七
切り身のステーキとサラダが出てきた。
「これはうまか!」
「ありがとうございます」
サラダもうまい。あっという間に三人平らげた。
「社会人野球までは、食い物で贅沢したことなかったけんな。プロに入って初めて食いもののうまさを知った」
「うまいまずいは措(お)いといて、子供のころから三度三度食ってたろう。金太郎さんは、中三の冬までほとんど朝めしと昼めし食わなかったと何かの記事で読んだ。母親の怠けのせいでね」
「そうとばかりも言えないんです。自分も面倒くさかったからというのもあります。たまにカズちゃんが握り飯やパンを持たせてくれたことがあります。中三の冬からは祖母が弁当を作ってくれるようになりました。感謝はしても、慣れてないのでよく残しました。高一から、からだを作らなくちゃいけないという義務感が湧いてきて、よく食うようになりました。それでも昼めしを食った記憶はほとんどありませんね」
「そんな食生活で、よく立派なからだができ上がったもんたい。やっぱり人間やなかろうもん」
二人はウイスキーを飲む。私は水を飲む。小川が、
「藤本勝巳か。―結婚当時から藤本のほうの家族がお千代さんをいじめてたようだな。どういじめたのか知らないけどね。ほかにも、芸能界の事情もあったんだろうが、子供は産めないという理由で三人も堕してる。藤本は気に食わなかったようだ。引退してからはミナミで飲み屋を経営して倒産。お千代さんが六千万の借金を肩代わり。去年、お千代さんから八千万の慰謝料をもらって離婚した」
「迷惑かけた男のほうが?」
「おおよ。八千万なんてもんやなか。結婚当初からもっともっと金もらっとる。藤本は金食い虫ばい。お千代さんが藤本を手もとから離さんと猫っかわいがりしたせいやと言われとるばってん、たいがい逆やろう。お千代さんを付け回して金を無心しとるちゅう話のほうぎり聞こえてきたけんな。野球ばやめて腑抜けになってしまいよったとたい。金だけやなか。この二年、やつにはいい話がなか。野球と関係ない話ばっかしばい。人間性ば疑うようなあくどか話がほとんどやけん、金太郎さんに聞かせられん」
「もう聞かせたろう」
小川が笑う。江藤の目つきは藤本を罵倒するのでなく、叱るそれだった。
「宇野ヘッドの話はそっちへ傾くやろうから、聞き流しといたほうがよかばい」
「無骨で寡黙な人に見えましたが」
小川が、
「うん、むかしはたしかにそういう男だった。お千代さんのことも、結婚までだれも知らなかったそうだからね。しかし凡人には、金銭欲と性欲はなかなか免疫ができないものだよ」
「ぼくも性欲には免疫がありません。色魔みたいなものです。ワクチンが必要ですね」
「いや、五十、六十の女を抱けるということは、性欲がないということと同じだよ。ふつうでない性欲のなさだ。博愛慈愛に近い、何かもっと、こう、高次元の禁欲だね。免疫がありすぎるんじゃないの。藤本はもてないタイプだから、お千代さんが惚れっぽい女でなければ夢を見られなかったろう。芸能人との結婚が夢だと悟れば、それ相応のありがたみも出るだろうが、夢を現実だと取りちがえてしまうとやばい。そうなると〈無骨〉な頭には金と女しかなくなる」
「野球がうまくいかんことも拍車をかけたんやろう。芸能人と結婚するんやったら、ワシや小野さんのように小粒な女にせんば、負んぶに抱っこになってしもうとたい。小林旭もうまくいかんかったやろう」
具体的に話が見えてこないので、
「金ばかりでない話というのは、浮気とか、暴力とか」
小川が、
「……まあ、そんなところだろうけどが、藤本はお千代さんヒトスジの無骨者だ。中絶を止めるために暴力をふるったことはあったかもしれないな。お千代さんが芸能人の体面から、あと先考えずに中絶するのを嫌ったんだろう。避妊はしない。妊娠はする。色好みの女の特徴だよ。俺はお千代さんの好色が招いた破綻だと踏んでる。だから藤本の商売に素直に金も出したと思うんだ。慰謝料請求にもね」
「ふうん、健ちゃんの見方にも一理あるばい。島倉千代子が目医者と浮気したのは有名やけんな。藤本の浮気の話はいっちょ聞かん」
私は、
「どちらも天然だったんですね。判断はつきかねますけど、藤本さんも島倉さんも、金と情欲。これからも二人は他人に翻弄されつづけるでしょうね」
バーテンが興醒めしたような視線で、
「神無月さんは、老女趣味ですか」
江藤が苛立った目をバーテンに向けた。
「趣味はありません。若かろうと年寄りだろうと、愛情を感じなければインポになります」
「いくばい。金太郎さんの心持ちば訊くなんちゅうことは、俺たちに許されることやなか」
