九十七

 二時になろうとしている。時間はたっぷりある。
「ほんとに、美代子にはぜったい内緒にしてくださいね」
「もちろん一生内緒にします」
 二人で赤井の勉強部屋だった六畳に入り、カーテンの明かりだけの薄闇の中で立ったまま抱き合う。奥さんはブルッと首をすくめるようにふるえた。すぐに離れ、押入れから蒲団を出して敷きはじめる。格子縞のスカートがひらめく。その生きいきした様子に心が明るくなる。部屋の小ぎれいな調度を見回す。箪笥、人形飾り、鏡台、小物入れ、十四インチの白黒テレビ、淡緑色のカーテン。客部屋であると同時に、自分と娘の化粧部屋でもあるようだ。風呂へのドアが西洋式のものに替わっている。溌溂と布団を敷く背中に語りかける。
「四十二歳になりましたか?」
「はい、二月で四十二になります。……おばあちゃんです」
 彼女の嘆きの言葉を否定するように、私はスカートの背中にかぶさり、胸を揉む。スカートに手を入れ下着の上から股間の溝をなぞる。
「あ……神無月さん……うれしい」
 下着から指を入れ、少し厚い襞をなぞり、濡れて誘う膣に指を入れる。往復させてみる。少し狭い感じがする。長く男と交わっていないとわかる。
「……うれしい、夢のよう、神無月さんが……」
 指を抜き、クリトリスに触れると尻を引いて逃げた。ひどく敏感な部分のようだ。背中を向けたままの尻がゆっくり戻ってくる。スカートと下着を脱がせて裸の尻にすると、
「恥ずかしい」
 と呟きながら、背中を向けて正座し、上着を脱ぎ捨てた。そうしてもう一度頭を低くして股間を露わにするように尻を突き上げた。物怖じしない行動だ。私は目の前の尻たぼの窪みに鼻を入れ、クリトリスを舌で探った。すでにじゅうぶん硬くなっている。舌先で舐め、舐めてはくじる。やがて彼女の背中に力がこもり、息を詰めた。
「あ、神無月さん、もうイキます、あ、あ、あ、イク!」
 尻の筋肉が内側に向かって収縮した。私はその様子を眺めながら全裸になると、彼女のからだを仰向けて脚を拡げた。
「ああ、夢です、ください……」
 私はうなずき、唇を合わせながらゆっくり挿入する。指に感じたのとはちがって、ゆるやかな膣壁の感触だ。
「あ、神無月さん、ほんとに夢のよう! 私、神無月さんと……」
 入口のあたりをゆるやかに往復する。反応はない。
「ご主人は……早かったですか?」
「はい、こうしているうちに、すぐ出してしまいました。そのとき、私も少し気持ちがよかったです」
「不満だったでしょう」
「ええ、でも長いあいだのことですから、そういうものだとあきらめています……」
 会話ができるほど、快感に余裕がある。結び合い、男がすぐ果てることが自分に対する深い愛情の印だと学習してしまったようだ。同じような話を文江さんや、何人かの女たちから一再ならず聞いたことがある。
「じゃ、イクというのはクリトリスでしか知らないんですね」
 しゃべりながらも私は絶えず浅く深く動きつづける。
「はい、あ、気持ちいい……」
「膣は、クリトリスよりもはるかに強くイクんですよ」
「ほんとですか……ああ、気持ちいい、神無月さん、とても気持ちいいです、長くしてもらうとこんなに気持ちのいいものなんですね、もうじゅうぶんですよ、いつでも出してくださいね」
「締まってきましたよ」
「締まるって?」
「自分じゃわからないでしょうけど、膣がイキそうになってきたんですね。こんな感じは初めてですか」
「は、はい、初めてです、ああ、なんかお腹の奥が熱くなって―」
 彼女は感覚の高揚を待ち構えるようにシーツの端をしっかり握りしめた。私はスピードを加えて大きく動きはじめる。ク、クク、と声を殺している。膣の締まり具合で高潮がすぐそこに迫っているのが感じられた。カズちゃんならとっくに反射の連続に入っている頃合だ。それでも奥さんは私と交わっている喜びの感情が極限まで昂ぶっていたせいだろう、初めての経験にしては早いアクメがやってきた。
「あ、あ、何か昇ってくるような、あああ、熱い、ギュッとお腹の奥が!」
「イッて」
 耳に口をつけて囁いた。腰の動きをさらに速める。
「あああー、す、すごい、クククク、ウッウゥゥン!」
 押し殺した声で言い、グイと陰阜を突き出して硬直した。固く目をつぶり、私を抱き締めようとする手がままならない。カズちゃんほど強いアクメではないので、まだ余力があると確信して抽送を深く速くする。
「ハウ!」
 危うい声が上がる。ふたたびシーツを握る。年齢のわりに肌理の細かい横顔がぼんやり見えた。汗ばんだ眉間に深い皺を寄せている。こんな美しい表情をする女だとは知らなかった。速度を落とし、浅く、深く、カズちゃんだと思いながら腰を動かす。
「ウ、ウウ、へんになりそう、声が出てしまいます、お願い、神無月さん、もうイッてください!」
 シーツを強くつかみながら呻く。
「ああ、気持ちよすぎ、ウウウン、ウン! うーん、ウン! あ、またっ、また、ウウウン! 苦しい、もうだめです、あ、グウウウ!」
