかった。まったく興味の持てない知の巨人だ。
「それで、いちばん最初のころは、もうほとんどサーカスとか手品とか見世物とかそういうものにあった、一種のこう、畸形の祝祭性というかね、コビトとか、象男とか、そういう人たちが舞台の上に出て、サーカスのジンタとともに世の中を、こう、告発するようなね、そういうものをやってました。そのころはもう文化欄なんかに天上桟敷の活動が載ることはなくてですね、それで、ほとんど社会面を賑わすしかなかったわけです。それからあの、演劇ってものを考えていくとね、映画でもニュースとかドキュメントというふうなものと、それからフィクション、物語ってものがある。演劇になんで、ニュースとかドキュメントがないんだろうかと。それで、杉村春子なんかが、森本薫の書いた女の一生をやるよりも、なんか、角のタバコ屋のおばさんかなんかが自分のすごしてきた一生を舞台でやったほうが、はるかに感動的かもしれないと。そういうことから、あらゆる人間は俳優であるという視点に立って、こう片っ端から素人ばっかを舞台の上に載せて、それでまあ、きのう就職したばかりの女の子が、自分の勤め先のレストランのメニューを読み上げて朗読したりするとかね、トルコ風呂の用心棒をやってる人がトルコ風呂でしてよいこととよくないことについて、こう、自分がまとめたのを作曲して、それを全員で合唱するとかね」
 見えてきた。舞台という瓶に乱雑に詰められた群集の溶液。
「そういうことをやって、ますます顰蹙を買ったわけですけども。しかしまあそういう形で、ひとつ、あらゆる人間が、こう、物語というものを提供するんじゃなくてね、要するに、ドラマというのはどこにでもあるんだと、そういう視点で演劇ってものが社会科学をある意味挑発できる、そういうものとして考えたいと。とまあ、そういうことをやっているうちにだんだんとね、演劇というのはいったい何なのかと、演劇ってのはほんとうにこう、新聞の社会面に載ってるような殺人事件なんかと同じぐらいおもしろいものなんだろうかという、そういう疑問がだんだん出てくるようになったんですね。で、劇にはまず台本がありますよね、で、俳優がいて、それで劇場で上演すると。そういう一つの約束ごとがあるけど、いったい台本というのは何なのかと、で一人の劇作家と称する人の空想を集団で、なんか、実地検証するようなことを、一応、演劇と言ってるわけですよね。でその劇作家が、書いたことをそのまま複製することは、じつは馬鹿げているんじゃないかと」
 教師たちがそわそわと腕時計を見はじめた。その気配を察して寺山は、
「調子乗っちゃったね。そろそろ切り上げましょう。神無月さん、これが私の努力の実態なんですよ」
 私は不得要領の表情を作り、
「一人の劇作家の空想を集団で実現していくんじゃなくて、集団で空想できるものを集団が作り出す、共同で一つの想像力みたいなものを作り出していくということですね」
「そうです!」
「台本はそれでケリがつきました。次は俳優とは何だろうか、劇場とは何だろうかと進んでいくわけですね」
「はい。劇場は何をやっても許される空間、町なかは許されない空間」
 男子学生が、
「町を劇場にして、パニックを起こさせる」
「それでは町の人が観客になってしまうでしょ? 余儀なく参加させるようにするんです。結果は全員が想像する」
 私は、
「それで俳優の問題もケリがつきましたね。野球場には手を出さないでくださいね」
 私は笑って手を差し出し握手を促した。
「出しません。聖域は侵さないようにします」
 握り返す。
「きわめて困難な道でしょうが、精いっぱいがんばってください。寺山さんは複雑な独創性に満ちあふれています。ぼくはシンプルな道をいきます」
 ようやく終わったという安堵の拍手が上がった。ヒデさんが部屋の戸を引くと、青高新聞部の連中が入ってきて、
「よろしくお願いします!」
 大声で言って礼をした。机の周囲にみんな集められ、写真を撮られる。新聞部の部長らしき男が、
「ありがとうございました。座談の内容は立ち聞きして、メモをとらせていただきました」
 そろって校舎の玄関へ出た。土足を許されている革靴の報道陣が表に出る。新聞部が先頭に立った。私は、
「寺山さんは、煙草が吸えないんですね」
「うん。中学時代から吹かしてはいるんだけどね、あるとき友人から煙は深く吸いこむものだと教えられて、恥ずかしくなってあまり銜えなくなったんです。と言っても、間がもたないときは、銜えて吹かします……」
「頭痛とか、吐き気は、経験ないんですか」
「一度も」
 記者たちのほとんどが寺山とともに校舎の玄関から校門のほうへ引き揚げていった。振り返り、親しく笑いかける寺山に、私も親しげに笑いかけた。これから彼らはどこかで飲むのだろう。伝説の三鷹時代の太宰治が彷彿とした。女の数ばかりでない。脳細胞が緻密にできすぎている天才の心理の理解も好悪に関わる。人を引き具して飲み歩く心理には永久に嫌悪を感じる。