「申しわけありません。失礼しました」
小川が、
「神仏に質問する人なんていないでしょう? 俺たちは、金太郎さんに話しかけてご託宣を聞くだけなんだ。みんな徹底してるよ。ま、気にしないで。金太郎さんは何も考えてないから」
「や、ほんとうにすみませんでした」
金を払って出た。小川と江藤に礼を言われる。
「ごちそうさん」
「ごっつぁん」
くすぐったい。廊下に出て、江藤は首を振り振り、
「老女趣味にはまいったばい。慈悲の心というものがわかっとらん」
「とにかく人間でないよ。俺たちは慈悲だけでは婆さんを相手にできん」
「ほうやのう。じゃ、あした四時半からバッティング練習ぞ。四時十五分にはロッカールームに入るばい」
「バスは三時十五分出発ですね」
「おお」
「お休みなさい」
「お休み」
ロビーで別れた。玄関に出て、雨の具合を見る。ほとんど上がっている。
†
九月十八日木曜日。十時起床。きょうもよく寝た。枇杷酒でうがい。アルコールを入れた翌日なのに、ひさしぶりにふつうの排便、シャワー、歯磨き、洗髪。鼻下とあごに少し髭剃りをあてる。備え付けの綿棒で耳カスを取り、先週北村席で切ったばかりだが、すがすがしい気分になりたくて、持参した爪切りで手と足の爪を切る。切り飛ばした爪を拾い集めてゴミ箱に捨てる。生きている。命に対する感謝と嫌悪感が同時に湧く。どちらも十六歳の暗い森から助け出されるまでは湧かなかったものだ。あのころは感謝も嫌悪もなく、痺れたような倦怠だけがあった。森を出て以来、命に対する感謝と嫌悪の両方に取りつかれ、一方を捨てることができない。
ジャージに身を整え、清水谷公園へ。快晴。二十二・七度。微風。一周したころ、江藤が追ってきてランニングに加わった。一周して、小池で休憩。
「きょうの試合終わったら、焼肉いくばい。タクシーで十分もかからん」
「はい。どういう店ですか」
「去年開店した四谷の『名門』ちゅう焼肉屋たい。うまかぞ。ワシのおごりばい。オトナたちは夜遊びに出るけん、コドモの菱川、太田、星野、則博、紘に召集かけとく」
「はい」
サツキでみんなと会食。ポタージュスープ、野菜サラダ、ハヤシライスのランチセットを食い、もう一度清水谷公園へいって、素振り、三種の神器。
†
順延を挟んだ最終戦のせいか、びっしり満員。場内がひどくざわついている。消化試合―というのに、三、四十人もいる報道記者、カメラマンの群れ。ライトスタンドで横断幕が揺れている。
まだまだ見たい神無月選手のホームラン
もっと出場させろという願いにちがいない。きょうはフル出場だ。
川崎球場。王貞治が、初めて一本足打法を披露した球場だ。昭和三十七年、七月一日、ピッチャー稲川、一本足の第一打席ライト前ヒット、第二打席ライトへ十号ソロ、第四打席二死満塁、権藤からセンター左へ走者一掃のシングルヒット。打点四。シングルヒットで満塁のランナーがぜんぶ還るのはめずらしい。ツーアウトで、フライが上がった瞬間全員いっせいにスタートを切ったせいだ。センターオーバーのフライがフェンスに当たって素早く返ってきたので、王は一塁ストップ。ランナーは全員還ってきた。
中学一年の私はその試合の一部をテレビで観ていた。彼の十号ホームランが飛びこんだ瞬間の、右翼の鉄塔の足もとを鮮やかに憶えている。客はまばらだった。九回のランナー一掃は翌日の新聞で知った。あの日から十日ばかりして、左肘を手術したのだった。利き腕が使えなくなるとも知らずに胸躍らせて画面を見つめていたことを思い出す。
入団四年目、それまで合計五十六本しかホームランを打っていなかった王が、その年三十八本のホームランを打って開眼した。きのうまで、三百九十三本。今季終了前に確実に四百号に到達するだろう。
肘の手術から七年。王の一本足の歴史が始まると同時に、私の右腕の歴史も始まった。
野球をあきらめるどころか、いまこうしてグランドに立っている。なんという幸福!
四時半。ビジターの打撃練習に入る。気温二十五・五度。風がセンターに向かって吹いている。自分のバットの音が、カキーンとカタカナで聞こえる。
「ナイス、金太郎!」
ケージに貼りついている田宮コーチの声。遠征帯同の長谷川コーチが、
「ネット裏で大洋OBが観てるな。黒木、麻生、鈴木隆」
これまた遠征帯同の森下コーチが、
「最終戦や。みんな後輩選手を励ましたいんやろ。これだけOBが見とったら、練習どころやないで」
と太田コーチが、
「金太郎さんを見にきたのさ。今年の大洋はよくやったよ。うちから何勝」
カキーン!