 膣壁が猛烈に狭まってきたので、限界だと悟って私は射精の態勢をとった。数回こすって押しこむように吐き出した。奥さんの腰が跳ね上がり、私の背中が太い腕にがっしり巻き取られた。何度も激しく恥骨を打ちつけてくる。揺れる胸が異様に大きい。膣が間断なく締めつける。
「ああ、うれしい! 神無月さん、好き、大好き!」
 しばらくその姿勢のままでいた。彼女の生まれて始めてのアクメの蠕動が治まってきた。カーテンの光だけの薄闇の中でとまどったように私に微笑みかけているのがわかる。
「幸せ、ほんとうに幸せ。やっと神無月さんに抱いてもらえました。それだけで天にも昇るような幸せなのに……こんな」
 脂汗をかいている頬を撫ぜてやった。パーマの髪がほつれている。カズちゃん以外の女との交渉に自分が何の不快感も催さないことに呆れる。カズちゃんの微笑んでいる顔がまた浮かんだ。
「ほんとにありがとうございました。……からだがこんなふうになったのは生まれて初めてです。……セックスがこれほど気持ちいいものとは知りませんでした。最後に神無月さんがプーッとふくらんで……うれしかった。うんと出してくれました?」
 囁くように言う。うなずいて離れ、横たわる。奥さんはもう一度強く唇を吸い、枕もとのティシュを何枚か引き抜いて股間を拭った。丸めて蒲団の脇に無造作に置く。伸びのびとした性格があらためてにおった。私の耳を噛む。舐める。
「性欲からじゃないとわかってくださいね。だって、こんなふうになったことなんて、いままで一度もなかったんですから」
 終始小声なのがいじらしい。
「膣でイクことを知らなかったんですね」
「ええ……お股の穴は、男の人を受け入れて喜ばせる道具だと思ってました。信じられない……あんなふうになるなんて。入ってきたらすぐズキンとおかしくなって……もう一度舐めさせてください」
 からだと心が解放され、自由な会話になる。奥さんは起き上がり、萎れかけた私のものを見つめる。
「頭が大きくて、へんな形をしてます。きれいなマツタケみたいです」
 屈みこむと、口いっぱいに頬ばった。愛情にあふれた表情で顔を上下させる。もう一度芯が入った。思わず吐き出す。
「すごく大きくなりました! これが入ってたんですか」
「そう。お風呂でもう一度しましょう」
「もう一度? うれしい!」
「後ろからしましょう」
「え、後ろからって、ちゃんと入るんですか? 穴は前に付いてるんじゃ……」
「前からよりも深く入ります。オマンコが敏感になってますから、さっきよりも強くイッてしまいますよ」
「怖い……もっと強くだなんて。……お風呂を入れてきます」
「入れなくていいです。シャワーがあれば」
 すぐに二人で風呂場にいき、湯殿で立ったまま抱き合い口づけをする。
「ああ、神無月さん、最初だけ前から入れてください、キスしたまま」
 片足を浴槽の縁に載せて広げた股間に挿入すると、たちまち緊縛が始まり、
「おお、気持ちいい! 信じられないくらい気持ちいい! 好き、神無月さん、好き、あああ、ウーン!」
 強く腕を回してきたので、無理やり引き離し、後ろを向かせて浴槽をつかませる。挿し入れる。
「こんな格好でするの、初めてです、ドキドキ!」
 完全に少女の心になっている。私は彼女の尻を抱え、ゆっくり往復を始めた。たちまち膣が脈動を始め、固く締めつけてきた。
「感じる! あ、だめ、すぐ……」
 五回も往復しないうちに、
「あ、ああ、神無月さん、愛してます、イクイク、イクウ! クククク、イクウウ!」
 あわただしく背中と腹を波打たせて果てた。縁に両手を突いてぶるぶる痙攣している。私は腰を止めて乳房を握った。うっすらと汗をかいている。ふたたび激しく抽送する。射精が迫った。
「あ、あ、あ、うれしい、大きくなりました、いっしょに、いっしょに、神無月さんいっしょに、ああ、もうだめ、だめだめ、く、苦しい、イク! イックウウウ!」
 奥さんが大きく前後に痙攣したせいで性器が滑って外れ、瞬間上向いた陰茎から噴き出した精液がパーマの後ろ髪に飛んだ。余儀なく尻に載せて律動する。何筋も背中や首に飛ぶ。
「好きい! グウウ!」
 たった一度経験した強い快感に順応して、性器を抜き去るときの刺激を敏感に知覚できるようになっている。痙攣し尽くそうとして精いっぱいふるえる背中が哀しい。パーマの後ろ髪が哀しい。私は精液だらけの背中に押しかぶさり、しばらくその哀しみに浸る。哀しいからだが鎮まってくる。
「ありがとうございました。からだが火のようになってます」
 奥さんはシャワーに打たせて背中を洗い流し、石鹸を使って腹を洗い、性器を洗う。私も同じようにする。脱衣場に出て、大きなタオルでからだを拭い合う。蒲団に戻り、並んで横たわる。私は指で肉厚な小陰唇をもてあそぶ。
「そんなことされるのも初めてです。かわいがられるって、こういうことなんですね」
 彼女は唇を強く吸ってきた。 