 私は玄関で、懇親会の学生たちと握手した。校長ら五人の教師はその様子をやさしく見守っていた。ヒデさんは、いっときの別れの手を振って白百合荘へ、ほかの学生たちは礼をして松原通りへと去っていった。入れ代わるように何十人もの学生たちが見送りにやってきて、廊下に固まってたむろしたり、下駄箱のあたりをうろうろしたりした。私に呼びかけることは遠慮していた。名残惜しげに寄ってきて握手する者が何人かいた。しかし彼らの熱はもうかなり冷めているようだった。頭の中はあしたからの勉強計画が巡りはじめているだろう。
 雨が強くなった。小野校長は下駄箱前の敷板に立ち、私に礼をした。
「きょうはほんとうにありがとうございました。講演、座談会ともに驚くほど高度な内容でした。ひさしぶりに知的好奇心がふるえました。学生たちも大いに満足したことでしょう。今後も機会がありましたら、ぜひ青高を訪れて講演してください。お待ちしています」
 私は曖昧に笑い、
「うまく調整がつけば、かならず再訪します」
 小野校長と教頭は私と最後の握手をすると、みずからの持ち場へ戻っていった。私は彼らを見送り、傘立てから傘を引き抜くと雨に向かって差した。そして三人の教師と居残っていた学生たちといっしょにもう一度、応援団もブラバンもいない銅像の前にいった。数人のカメラマンとデンスケも大傘を差してついてきた。西沢が、
「祭りのあとだね。しかし、寺山さんを相手にできるのはダンディ神無月しかいなかったから、懇親会をつつがなく終えることができた。感謝する」
 相馬が、
「五年前の怪物騒ぎに静かに終止符が打たれた感じだね。きみはまさに銅像の人だ。生きて、講演する人じゃない。あまりにも遠い人になってしまった。うれしいけどね」
 私は銅像を眺めやり、
「遠くへいく根性はありません。はったりの利かない地蔵さんですよ。こうやって野球小僧の格好で突っ立って、いつもそばにいます。ぼくは水原監督がいるかぎり、野球をやりつづけます。プロ野球人であれほどの俠客はいません。次郎長です。チームメイトも、大政、小政、石松揃いです」
「よかったね。……この一年は、難癖つけられたり、襲われたり、いろいろあったようだけど、よくこらえた。どんなときも動じることなく、お地蔵さんでいてほしい」
「はい」
 学生の一人が、
「寺山さんてきっとすごい人なんでしょうけど、賞で固められてる人の言うことが、反体制、ウルトラリアリズムとわかって、なんかつまらなくて、正直、驚きました」
「知性派のコケを脅すのが表彰されるコツだね。寺山さん自身はそんなことまったく考えていないようだけど、結果的にそうなってる。知性派の利口も驚かすのが理想だとは思うんだけど……賞を与える側にそんなやつはめったにいないからね。情緒派のコケは知性派におどおど靡くし、情緒派の利口は世間の片隅に逼塞する。野球のようなスポーツとちがって、数字に与えられるわけじゃない賞の仕組みは、知性派のコケの思惑が錯綜してほんとに複雑だ。寺山さんはメジャー志向が強いから、これからもコケを脅しつづけて、どんどん賞を獲って、からだが賞の甲羅みたいになるよ。その甲羅に守られて、言行もどんどん過激になっていくだろうね。かならず喜ぶ人たちが知性派に限定されているから、とっても活動しやすいわけだ」
 石崎が、
「それに比べて銅像はシンプルだ。見たまえ、神無月くんにふさわしいすがすがしさだ。……自力で判断しないまじめさ、形に縛られない誠実さ。あの話は最高だった」
「太宰治が『みみずく通信』で書いていた〈告白の限度〉という言葉がいつも頭にあるせいで、化けの皮を曝し切れないところがあります。これからは招いてくださるときは、世間に冠たる人といっしょでなく、単身で呼びつけてください。言葉はわが身を飾るためじゃなく、醜態を曝すためにあるものだと思ってますから。知識人と呼ばれる人の言葉は難解で、美しすぎます。西沢先生、木谷千佳子と鈴木睦子がよろしくと言ってました。竜飛岬のバス旅行が忘れられないと。彼女たちはいま名古屋大学の法学部と文学部の一年生で、ぼくのタニマチの家に下宿してがんばっています」
「そうか。鈴木も木谷も名古屋大学にいったか。私が猛勉しろと言っていたと、二人によろしく伝えといてくれ」
「はい」
 記者たちのリクエストで、教師や学生たちと並んで、銅像の前で傘を差したまま何枚か写真を撮られた。灰色の空が圧してくる。あらためて教師学生全員と握手する。記者たちとも握手する。三人の教師は白亜の校舎へ戻っていき、学生たちは正門に向かい、記者たちは私を写しながら門前まで送ってきた。
「あしたの朝と、昼と、夕方のニュースで流します」
「そうですか。ご苦労さまでした。じゃ、ぼくはこれで」
 関野商店の前からもう一度辞儀をする。彼らは傘を傾け律義にからだを折ると、門前に駐車してあるそれぞれの車に乗りこんだ。


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