「三勝やなかったか。黒いタコ、打撃練習しとらんかったな。今年かぎりという噂やで」
ロジャースのことだ。長谷川コーチが、
「坐骨神経痛じゃな。ボロボロだよ。まだ三十五歳で、心残りだろう」
「もう一本!」
バッティングピッチャーを買って出た太田に叫ぶ。鉄塔の足を狙ったが、わずかに逸れて王ネットに当たった。
守備練習。バックホーム三本。すべて地を這うワンバウンドのストライク。なんという幸福! 水原監督が三塁側ファールグランドから、
「よく寝たようだね! からだにキレがある」
「二日間、いやというほど寝ました!」
なんという幸福!
†
照明塔に光球が点りはじめる。ウグイス嬢の声。
「大洋ホエールズ対中日ドラゴンズ二十六回戦、今シーズン最終戦の試合開始でございます。スターティングメンバーの発表をいたします。先攻は中日ドラゴンズ、一番センター中、センター中、背番号3、二番セカンド高木、セカンド高木、背番号1……」
ライン引きが完了する。
「対しまして後攻、大洋ホエールズ、一番レフト高垣、レフト高垣、背番号58(長田の当て馬だ)、二番ライト近藤和彦、ライト近藤和彦、背番号26、三番センター江尻、センター江尻、背番号19、四番サード松原、サード松原、背番号25、五番ファースト木原、ファースト木原、背番号29(中塚の当て馬だ)、六番セカンド近藤昭仁、セカンド近藤昭仁、背番号1、七番キャッチャー伊藤勲、キャッチャー伊藤勲、背番号5、八番ショート松岡、ショート松岡、背番号23、九番ピッチャー森中、ピッチャー森中、背番号55」
始球式。川崎市出身の歌手、坂本九。野辺地中学校、雪の積もった校庭、見上げてごらん夜の星を。ニコニコ顔で振りかぶり、山なりのワンバウンド。しかしみごとなストライク。中、遠慮がちに空振り。女のようにやさしい目をしている森中の投球練習。ストレートとカーブが武器なのにキレがない。半田コーチが、
「森中さんはキャッチャーに愚痴を言ったことない不思議なピッチャーよ。とてもやさしくしゃべるの。スタミナないので、南海でもほとんど中継ぎだったネ。十七勝した年もあったよ。もうすぐ百勝よ」
長谷川コーチが、
「テスト入団でその数字はすごいな。大洋にきたおととしも、いきなり十八勝挙げてるもんな」
田宮コーチが、
「鶴岡が率いていたころの南海には、テスト生からの叩き上げが多いんだ。岡本伊三美だろ、野村、広瀬なんかもそうだ」
私は、
「森中って、投げ方が小川さんと同じですね。取っては投げ、ちぎっては投げ。そういうピッチャーって、バッティングセンターのマシンだと思えばいいんですよ」
高木が、
「なるほど。それでタイミングがとれないせいかな、王にはあまり打たれないんだよ。あのヨイショっというチカラいっぱいの投げ方のせいもあるな」
「うまい!」
ベンチの後ろのほうにいた水原監督が、パンと手を拍ってベンチ柵へやってきて、高木の肩をひと叩きすると三塁コーチャーズボックスへ歩いていった。森中の名前は千香良(ちから)と言うのだ。長谷川コーチは一塁コーチャーズボックスへ。ウグイス嬢が守備の交代を告げる。やはり木原の代わりに中塚がファーストの守備に、高垣の代わりに長田がレフトに入った。どう考えても当て馬の意味がわからない。
八
「プレイ!」
柏木の右手がピッと上がる。
「一番、中、背番号3」
森中ワインドアップ。中が右足でリズムをとる。森中、からだを目いっぱい使ったオーバースローから投げ下ろす。ストレート。豪快なフォームとはちぐはぐに、ボールに伸びがない。寝かせたバットが軽々と回転した。ライト前へふっ飛んでいく。
「進撃開始ィ!」
「イケイケ、イケェ!」
「二十点取ってよ!」
「それ、ヨーホホイ!」
「ヨイショ!」
ネット裏を見ると、きょうは巨人の試合がないのか、川上監督や、牧野、荒川、藤田といったコーチ陣が雁首を並べている。笑いながら見物顔をしているところを見ると、来年の向けてのいち早い偵察というのではなさそうだ。消化試合の真剣な戦いぶりを見学しにきたというところだろう。
高木、初球のカーブドロップを見逃し。一塁上の中は、日本シリーズまで膝の調子を崩さないようにするためか、あえて走らない。二球目、落差をつけて高木の目をくらませようと思ったのだろう、ゆるいカーブが内角へ落ちてきた。叩く。伸びる。
「はい、利ちゃんが走らないで正解!」
会心の当たりが美しい放物線を描きレフトスタンド中段に飛びこんだ。小さなからだのフルスイングに、スタンドが感動して揺れる。私も痺れた。
「高木選手、三十三号ホームランでございます」
水原監督と片手タッチのみ。出迎えも仰々しくない。二対ゼロ。宇野ヘッドコーチが叫ぶ。
「巨人が見物にきてるぞ。破壊力を見せつけてやれ!」
ミセチャル、と呟きながら江藤がバッターボックスに向かった。美しい構えを崩さないまま、一球も振らずにストレートのフォアボール。私の前に走者がないときは、江藤はこうして貢献しようとする。チームへの気配りばかりでなく、私への愛情がひしひしと伝わってくる。私が心がけることは、ゲッツーにならないバッティングをすることのみ。
歓声に歓声が重なる。レフトスタンドで横断幕が揺れる。神 無 月 という一枚布も揺れる。森中がストレートを投げてこないことはわかっている。糞ボールでないかぎり初球を打つ。江藤にバットを掲げると、人差し指を突き上げて応える。私はうなずき、構える。初球、ボールが指先からほんの少し右上方へ離れる。外から入ってくるカーブだ。手首の振りの強さから考えて、急角度で落ちてくるだろう。落ちかかるところは外角高目。両腕を後方へ引き絞る。外角遠くから曲がりはじめる。見定め、バネを解き放つ。ドンピシャ!