「ほんとにありがとうございました。講演にいらっしゃるという記事を読んでから、あのころの神無月さんを思い出しては悶々としてたんです。セックスなんかとっくに忘れていたはずなのに、きょう会ったとたんに、どうしても抱いてほしくなりました。ご迷惑をおかけしました」
「どんなに不満でも、ご主人に抱いてもらえばよかったのに。しないよりはマシでしょう」
「夫とはこの五年間ずっとしてません。神無月さんのことを思い出すと、ぜんぜんそんな気が起こりませんでしたから。……思いつづけた甲斐がありました」
 安らかな時間が訪れ、奥さんは下着を穿き、服を着た。ティシュに気づいてゴミ籠に捨てた。枕もとで正座をして言う。
「……美代子を……どうか受け入れてあげてください。私だけ願いを叶えてもらったのでは申しわけありません。あの子、神無月さんだけを愛しつづけるって、いつも言ってるんです。妊娠だけは気をつけてあげてくださいね」
 私も服を着た。二人で居間に戻り、ふたたびテーブルに向き合った。奥さんはじっと私を見つめ、
「なんてきれいな人。……また逢えると思いませんでした。遠く、遠くへいってしまった人。どんどん離れていって、いまは星の彼方。それがこうして……」
「野球で忙しいので、逢える頻度が極端に少なくなっただけです。生活の場所は離れてますけど、逢うことができれば、距離はゼロミリになります」
「はい。きょうわかりました」
 奥さんは明るく笑い、
「買い物にいきましょう」
 奥さんは電話でタクシーを呼び、
「古川市場へ」
 と告げる。私は眼鏡をかける。おくさんは傘を持つ。私にも持たせようとするが断る。雪が小止みなく降っている。家の前に乗りつけたタクシーに乗りこみ4号線に出る。
「去年、浦町駅と浪打駅がなくなったんですよ」
「そうですか。電化されちゃったんですね。ぼくが乗ってきたのはディーゼルでした」
「電車とディーゼルと半々ぐらいで走ってるようです。蒸気機関車は引きこみや車両の入れ換えに便利だと主人が言ってました」
「浦町で降りて青森高校まで歩いたことが何度かあったなあ。薄ボンヤリ生きてたから、どういう機会にそういうことをしたのか忘れましたけど」
 堤橋を渡り、多量の雪に覆われた通りをいく。雪にくるまれた電線の多さに驚く。路肩にこんもり白い堰堤(えんてい)のできたアーケード街を左右に見ながら、のろのろ直進する。それでも十分もかからずに青森駅のそばの県庁前に出た。右折してすぐに左折。古川通りと交わる交差点で下車。


         九十八

 右も左も雪の山だ。大勢の人びとが手分けして道端に溜めこんだ雪をトラックや橇が積んで運び去る。傘差して買物籠提げた奥さんと広い古川通りを歩き出す。革靴が雪に滑る。奥さんが腕を支える。片側にアーケードのかぶさった商店が並び、片側にアーケードのない飲食店が並ぶ。
「赤井さんから連絡ありますか」
「サッパリ。いま四年生のはずですけど、どうしてるのかしら。ハガキ一本きません」
「何かの試験勉強をしてるんだと思いますよ。公務員の上級試験か何か。もう合格してるかもしれませんね。彼には女性蔑視の気味があるので、女とはうまくいってないだろうな」
 古川魚菜センターの赤い横断幕にいき当たる。
「このあたりから古川市場って呼んでるんです。あそこに青森駅が見えますけど、駅に向かって歩くとすぐ、もうひと区画古川市場があります。いま工事中です」
 センターに入る。蛍光灯に照らされた広々とした空間に、数え切れないほどの店が並んでいる。奥さんはまず赤身を買った。イカとハマチとイクラと甘えび、ホタテ、アサリ、卵焼き、海草と買っていく。
「海鮮丼とアサリの味噌汁にします」
 ワサビをたっぷりつけてもらった。市場を出る。いま交わったばかりの奥さんのミディスカート姿を艶かしく感じる。そう感じた瞬間、
「もう一度していただいてもいいですか?」
 と奥さんに声をかけられた。私は奥さんの横顔を見下ろし、笑顔でうなずいた。彼女もこぼれるように笑って私を見上げた。時計を見ると、三時十五分過ぎ。考えるべきなのはあしたからのことだという哲学はまちがっていない。しかし、あしたのことが考えられなくなるときもある。とにかくきょうは奥さんに没頭しよう。傘に雪を受けながら買物籠を提げて歩く奥さんから傘を奪って差しかけてやる。
「だれも神無月さんに気づかないんですね」
「野球選手の登録商標は、からだの前についてる顔じゃなく、後ろについてる背番号ですから当然です」
 駅前に出て、タクシーを拾って帰る。運転席のフロントパネルの時計が三時二十五分を指している。
「青高の授業は三時半まででしたね」
「はい」
「来年は二年生か。早いなあ」
「ほんとに早いですね。神無月さんがここにきた昭和四十年の三月、美代子は小六、神無月さんがきてすぐ十二歳になりました。あれから五年と一カ月、十六歳です。……光陰矢のごとしですね」
 奥さんは窓の外を眺めながら、