「いったァ!」
木俣の声だ。センターへ舞い上がる。スコアボードの左に向かって真っすぐ上昇していく。スコアボードと看板のあいだのわずかの隙間にスッと消えた。
「おみごと!」
長谷川一塁コーチとひっぱたきタッチ。
「アートだね―」
近藤昭仁が声をかけた。
「ども!」
水原監督と片手ハイタッチ。
「ギューン! よく寝た成果だね」
「はい!」
花道もタッチのみ。
「神無月選手、百三十九号のホームランでございます」
ブルペンの小川がグローブで拍手している。バヤリース。手でさえぎり、
「最終打席でいただきます」
四対ゼロ。木俣、サードの頭をライナーで越えるレフト線の二塁打。池田と平松が一塁側ブルペンへ急ぐ。菱川、ノースリーから右中間へ目の覚めるような二塁打。木俣生還。五対ゼロ。七番太田の打球は二塁ベースに当たって跳ね上がり、左中間へ転がる二塁打になった。菱川右手を突き上げてホームイン。六点。一枝、フォアボール。ノーアウト一、二塁。
別当監督がベンチから飛び出してきて、森中からボールを受け取る。ワンアウトも取れずに池田に交代。中日のレギュラー陣が不得意にしているピッチャーだ。平松はブルペンからベンチに引っこんだ。タオルで汗を拭いている。きょうは投げないということだ。中日との最終戦だけが重要なのではない。大洋にはまだ残り試合がたっぷりある。平松をむだに使うわけにはいかない。代わりに平岡がブルペンへ走っていく。
池田は森中と同じようなちぎっては投げのタイプ。このタイプの名投手は、小川と、阪急の米田が思い浮かぶ。ひょいひょいとキャッチボールのような池田の投球練習。ホームベース上でシュッと伸びる。
「ボールをよく見て引きつけると、あのシュにやられますね」
シュにやられて小川三振。打者一巡。中、シュにやられてボテボテのセカンドゴロ。一枝フォースアウト。中セーフ。ツーアウト一、三塁。高木、シュにめげずライト前ヒット。太田還って七対ゼロ。中三塁へ。ツーアウト一、三塁。
江藤、初球内角シュート、ストライク。一球見送る。背番号9がうなずきながら足もとを均す。狙っている。二球目、シュートか、いや、ストレートだ。胸もとへシュッときた。江藤はとっさに左足を引き、左肩を中心にバットを水平に旋回させた。芯を心地よく食った音が響きわたる。翼を広げた独特のフォロースルー。
「ヨッシャー!」
私はネクストバッターズサークルで叫び、立ち上がって打球を惚れぼれと見やった。仲間たちがダッグアウトから飛び出す。水原監督も腰に手を当てて見つめている。白球はレフトポールを巻き、ものすごい勢いで最上段に突き刺さった。菱川が叫ぶ。
「迫力あるう!」
江藤は長谷川コーチとタッチすると、肩を怒らせスピードを乗せてベースを回る。水原監督と軽くハイタッチ。尻ポーンが出た。花道をタンタンタンタンと連続タッチで走り抜ける。突き出した胸をドンと私にぶつける。チームメイトに揉みしだかれながらベンチへ。
「江藤選手、五十八号のホームランでございます」
ダッグアウトの全員と握手。バヤリース。
「ワシも試合終了後や、カールトンさん」
大声がバッターボックスに聞こえてくる。十対ゼロ。もう退きどきか。
「四番、神無月、背番号8」
球場が沸き返る。フラッシュの光が弾ける。池田はなぜかうれしそうにわざと外角にショートバウンドを投げた。内角へ外角へ内角へとつづけてショートバウンドを投げる。敬遠と思わせないフォアボールだ。ノーアウトならこういう敬遠もある。感心した。歓声が不満のうめき声に変わる。一塁へ走って、長谷川コーチにヘルメットを渡す。ボールボーイが受け取りにくる。
木俣の初球、走る。伊藤勲の強肩。近藤昭仁のタッチ。間一髪セーフ。うめき声が歓声に戻った。木俣は二球目の真ん中カーブを叩いて左中間フェンスを直撃する二塁打を放つ。私は悠々生還。十一点目。打者十四人の猛攻。菱川はひとまず引き揚げにかかり、深いセンターフライを打ち上げる。チェンジ。木俣、カンちがいのタッチアップをして三塁へ走る。途中で気づいて方向を変え、三塁ベンチへ猛スピードで走る。球場内に爆笑が渦巻く。
水原監督はマウンドに登りかけた小川に、
「健太郎さん、五回までチャンチャンと片づけてください。六回から久敏くんにいってもらう。レギュラー三人は四打席で取っ替えます。このままだと止まらなくなるんでね。消化試合で疲労しちゃいけません」
中日は二回から九回まで、打線もチャンチャンといった。左の平岡と左の鬼頭に対して打者三十四人、散発六安打、フォアボール二、三振二、犠打一、得点二。二つのフォアボールは私に与えられたものだった。中と江藤と私は五回までの四打席で引っこめられた。そのほかの先発陣は残った。いずれにせよ店じまいしてからの攻撃なので、得点効率は悪く、ホームランは高木のきょう二本目の三十四号ソロのみ。ヒットはその高木のほかに、江藤の代わりに入った千原が一本、私の代わりに入った江島が二本、菱川が一本、太田が一本。三塁打を打った太田を三塁に置いてレフトへ犠牲フライを打ったのは伊藤久敏だった。
とっぱじめの一回に大量得点をすると、逆転される危険性がないかぎり、ふたたび進撃を目論んで再開することはない。流れにまかせる。疲労を蓄積せずに早く試合を終える術を、ドラゴンズの連中はすでに学んでいる。命令されるまでもなく、小川は五回までチャンチャンと片づけた。打者二十二人、三振四、被安打五、フォアボール二、自責点ゼロ。六回から伊藤久敏に交代。打者二十人、三振三、被安打四、フォアボール四。自責点は長田に浴びた二号ソロの一点のみ。
五打席目を引っこめられているあいだ、給湯室でネネの顔を眺めながらのんびり茶を飲んだ。ネネが言う。
「伊藤久敏さん、フォアボールだらけですね。消化試合なんですから、真っ向から勝負して自分の力を試せばいいのに」
「ドラゴンズは試合そのものの命令系統はきびしくないからね。持ち場を与えられたら各人自由にやるんだ。持ち球を試したんだろう。このごろ川崎ガールズはこないの?」
「ここは話の合わないオバチャンがいつも一人でお茶飲んでるし、神無月さんもトントこなくなったから、もう顔を出す意味がなくなったようですね。太田さんや菱川さんも近寄らないし」
「彼らはいまそれどころじゃない気持ちなんだよ」
「来年の勝ち残りを賭けて、ですね」
「そう。サボるとすぐ二軍に落とされるからね。じゃ、戻る。今度は十月初旬の後楽園だね。広島遠征から戻った夜にニューオータニから電話する」
抱き締め、キスをして給湯室を出る。
十三対一で勝った。実質、一回の高木のツーランで勝負は決していたことになる。
ドラゴンズが初回に張り切るのにはわけがある。初回に得点できないと、相手ピッチャーの対策をコツコツ立てながら、手探りで攻撃していかなければならず、そういうゲーム展開はひどく時間がかかるし、疲労もするからだ。だから早いうちにドカンと得点してあとを流そうとする。八時四十一分。きょうも試合は早く終わり、小川は二十一勝目を挙げた。
八十九勝目。残り二十三試合。十八敗したとしても、合計九十四勝。チーム勝率七・五二で日本新記録を樹ち立てることになる。僅差で負ける試合が十試合、大差で負ける試合が五試合と私は踏んでいる。十五敗はしても十八敗はしない。九十七、八勝でペナントレースを終えるだろう。区切りよく百勝といきたいが、勝ち星は少なく見積もっておいたほうが気がラクだ。私にしても、ほとんどフォアボールで歩かされるわけだから、あと四十打数あるかどうか。百五十本はきびしい。
水原監督のインタビュー。
「今季を総合して考えると、中継ぎにしっかりとした手応えを得たことが、来季に向けての最大の収穫です。むろん、星野秀孝くんの先発としての活躍はあっぱれでした。ベテラン先発陣の負担を少なくすることが、ほかの若手投手陣のこれからの課題になるでしょう。五本柱くらいを考えています。攻撃力は潤沢なので、あまり補強は考えておりません」
「打のほうでの今季の収穫は?」
「神無月くん、江藤くん、木俣くんに関しては説明不要でしょう。まず、中、高木両くんの復活、それから、菱川、太田両くんの急成長が挙げられます」
「日本シリーズに向けての懸念は?」
「ございません。ただ、この時期最も疲れるのはベテランとルーキーです。彼らが疲労しないように、残りの戦いの中でコンディションを整えていくつもりです」
「選手全体に言いたいことは?」
「よく食べて、よく寝ること。戦国パリーグを勝ち抜いてきたチームは、どこであれ強敵ですから、体力がなければ太刀打ちできません」
バックネット裏に巨人軍連中の顔がまだある。私たちは彼らを横目にロッカールームに戻った。
バスの中で、水原監督が私に訊いた。
「最近何かからだの変調は感じないかね」
「これといって……。ちょっとバットが重く感じるくらいです。春先のように力をこめて振れませんので、軽く振ってます」
「やっぱり疲れてるんだな。バットは何グラム?」
「さあ、忘れました」