「神無月さんが名古屋にいってからは、あの子はしばらく気が抜けたようになってましたけど、秋あたりから元気になりました。帰宅するとすぐスクラップ作り。中学時代だけで一つの本棚がいっぱいになってましたよ。いまも白百合荘でつづけてるでしょう。……主人はいつの間にかやめてしまいました」
 運転手は私に気づいたようだったが、話しかけなかった。
 堤橋の東詰めで降り、花園まで歩いた。奥さんは傘を差す。私は奥さんの持てない分の買物袋を提げる。あたりの町並を思い出そうとする。思い出せない。むかしから建物らしい建物はなかったような気がする。カズちゃんと学生服を買った店へどう歩いていっただろう、バットケースだったか、ダッフルだったかを買いにカズちゃんといった道は? 思い出せない。自転車で赤井と数学塾へいった道はなおさら思い出せない。
 三時四十五分。主人の帰宅時間を浮かべては、いまの時刻に気が回る。奥さんは暢気(のんき)な様子で傘を閉じ、粉雪を払い落とした。私は肩の雪を払い落とす。
 玄関の戸を閉めるなり、奥さんは抱きついてきた。あらためてウリのように大きな胸だとわかる。
「やさしくうなずいてもらえてうれしかった。あんなに強く感じられるなんて知りませんでした。もう一度確かめたいと、道々、あそこに脈が打ったようになって……」
 そう言うと奥さんは台所へいって、アサリをボウルに浸したあと、私をさっきの部屋へいざない、服と下着を期待に満ちた目で脱がせた。私の性器には力がなかった。奥さんはがっかりした表情もせずに、自分も全裸になった。その体格の類似から、一瞬カズちゃんと見まちがえた。奥さんは私を敷いたままにしてあった蒲団に寝かせると、私のものに屈みこんで大切そうに握り、口に浅く含んだ。睾丸をやさしくつかんで揉む。興味の赴くままに行動しているようだ。すべてが少女の発見のようにめずらしいのだ。私はじっとしていた。必要なだけの勃起を確認すると、少し無理をして口中深く含む。たちまちむせる。私は背中をなぜてやる。彼女のスカートの尻を艶かしく感じたくせに、どこか気の進まない気分がある。
「私もお口でかわいがってください」
 と奥さんは囁き、仰向けになって両脚を広げた。私は起き上がって蛍光灯の紐を引き部屋を明るくした。
「見たいんですね。……よく見てください」
 私は首から指で触れていった。肌は白くなめらかで、密で冷たく、陶器のようだ。脇腹にかすかにあばら骨が浮いている。乳房の形は充実していて、腹部は濃密な油を湛えた器のように柔らかかった。どこにも衰えが見えないけれども、それでいて、張りのある活きいきとした肌というのではなかった。蝋のようだ。生命の根が感じられない。中心から放射して全身を輝かせるようなものが欠けている。それでも彼女のからだが反応することは確実だった。
 屈んで性器を覗きこむ。ほつれ乱れた陰毛の下に、黒く色づいた厚い小陰唇が延びている。片方のそれは少し膣口を塞いでいた。小陰唇にかぶさるように縁どる大陰唇が薄赤いのは、肌の弱い体質か、汗や淫水の多い体質のせいだろう。大陰唇の周りの毛は濃い。カズちゃんの大陰唇は肌と同じ色をしていて、陰毛は淡い。私はそれを思い出してひどく安心した。
 小陰唇に指を触れた。カズちゃんのように豊かに潤ってはいないけれども、しっとりとしたぬめりがあった。折れた襞を押しよけ、ピンク色の前庭を舌で押す。小陰唇を口に含んで吸う。あふれてきた。膣に指を入れる。湯の中に人差し指が入っていくと奥さんはうれしそうに腰をくねらせた。小陰唇がだんだん肥大してきて直線状に固くなった。往復させる指の感触に温かい滑らかさが増した。尻が上がってきた。
「ああ、気持ちいいです。あ、あ、いい気持ち」
 私は指を抜き取った。粘液が透明な糸を引いた。もう一度股間に視線を当てる。小陰唇の上方に黒ずんだ包皮が口を開けていた。カズちゃんとまったくちがうものだ。私は包皮を口に含んで舐めた。ひそんでいたクリトリスがみるみる硬くなって、包皮から白い頭を出した。カズちゃんのものよりずっと大きかった。なぜかカズちゃんの贈りもののように思われ、私はかぶりつき、吸い、舐め回した。奥さんは幾度か尻の筋肉を緊張させ、喘ぎ声を高め、上半身をねじるような格好で腰を宙に浮かせた。彼女の望んでいたものがとつぜんやってきた。
「神無月さーん! もうだめ、ごめんなさい! ああ、ごめんなさい、イクイクイク、ウーン!」
 奥さんは臍のあたりを固く引き締めながら、両脚を開いたまま突っ張った。いっときの緊張が解けると長々と横たわる。包皮からはち切れるようにせり出したクリトリスがなまめかしく動いている。私は傍らに寄り添った。彼女は夢中でキスをし、私の唇から自分の愛液を舐め取った。それから私の人差し指を口に含んだ。
「ごめんなさい、とても気持ちよくて……お腹の奥がツーンとしました。恥ずかしい、びっしょり。でも、濡れるのって、うれしいですね。まだまだ、ちゃんとした女なんだって思えますから。……あら、神無月さんのオチンチン、すごく硬くなってます。うれしい!」