「そう言えば、あのバット事件のとき、報告書がきてたな。足木くん、憶えてる?」
「はい。長さ八十九センチ、重さ九百三十グラムです」
「大リーグ級だね。ふつうは八十四センチ、八百九十グラムだからね。あのバットスピードでそんな大バットを振れば、ブッ飛んでいくわな」
足木が、
「小バットでもふっ飛びます。ボールが飛ぶのはバットスピードの賜物です。オープン戦のときに聞いたんですが、ロッテの榎本は、八十四センチ、八百六十三グラムです。それでも少し重く感じると言ってました。新人のときは九百三十グラムを振ってたそうです。百七十二センチ、七十一キロのバッターがですよ。金太郎さんが九百三十を振るのはおかしくありません。疲れが取れれば、またふつうに振れるようになりますよ」
江藤が、
「ワシは、春、夏、秋で、九百、八百九十、八百六十と落としていくばい。長さは八十六センチと決めとる。九百三十グラムなんちゅうバット、振ったことなかぞ」
菱川が、
「神無月さんからせっかくバットをもらったんですけど、バッティング練習でしか使ってないんですよ。試合では、久保田さんに作ってもらった八十六センチ、八百九十グラムのやつを使ってます。すみません」
「謝ることなんかないですよ。振りやすいバットで、バットスピードを出すことが肝心ですから。バットスピードは、バットを振ることじゃなく、バットに〈振ってもらう〉ことから生まれると思うんです。下半身で回転力を与えてやれば、バットが自分の重みで勝手に回ってくれます。ぼくはコースを外されることが多いので、重さだけじゃなく長めのバットが必要です。歴代の長尺のバットはどのくらいですか」
太田が、
「ぜんぶは調べてないんだけど、神無月さんより長いバットは、藤村富美男の九十三センチ、ルー・ゲーリックの九十センチくらいですかね。神無月さんと同じ八十九センチはベーブ・ルース、ジャッキー・ロビンソン、ハンク・アーロン、大下弘、川上哲治、西沢道夫、小鶴誠。神無月さんより重い選手は、ベーブ・ルースの千十グラム、ルー・ゲーリックの千グラム、藤村富美雄の九百八十グラム、ジャッキー・ロビンソンの九百五十グラムです。同じ九百三十グラムは王さんしか知りません」
「王さんの長さは?」
「八十八センチ」
水原監督が、
「まったく同じと言っていいね」
九
宇野ヘッドコーチが、
「昭和三十六年と三十七年は、俺、大毎の監督をやったんだが、才能は比べものにならないにしても、榎本と金太郎さんはよく似てるよ。自分のストライクゾーンを持ってるんだな。カージナルズのスタン・ミュージアルもそれで有名だ。三十三年に日米親善野球できたとき、榎本にその話をしたそうだ。影響を受けたんだろう。バットの重さを利用して振るなんてこともよく言ってた。合気道や剣道から得た考えらしいがね」
宇野ヘッドコーチが新発見のように得々と言う。藤本勝巳のことを話してくれる約束などすっかり忘れてしまっているようだが、昨夜江藤と小川が話してくれたし、これ以上幻滅したくないので好都合だ。野球人の関心は、選手の裏話ではなく、選手の技術と才能にある。それは永遠だ。技術と才能がすぐれていた場合にのみ、裏話が飾りでつく。宇野ヘッドコーチはつづける。
「山内も理屈屋だった。バットが自然と沈むとか、自然と浮き上がるとか、わけのわからないことを言ってたよ。彼らと金太郎さんのちがいは、彼らは打てなくなると精神論に戻ってスランプを脱出しようとするが、金太郎さんは野球だけに留まらないカッチリとした精神論を持っているけど、野球でスランプになったときに立ち返るためのものじゃないということだ。野球を含めて生きていくうえで常に持っているものなんだ。楽しむ情熱、というやつだな。ま、要するに、金太郎さんには野球に関してスランプがないということだろう。金太郎さんは野球の技術的なことでは、人が理論とするものを先天的に持っている。そんなものに立ち返る必要がない。鬼神だね」
水原監督は、
「異論はない。しかし鬼神もがんばれば疲れる。とにかく、よく食べ、からだを休めなさい。レギュラー陣もそれを心がけてください。この先二十三試合、二打席凡退したら、打率を落とさないように引っこめますし、調子よくても三打席で交代してもらいます。ほかの出場パターンも考えてます。とにかく十月末の十日間は、ひたすら休養してください。ゴルフくらいはいいですけどね」
田宮コーチが、
「いま三割いってるやつはだれだれだ?」
江藤、中、高木、木俣、菱川が手を上げた。高木が、