 四十女の赤裸々なオーガズムを明るい光の下で目撃したせいで、いつのまにか性器が上下に動きながら茎立っていた。
「たくましい……お顔とぜんぜんちがう。ほんとに不思議な形をしてます。これ、すぐください」
 両脚を抱えて突き入れる。うっとり目を細めた奥さんの顔が枕から持ち上がり、私の唇を捉えた。舌が押し入ってくる。その舌に応えながらゆっくり往復する。カズちゃんとちがった緊密ではない感触で膣が締まる。
「ああ、気持ちいい、神無月さん、好き、あ、あ、ごめんなさい、もうイキます、だめ、もうイク、イク、んん、イク! 愛してます、愛してます、イイイック!」
 いったん潮が退き、奥さんは収縮した腹をまたゆるめ、私の動きに合わせて陰丘を積極的に動かす。往復するたびに粘液の立てる音が聞こえる。あっ、あっ、と呼吸が弾みはじめる。
「ごめんなさい、ごめんなさい! またイキます、あああ、気持ちいい、だめ、もうだめ、おかしくなる! 今度は神無月さんもいっしょに、あ、あ、あ、イッ……」
 奥さんの腹が急に跳ねた。
「イックウウ!」
 ふたたび潮が退く。私は動きを止めた。射精がやってこない。彼女の快感に同化できないのだ。
「やめないで、お願いです、もっと!」
 私は機械的な射精を求めてもう一度動きはじめた。
「ああ、神無月さん、また先にイキます、ごめんなさい、気持ちいい、もうだめ、ごめんなさい、イキます、イク、イク、イク、ウーン! イクッ!」
 弓なりに反って、脚を私の腕の中でぐいと突っ張った。懲りずに陰阜を動かしはじめる。連続した緊縛になってくるが、私は危うくならない。奥さんに射精して〈愛情〉の証を立てたくない気分になっている。意志の力で射精せずに終えようと決める。トシさんのからだで習い覚えたように、カリを上壁でこすらずに肛門のほうへ往復させる。その動きに合わせて奥さんの腰も大きく動きはじめた。動きながら摩擦の強まる角度を探っている。大きなクリトリスがはっきり見える。硬くなった小陰唇が往復のじゃまにならないように外側に開き切っている。陰阜の動きが一定になる。奥さんが本能的に探り当てた角度はやはり上壁にカリが当たる位置だった。どうしても貪欲に達したいようだ。私は腰を止め、彼女の一定の動きにまかせる。奥さんは目を細めて眉間を険しくし、新しく目覚めた肉体の快感を追い求めている。陰茎全体をぐいぐいしごいてくることで、快感の波が烈しく高まってきたことがわかる。私はひたすら奥さんが動くのにまかせた。
「あ、大きくなった、神無月さん、大きくなりました、がまんしないで、あ、あ、神無月さん、イッて、イッて、私はもうじゅうぶん、出してください、いっしょに、いっしょにイキましょ、いや、がまんしないでェ! うううん、イックウウ!」
 一瞬、奥さんの膣がとてつもなく狭くなった。
「ああん、神無月さん、もうイッてください、だめ、またイッてしまいます、いっしょにイッてください、お願い、ああ、神無月さん、もう、ほんとに! だめよう、イク、イクわ、ウウウン、イックウウウ!」
 奥さんは私の性器に自分の性器をしっかり押しつけながら、あわただしく腰を前後させたかと思うと、喉を絞って激しく弓なりになった。押し殺したうなり声を発しながら、伸び上がるような激しいアクメに達した。彼女がみずから発見した新しい反射に私は太刀打ちできなかった。下腹にたちまち排出の予感が押し寄せ、奥さんの腹の中へ一気にほとばしらせた。
「ああ、好き! 死ぬほど好きィ!」
 愛液が陰茎の周りにあふれ出た。私は敗北感にまみれて一度きりの律動をした。
「ク、イク! うーん、死ぬ、これ以上無理!」
 真っ赤になって苦しげに顔をゆがめ、
「好き好き、死ぬほど好き……」
 かすれ声を絞り出しながらグッタリとなった。引き抜くとき私に自動的な律動が起こり、残りの精液がクリトリスにかかった。見下ろすと、直線になった小陰唇が炙(あぶ)られた二枚貝のようにうごめき、江藤たちと食ったホルモンに似た白い膣口が痙攣するたびに妖しく出入りしている。ミディスカートの艶かしさへの好奇心が余儀なく打ちのめされる。男という生きものはいったい何に欲情するのだろう。艶かしさの正体がこれか。こんなものでも愛情の名のもとに快く肯定しなければならないのだろうか。自分から好奇心を発動したくせに、暗い幻滅に襲われる。……カズちゃんはけっしてこうならない。美しいが上にも美しく、清潔が上にも清潔だ。
 細かい痙攣が落ち着くと奥さんは、目を閉じながら股間から流れ出る精液を指でこそぎ、口に含んだ。
「おいしい……ああ、夢が叶ってほんとうに幸せ。きょうかぎりのセックスでしょうけど、一生忘れません」
 そう言って、力を振り絞って私を抱き締めた。それから奥さんは、なおも滲み出てくる名残の精液をもったいなさそうにティシュで拭った。やがて彼女は起き上がり、風呂場の洗面台で口を漱いだ。そうしてもう一度蒲団に戻り、いとしげに私の唇を吸った。長い口づけが終わると、二人で最後のシャワーを浴びた。
         †
 奥さんは台所で料理にいそしんでいる。私は居間のテーブルで芋菓子を食いながらフィルターコーヒーを飲んでいる。
「夕食の献立は何ですか?」
「海鮮丼です」
「大好物だ。ラーメン用のどんぶりにしてくださいね」
「はいはい」
 上機嫌だ。私は奥さんに、
「八時台の汽車の時間を見てくれますか」
「やっぱりきょうお帰りになるのね」
「はい。あしたの午前まで祖父母とすごしたいので」
 奥さんは壁に貼ってある時刻表を調べ、
「八時十一分があります。七時五十分にタクシーでここを出れば間に合います」
 さっきまで気にしていた時間が遅々として進まない。まだ五時までかなりある。奥さんは調理の手を止め、朝刊を持ってきて、私の講演会予告の記事を切り抜きながら、
「講演のあと、寺山さんとは飲むんですか」
「いや、懇親会はともかく、飲み会は断ります。向こうも忙しいだろうし、ひょっとしたらハナから会場にこないかもしれません」
「そんなことありませんよ。ここに、神無月さんに会うのを楽しみにしている、と書いてあります」
「ふうん。ぼくは楽しみじゃないけど」
 切り抜いた記事をスクラップブックに貼りつける。


         九十九

「講演の草案はできてるんですか」
「いつもその場の思いつきでしゃべるんです。この一年そうしてきました。ところでミヨちゃんの成績はどんな具合ですか?」
「百番をいったりきたりで、なかなか五十番に入れないようです」
「優秀じゃないですか。青高は異常にできるやつがワンサカいますからね。上位百番以内なら、東北大学や名古屋大学は圏内です。五十番以内に入れれば確実でしょう。まだ二年間ある」
「青高の三百番以下では、国立一期校は危ないんですって。中島秀子さんはいま三年生ですけど、校内ではいつも三番以内、東奥日報模試でも十番以内です。東大を受けても余裕で受かると美代子が言ってました。名古屋大学は一番合格だと思うって」
 奥さんはまた台所に戻った。私はついていき、料理の様子を眺める。海鮮丼とアサリの味噌汁のほかにも、野菜の炒め物や、お浸し、和え物を作っている。
「祖父母がこの夏の台風の話をしてました」
「そうなんですよ。雨の激しい大きな台風でした。土曜日で、みんなゆっくりしているときでしてね、夜十一時から十二時のあいだにきたので、この近所も朝まで寝ないで大騒ぎでした。とんだ日曜日になっちゃって。下流の桜川と花園の一部が水に浸かったんですよ。幸い、うちは無事でしたけど。さ、ほとんど用意ができましたよ。主人が帰ってくるまでゆっくりしましょう」
 と言ってもあと十五分ほどしかない。緑茶が出る。
「神無月さん、こんなに有名になると、毎日たいへんでしょう。人がよく訪ねてくるんじゃないんですか?」
「一人もきません。古川市場でもだれも振り向かなかったでしょう? 有名人というのは痛々しいほど愛想笑いを振りまいて、いつもテレビに出ている人のことです。ふるさとの歌まつりの司会者やゲストのようにね。きのうの夜、たまたまばっちゃと観たんですけど」
 奥さんが愉快そうに笑った。
「神無月さんの言葉のリズム、とつぜん思い出しました。楽しい」
 奥さんはもう一度時刻表を見に立つと、
「野辺地着八時五十五分です」
 四十四分の鉄路。むかしより五分ほど早い。
「電車だディーゼルだと言っても、汽車より多少早いだけですね」
「そうですよ。多少早いのを足し算していって、上野青森間が二時間短縮されるだけですから」
 蒸気機関車がディーゼルに替わってもそれくらいのちがいしかないのだ。奥さんは私のためにテレビを点けた。NHK教育、子供の歌番組。
「あしたは美代子をよろしくお願いします。……美代子は私のしたことを許してくれないと思います。きっと内緒にしてくださいね」
「はい。……ただ、ミヨちゃんはわかってくれると思いますよ。女の心は同じだと思いますから。でも、ぜったいしゃべりません」
 ミヨちゃんの部屋を覗く。かつて私が暮らした部屋。あのころと同じような配置で机と本棚を置き、窓際に布団が畳んである。こんなに小さな空間だったのかと思う。机の上に私のユニフォーム姿の写真を見出す。
 夕刊が玄関に投げこまれたので、テレビの前に持っていって開く。ペラペラやっていると〈国鉄吉祥寺駅に駅ビル・ロンロン開業〉という小さい記事があった。国鉄中央線の吉祥寺駅から吉祥寺通りまでの、駅西側の高架下に商業施設を開設、とある。吉祥寺駅あたりについては、名古屋駅のガード下のようなはっきりとした記憶がない。ゴチャゴチャしているのが気に食わなくて、近づきもしなかったからだ。その記事の隣に〈住友銀行が日本初の現金自動支払機を東京の新宿支店と大阪の梅田支店に設置〉とある。キャッシュカードの時代がやってきたと書いてある。相変わらず新聞はつまらない。