「俺、ぎりぎり。三振が多いから。基本、二割七分のバッターなんで上出来なんだけどね」
「一枝と太田は?」
「二割七分六厘」
「二割八分一厘」
太田コーチが、
「全員、打撃二十傑だよ。控えが気の毒だ。割りこめない」
水原監督が、
「残り試合はそんなこと言ってられない。来年があるんだから、割りこむ努力をしなくちゃ。控え選手も全員出てもらうよ」
「ウィース!」
†
ホテルの部屋に戻って、二試合分の段ボール箱の整理をし、吉祥寺へ電話した。トシさんが出て、
「キョウちゃん! おひさしぶり。優勝おめでとうございました」
「ありがとう。二十一日の夜、神宮が終わったら吉祥寺に寄らずに名古屋に帰ります。予定どおり、オフに逢えるよう考えます」
「はい。二十二日の月曜日は、お昼に法子さんがここで内輪だけの優勝パーティをしてくれるそうです。詩織さんも呼んで賑やかにやります」
「うん、ありがとう」
「河野さんは、大学の準備で忙しくしてるみたいで、またの機会にということでした。福田さんに代わります」
雅子に代わり、
「郷さん、優勝おめでとうございます」
「ありがとう。勉強、順調?」
「はい、すべて順調です。今年じゅうに基礎を固めて、来年からは応用編の勉強を本格的に始めます。二十二日、私たちだけでお祝いします。神無月さんのことを思いながら」
トシさんに代わった。
「おトキさんは、二十日に山口さんを空港に送ったあと、一週間名古屋に帰るそうです」
「へえ、そうなの。そのほうが山口も集中してコンテストに打ちこめるかもね。イタリアから帰るのはいつ?」
「二十二日から二十七日までがコンテスト期間ですから、二十八、九日。日曜か月曜じゃないでしょうか。おトキさんは二十六日に東京に戻ると言ってました。そして山口さんからの電話待ちですね」
「あしたの夜、山口に電話入れてみる。じゃ、オフまで、元気でいてね」
「はい、キョウちゃんも」
雅子に代わり、
「いまお着物を縫ってますけど、少しずつなので、春ぐらいになるかもしれません」
「無理しないで。とにかく勉強して。道が決まったんだから邁進すること」
「はい。がんばります。神無月さんも日本シリーズがんばってください」
「がんばる。じゃ、さよなら」
「さようなら」
シャワーを浴び、ジャージを着て、江藤たちとタクシー二台で焼肉を食いに出た。一台目に私と江藤と太田、二台目に菱川、星野、則博、土屋が乗った。紀之国坂を登って、四谷見附から新宿通りへ入り、四谷四丁目の交差点を右折して『焼肉名門』に到着。ホテルの玄関から七分。板看板に赤字で《名門》。真新しい構えの引き戸から店内に入る。意外に広い店内。
「らっしゃいませェ!」
カウンターにいた白衣の店員三人が声を張る。鉄板を敷く穴の開いた四人掛けの長テーブルがぜんぶで六つ。コンクリート敷きの店内に四卓、畳の小上がりに二卓、カウンターから見えない奥まったところにも二卓あった。コンクリート敷きの三卓と奥まった場所の一卓は埋まっている。テーブルでさざめいているのは建設作業員ふうの男たちか学生たちで、会社員ふうの客や女性客は一人もいない。名古屋のトンチャン焼き屋の雰囲気だ。換気扇は何台か回っているが、あまり効果はなく、薄く煙が店内にただよっている。壁に芸能人やスポーツ選手のサインはない。
「よか店たいねえ。スッキリしとる。健太郎の言ったとおりばい」
江藤も初見参のようだ。先客たちが私たちを見て、オオー! と声を上げる。菱川がマア、マア、と彼らを手で制する。客の一人が、
「うまいぞ、ここは。うんと食ってけ、中日ドラゴンズ」
「ありがとす」
太田が頭を下げる。小上がりの二卓につく。若い店員が緊張して注文をとりにくる。江藤と菱川がどんどん注文する。
「まずビール十本。最初に、ロース、カルビ、十人前ずつよろしく」
「そのあとで、センマイ刺し、シマチョウ、マルチョウ、ハラミ、十人前ずつよろしく」
ホルモンについては一度菅野に講義を受けたことがあるがすっかり忘れてしまった。冷えた瓶ビールが出てくる。つぎ合う。
「食い道楽の健太郎が見つけた店ばい。あいつ、目立たんオッサン面やけん、声ばかけられんやったと」
私は、
「声かけがないのが決め手ですね。壁にサインもない。そういう店なんでしょう。巨人の選手以外は静かに食えそうです」
乾杯。
「あと二十三試合!」
「百勝目指せ!」
「シリーズ先勝!」
「愛しとるぞ!」
「愛してます!」
「カンパーイ!」
「カンパーイ!」