 点けっ放しのテレビの前でコーヒーをすすりながら、主人の帰宅を待った。
「神無月さん……」
「はい」
「こんなおばあちゃんを抱いてくださって、ほんとうにありがとうございました」
「とてもきれいなからだでした。ぼくもうれしかったです」
「ありがとうございます」
 玄関戸がカラリと開いた。一家の主の帰還だ。奥さんは式台に出ていって、
「お帰りなさい!」
 と明るく言った。
「いや、うだでな雪だじゃ」
 傘をバタバタ振る。私も奥さんの背中から、
「こんばんは!」
 と笑いかける。
「おお、神無月さん! いらっしゃってたんですか。言ってくだされば有給をとったのに」
 弾んだ調子で雪まみれの靴を脱いで式台に上がり、固く握手する。
「大っきた手ですなあ。背もグンと大っきぐなった。きょうは語るべしェ」
「すみません、八時前までしかいられないんです。祖父母といられるのもあとわずかなので、少しでも長くいてやりたくて」
「そうですか、むがしっから神無月さんはそんだったな。残念だけんど仕方ねな。じゃ、ちょっと着替えてきます」
 奥さんは台所にいった。やがて冬物の着物を着て戻ってきた夫が食卓につくと、奥さんはビールグラスを二つテーブルに置いた。
「ま、一杯」
「じゃ一杯だけ」
 ビールをつぎ合う。乾杯する。刺身が運びこまれる。
「お、きょうはごちそうだなァ。グッド、グッド」
「神無月さんはあまりいられないんですから、ビールはひとまずそれだけにして、早めにごはんにしてください。七時五十分にはタクシーでここを出ますよ」
「いや、お父さんはゆっくりご飯を食べてください」
「二時間もあるべ。神無月さんもゆっくりけじゃ。このごろの汽車は雪が降っても定刻で走るすけな。手のつげられね豪雪にでもやられねかぎり、鉄道も道路もだいじょうぶだ」
「ラッセル車と、チェーンのおかげですね」
「そんだ。雪のせいでパニックてのはめったに起ごらなぐなった」
 ホウレン草のお浸し、ナスの煮浸し、モヤシ・キャベツ・ピーマンの野菜炒めでビールを飲む。
「こっちにくる車中では寝ていて気づかなかったんですが、浦町駅と浪打駅がなくなったそうですね」
「ンだ。野辺地から青森まで東北本線を複線電化するという計画で、四年前から工事始めで、去年の七月に完成しました。野内がら青森まで汽車の代わりにディーゼルと電車が走ってます」
「代わりの駅はどこに移ったんですか」
「野内から南へグルッと回って、四つ新しぐでぎだ。矢田前、小柳、東青森、筒井。浪打と浦町という駅名はなぐなりました。うぢの前のレールはもう使ってねです。そのうぢアスファルト敷いで、4号線さ合流させるおんた」
「とんでもなく車の往来が増えますね。味気ない。あたらしい駅の名前も海を感じさせないので、味気ない。線路と4号線が併行してたからこそ、蒸気機関車と車が並んで走るなつかしい風景があったのに。……葛西さんの下宿時代を浮かべると、かならずこの線路と焼け焦げた木柵と、狭い歩道で仕切られた4号線をポツリポツリ走るトラックや自家用車や自転車が浮かんでくるんです」
「ふんとにねェ。……神無月さんがこの家の前さトラックで乗りつけでから、五年ですか」
「そうですね、四年九カ月、そろそろ五年がきます」
「早えもんだ。いろいろありましたな。なづかしい。……すんでしまれば何ともながったように思われるけんど、苦しい時期でしたな」
「はい。野球と、転校と。……名古屋では受験勉強、大学野球からプロ野球へ。語れば何ほどの時間もかかりませんが、生易しくはありませんでした。節目節目に支持者がいてくれたおかげで乗り切れました」
「市営球場まで訪ねてきてくれたスカウトがおりましたな」
「押美さんですね。来年からドラゴンズのスカウトになります」
「陰に日に神無月さんを支えた手柄を買われたんですな。そのスカウトは神無月郷という素材に心底惚れこんで、この選手となら心中してもいいどまで信じ切ってるんですよ。腕のいいスカウトの本能だべな。そう思わせるほど神無月さんの才能は頭抜けてるというこどだべ。ふとりの偉大な天才の入団は、ふとつのチームをガラリど変えるほどの影響力がある。経済も含めでね。これから中日ドラゴンズはいよいよ全国区になります。東海のローカルチームどして見向ぎもしねがった野球ファンが食いついで、どんどん発展するべおん」
 海鮮丼とアサリの味噌汁が出る。美味! 五分もしないうちに完食した。主人はビールを飲むついでに、箸を時おり動かしながら、二度の夏の高校野球のこと、みんなで映画や食事にいったこと、サングラスのおじさんのユーモアや赤井の〈港がよい〉のことを微に入り細を穿って長々と語った。そのあいだに刺身も海鮮丼もきれいに平らげた。つづけてドラフトについての長話に移った。奥さんはただにこにこして茶やコーヒーをいれるだけで、会話に参加させてもらえなかった。
「サングラスのおじさんはお元気ですか」
「浅虫の施設で元気にやっております。美代子が季節ごとに訪ねるんですが、施設内にいい聞ぎ役を作ったみてで、ながなが花園さ帰ってきません」
 奥さんが、
「施設は、盆暮れもイベントごとが整ってますからね」
「ぼくがあの当時のことをいつもなつかしがっていると、お伝えください」
「わがりました。ラジオで神無月さんのこどは欠がさず聴いでるおんた。なづかしがっでるのはお義兄さんのほうですよ。……美代子のこどだけんど、二年後に名古屋さいったらよろしぐお願いします」
「こちらこそ。心の支えになります。お父さんもお母さんも、ときどき名古屋に出てきてください。ぼくは年に一度ぐらいしか青森に帰れませんから」
「承知しとります。神無月さんは何もしねくていい。結婚とが、子供とが、そたらのどうでもいいはんで、美代子の好ぎだようにしてやってけへ。好きだようにして生ぎるのが人間の幸せだ。神無月さんが黙って自分のこどさかまげで生ぎでれば、あれは幸せになるべおん。オラんども、そたら美代子を見るのが幸せだ」
 奥さんは真剣な顔でうなずき、
「ほんとにそうなんですよ」
 と言った。父親はチャンネルを七時のNHKニュースに替えた。箸を使いながら画面に見入る。いつ目撃しても、不思議な習慣だと感じる。会社の人事異動があろうと、家に遠方からの来客があろうと、この習慣は変わらない。新聞とテレビのニュースと晩酌。家庭人はその習慣を決して崩さない。しかもそのうえで、いまのような重い哲学を語るのだ。
 彼なら私や奥さんの告白を許すだろう。いや、許す以前に、私と同様、自前の哲学に介入しない問題には無関心かもしれない。肉体の一時の寄り道など、魂の永い本道に比べたら何ほどのものでもないという哲学だ。もちろん私は彼に告白しないけれども……。
 かつて私は彼らの習慣に疑心を抱いていた。いまも抱いている。しかしこれからは抱かないように努めるだろう。人間の奥行きとふくらみとはそういうものだと信じて。
「師走選挙だな。三年後は沖縄返還だすけ」
「はあ……」
「七十年安保の自動更新てが。学生が騒ぐべおん」
 衆議院解散のニュースだった。日米安全保障条約、自民党、社会党、共産党、議席、沖縄住民国政参加、プラハの春、佐藤政権、田中角栄、小笠原諸島、学生運動、全共闘、新左翼、機動隊、政見放送……まちがいなく政治系クロスワードパズルだ。それとも、なぞなぞ? スポーツニュースになった。
「あ、吉沢さんだ!」
 私の声に奥さんも浮き立った。
「ドラゴンズの人ですか?」
 明るく問いかける。
「はい、名キャッチャーです。来年コーチになります」
 来季ドラゴンズの二軍コーチをまかされる吉沢が、どういう経緯か、中日ドラゴンズというチームの印象を訊かれていた。
「ブルペンキャッチャーに見切りをつけて退団を決意した直後に、コーチ職を打診されたんですが、喜んでお引き受けしました。怪物だらけのこのチームにいったいどんな秘密があるのだろう、神無月選手を中心に過激なほどの強さを発揮して優勝したチームが、来年も同じように戦えるのだろうか、それをコーチとしての目で確かめてみたいと思って、球団に残らせていただくことにしました。私は主にピッチャーの面倒を見るんですが、星野秀孝のように先天的に球離れのいいピッチャーがいれば、大事に育てていこうと思ってます。年間百何十試合も戦うプロ野球において、ピッチャーは常に駒不足です。年度に関わらず投手力がキーになるんです」
「球離れというのは?」
「ぎりぎりまでボールを離さず、リリースする瞬間に縫い目によく指がかかっていることです。ピッとか、ビシッと音がします」
「打力はいかがでしょう」
「心配していません。中日ドラゴンズは大天才揃いです。投手の球離れに対して、バッターは〈球付き〉と言いますが、間のとり方とフォームのバランスのよさのことで、ほぼ先天的なものです。神無月選手は天馬、江藤選手は仁王。神がかりの二人に加えて、六人の選手が超人級ですから、来年も水も漏らさぬ打線になるでしょう。特に菱川選手と太田選手は、江藤選手に肩を並べるバッターに成長していくと思います。バッターというのは多少なりとも豪放な怪物性が基本になりますが、そのバッターに立ち向かうピッチャーは繊細な投球術に加えて〈気迫〉が肝腎なものとなります。これにすぐれているのが小川選手と星野選手です。敵チームの怪物連と一対一で対決するピッチャーは、神経の濃やかさ以上に気持ちが強くなければなりません。俗に言う〈オレさま〉タイプのほうが、まちがいなく大成するんです。二軍コーチとして、人材発掘とともに、そういう精神面の涵養に努めようと思っています」
「来季も優勝の可能性は濃厚だということですね」
「まず確実だと思います。その過程に、攻守相俟ったきめ細かい進歩を望みたいですね。ドラゴンズが将来伝説の道を歩んでいくためにも」




シーズンオフその18


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