客たちもカンパイと呼応する。酢味噌ダレとコチジャンダレが出てくる。店主らしき肥った中年の男が、五人前ずつ大皿に盛ったロースとカルビを持ってくる。どちらも平べったい大切りだ。
「焼きすぎるとパサついてしまうので、ほどよく焼いたところで、さっさと食べてください」
「ウス!」
星野が焼き上がるのを待ち切れず頬張り、
「これ、うまいですね!」
「おお、うまかな!」
客が拍手する。学生客が、
「愛してるは感激だな」
「すごいな。俺たちもやってみよう」
則博が、
「めしください、大盛りで」
言いながら、ビールもぐいぐい飲む。私はしっかり焼けている一切れをコチジャンダレにつけて食った。北村席ほどのうまさではない。則博が頬をふくらませてめしを食う。
「則博さんは、北山中から中京商業にいって、そのあとどういう野球人生をすごしてきたの?」
「一年の夏、控え投手として甲子園に出ました。松山商業に勝って優勝。それで、作新学院に次いで史上二校目となる春・夏連覇を達成しました」
太田が、
「夏・春連覇は、三校ありますよ。広商、中商、法政二高。戦後は法政二高だけです」
「博士!」
と江藤が手を拍つ。則博はつづけて、
「当時の中京商業は選手層が厚くて、レギュラー争いが激しかった。エースになれたのは三年になった去年からです。選抜に出て、初戦の広陵戦で敗退。夏は地方予選で敗退。実績を残せなかったのに、中日からドラフト二位指名を受けました。百七十七センチの大型左腕という触れこみでした。驚きました」
江藤が、
「勝っても負けても、日本は甲子園さまさまやからのう」
私は、
「―そういうことと関係なく、ドラゴンズの目は確かだと思います。則博さんは、スリークォーターでカーブ、スライダーを投げる軟投派と見られてるけど、ぼくの目では速球がいい。重心をもっと低くして、速球でカウントを稼ぐようにしたら、毎年十勝はいけると思う。スタミナもあるし、先発完投型で将来活躍できるんじゃないかな」
「ありがとう。励みになる言葉です」
土屋がすがるような目で、
「俺はどうですか」
「則博さんより一つ少ない四勝を挙げてるんですよね。ドラ一、期待の二年目です。バッターとちがって、ピッチャーは早いうちに芽が出ない選手は大成しません。だいじょうぶですよ、ちゃんと芽が出ました。フロートしない速球は、いくら重くても、コースを誤れば打たれます。十勝ピッチャーになる課題はコントロールだけです」
江藤が、
「あのくさ、健太郎のごて投げろとは言わんばってん、ほんなこつ土屋は投球間隔が長かぞ。野手が辛抱できんごつなる。あれだけ変えろ」
「はい、自分でも優柔不断だと思ってました」
作業着の男が、
「開けっぴろげで、気持ちのいいチームだな!」
仲間がうなずき、
「おれ、ドラゴンズに乗り換えるわ」
菱川がカルビを焼く。一口放りこみ、
「なんじゃこれ、むちゃくちゃうまいな!」
上ずった声を上げる。たしかにとろけるような美味だ。最上質の肉なのだろう。ビールが進む。星野が、
「幸せです!」
奥まった卓の客が、
「中日さんはよくホームラン打つねえ。神無月選手以外の本数を合計すると、二百二十本ですよ。それだけで十二球団一だ」
「強力なホームラン磁石がいるけんな、ワシら鉄粉が吸い寄せられる」
湯通ししたセンマイ刺しはブツブツ突起物のあるナマコみたいな代物で、見た目はグロテスクだが、辛目の酢味噌につけて食うと、コリコリとした歯応えでじつにうまい。後味もサッパリしている。仲間たちは休まず食う。江藤が、
「キムチ!」
星野が、
「野菜焼きとテクダン!」
私は、
「テクダンもう一つ!」
ビールをつぎ合う。
「金太郎さん、もりもり食わんば」
「はい! ぼくもめしをください。どんぶりで」
店内の小上がりに近い卓の客が、
「きれいな人ですなあ、人形みたいだ」
太田が、
「ドキドキするでしょう。俺たちもですよ」
江藤が、
「東京は巨人一色やろうもん」
奥まった席の数人が、
「いや、けっこうドラゴンズファンがいます。俺たちがそうです。十四日の優勝のときは中日球場までいきました。最後にグランドに雪崩れこんで選手たちと抱き合った一人です。五人ぐらいと抱き合いました。江藤さんとも」
「ワシともか! ありがとう。うれしいのう」
作業着の一人が、
「俺たちは巨人ファンだけど、今年の中日は気持ちよく見てる。ほんとにすがすがしいチームですよ。神無月さん、今年はいろいろ迷惑かけたねえ」
「忘れました」
選手、客、一体になって笑う。